第6話 自身を知る
「!!!」
理解したか分からないが、レイスヴァールが目を見開く。
驚いた彼に首を傾げつつ、タムは続けた。
『私が話す言葉は、こちらの方は分からないようなので、現在、言葉を頑張って覚えています』
「そうだったのか…少年の神というのは、女神フェーラ様の息子、フェデリ様だな。最近、活動が多いと聞くが…人を攫うとは聞き捨てならない。神殿に問い合わせをしてみなくては…」
レイスヴァールが難しい顔をしてタムが話したことを反芻している。
(あれ?…伝わってる?)
驚きと共に、何かの感情がせり上がってきた。
『あの、この言葉、分かります?分かるんですか?』
焦らないように、ガッカリしないように。
おそるおそるタムが日本語で聞いてみると、レイスヴァールは笑顔で言った。
「ああ、分かる。俺にはね。…た、タム!?」
みるみるうちに、タムの蜂蜜色の目から涙が溢れ出したのだ。
『あ、あれ…?』
「どうした!?」
こういう場面の女性の涙に免疫が全くないレイスヴァールはどうしたものかと、慌てて人を呼ぼうかと周りを意味もなく見渡す。
『すみません、もう二度と、この言葉で…話せると思って、なかったので…』
泣きながら声を絞り出して伝えるタムに申し訳なくなり、レイスヴァールは落ち込んだ友人にするように、そっと肩に手を回してポンポンと叩いた。
暫くそうしていて、レイスヴァールは申し訳なさそうに呟く。
「もう少し早く気がつけば良かった。すまない」
『いえ、他の方には分からないようですから…』
年甲斐もなく泣いてしまった上に、一回り以下の異性に慰めてもらい、少し恥ずかしくなってしまったタムはハンカチを取り出して涙をゴシゴシと拭く。
泣いたのはいつぶりだろう。両親が亡くなった後は、ほとんど泣いたことがなかった。
(ちょっと…いやけっこう、スッキリしたかも)
レイスヴァールだけとは言え、日本語で話せる人が一人でもいて、それが心強く嬉しかった。
「タムは、ニホンという国の言葉を話しているつもりなのか?」
『そうです。最初にユリに話しましたが、全く通じないので、てっきりそうだと思っていました』
スラスラと淀みなく答えるタムに、少し嬉しさを感じながらレイスヴァールは言う。
「君が話している言葉は、神語だ。神が話す言葉で、神に関わる人のみが理解できる。この屋敷で分かるのは、俺と父だ」
グランスピリット家に流れる、遠い昔の微かな神の血。
その血のお陰で女神の言葉が理解可能となり、この地の守護を任されているのだ。
他にも神託を受ける巫女なども、その言葉を理解する事が出来る者が任命される。
『そうでしたか…女神様が食べさせてくれた、甘い食べ物のせいなのかな』
「甘い食べ物?…タムはフェーラ様に会ったのか!?」
女神の住まう地を守護している自分でも、最後に会ったのは騎士となった年なのでもう10年も前だ。
『そうですね…今なら、この言葉なら、最初から説明できますので聞いて下さい』
タムは自分がいた国と仕事、攫われた時の状況、少年神の力不足、女神と合ったがすぐに落ちた事、目が覚めて姿が変わったことを伝えた。
「なんと…それは我々ではとうてい想像出来ない。だから、獣人の事も分からなかったのか。元が人なら、獣人が居ない世界なら、全く分からない事だな…」
『はい』
やっと伝えることが出来た感動で、タムの顔はいつもより明るく頬は少しピンクになっている。
それを見て、異世界へ突然召喚され心細い思いをさせていた事実にレイスヴァールは反省した。
少し、いやかなり鬱陶しいが、ハロルドのようにかまっておけばよかったと思う。そうすれば、もっと早く神語のことにも気が付いたはずだ。
「君の言葉が神語に変換されているのは、おそらくフェーラ様が食べさせた天の庭にあるという、金の果実の効果だろう。食べたものの本質を見抜き、現わすと言われている」
確かに、落ちる直前に、女神が何か呟いていた。
『…私の場合、それが熊獣人になって現われたんですね』
「そうだな。その姿も意味があるのだろう、きっと」
物語のハニーベアが顕現するというのも、何か意味があるのかもしれないとレイスヴァールは思う。
「タムは、自分の姿をキチンと見たことがないのだな?」
『そうですね。マグリーに教えてもらって瞳の色が蜂蜜色というのは聞きましたけど。私の色って、みんな蜂蜜色なんですね!』
耳を引っ張り、お尻のしっぽを見せる。
レイスヴァールはその仕草が可愛いと思いつつ、ハロがいたら飛びついたかも知れない、と危機感を持った。
「そうだ、少し待っていてくれ。…その間これを。クッキーも焼いてもらったんだ」
給仕ワゴンからクッキーの山盛りを取り出すと、タムの目が輝いた。
笑いながら食べすぎないように、と注意して彼は執務室の続き部屋へ消える。
それを見届けてから、タムは小さく叫んだ。
『っひょおぉぉ!クッキーの山♪』
しかもこちらに来て異様に好きになった蜂蜜が確実に入っている。
微かに香る野菜の匂いをかき消すように、シナモンや柑橘系、ベリー系の強い香りがした。
以前、提案して作ってもらった事のあるマーサ特製のハート型野菜クッキーだ。
『マーサは本当に天才だなぁ』
彼女は普通の熊獣人なので、体が大きい。手も大きいが、道具を駆使して人サイズにしてくれる。
しかしそれでも日本の商品と比べると少し大きめなクッキーを一つずつ、味わいながら食べる。
先日も、おかずとしてのプディングではなく、日本の甘くてとろとろのプリンを再現してもらったが、とても美味しかった。
他のレシピも教えて欲しいと、根気よく会話してくれているお陰で、食材や調理に関する単語は生活用語よりもたくさん覚えたほどだ。
『そうだ、今度はグラタン作ってもらおうっと』
タムはエビグラタン、ロールキャベツ等、クリームソースが大の好物だ。パンがあるから小麦粉もバターもあるし、先日チーズが掛かった料理があったので、絶対に出来るだろう。
想像しながらニヤついてクッキーを頬張っていると、レイスヴァールが戻ってきてタムの顔を見て笑う。
「口の端についている」
『えっ』
慌ててベロンと舐めたところで、拭いたほうが良かったと気が付いて赤くなる。
どうも熊獣人になってから、ついペロッと舐めてしまうのだ。しかも舌が長いような気がする。
「今は俺だけだから、かまわない。ユリが居る時は注意するんだ」
『もちろんです!』
即答するとレイスヴァールは更に笑って、笑いながら脇に抱えていたものを壁に立てかける。
「鏡だ。タムの国にはあったか?」
『はい。あちこちにありましたよ。トイレや洗面所、お風呂にもありました。家の窓やお店の窓とか、ガラスが平らでピッカピカなので、そういうのでも映っちゃいますね』
思えば車や電車の窓、消えたテレビや、スマホの黒い画面でも映る。本当に日本では自分の姿をよく見ていたなと、今更ながらに思った。
レイスヴァールは感心しながら言う。
「かなり文化が進んでいるのだな。この領地では街に暮らす民の家でもガラスが使われているが、よその領地では一般的ではない。そうか、トイレか…軽く身だしなみを整えるには良いな」
『そうですね。日本でもトイレに行った時にお化粧直しする女性って多いですよ。さっきみたいに、口の端に何かついてても困りますし!』
笑いながらタムは言うが、レイスヴァールは感心する。
新しいものを普及させる時など、物事を他者にわかりやすく説明するのはけっこう骨が折れる。
タムはそれを自然に話すことが出来るようだと思うと同時に、今後、各戸に広めようと考えているお風呂について協力をしてもらおう、と、考えかけて止める。
今は事業の事よりタム本人の事が優先だ。
レイスヴァールは頭を振ると、彼女を招き寄せる。
「タム、自分を見るといいぞ」
『?…では、お言葉に甘えて』
口元をナプキンで拭うと、ソファからピョンと降りてレイスヴァールが立て掛けた鏡の前に立つ。
『…若い!!!!!』
素直な言葉にレイスヴァールが吹き出した。
鏡には、目を見開いた少しぽっちゃりめの女の子が映っている。高校卒業前くらいの、17歳の頃の自分だ。日本人の感覚で見てそう思うのだから、こちらの人から見たらもっと下に見えるかも知れない。
丸くて大きなフサフサの耳が濃い蜂蜜色の髪から飛び出していて、日本人特有の低く丸い鼻も、熊獣人になると返ってそれが愛らしく感じた。
口を開けると、小さな犬歯が上下にある。
元からタムの目は大きいが、更に大きくなった気がする蜂蜜色の目、よくご老人や同僚につつかれたぷくぷくのほっぺ。
(これじゃあ、みんなに心配されるわけだ…)
ミリンやモノウ爺があの後、必死になって慰めてくれた理由も分かった。
ユリが普通に接してくれるのは、一ヶ月一緒にいて中身を知っているからだろう。
くるりと回ってしっぽも確かめる。
(やっぱビッグサイズ肉まんより大きい)
最近はよく動くのでズボンを履いている事が多いが、獣人用にしっぽが出るズボンがちゃんとあるのだ。
今日は、午前中に作業をしていたので、半袖パフスリーブのシフォンブラウスに焦げ茶の膝まであるズボンをサスペンダーで吊っている。
(うーん、60キロは絶対に切ってる)
日本に居た頃よりかなり痩せたようだが、胸はそのままだ。サスペンダーが前に押されてしまって幼い顔と体のバランスが悪いし、人によっては目のやり場に困るだろう。
(えっちぃゲームのロリ熊じゃんね、これじゃあ…)
今度、オーバーオールのような服を作ってもらおうとタムは考えた。
「どうだ?」
『ええと…思った以上に若いです…』
「そうか、元は人なのだものな。45歳といったか…どおりで動じないし、落ち着いていると思った」
ははは、とレイスヴァールは笑う。あの二人に絡まれた時の事を言っているのだろう。
『それは元々の気質です』
「ニホンという国の民の?」
『いえ、私がそういう性格ってだけですね。昔からそうなんです。みんな騒いでいても、一人だけボケーっと見てるだけなので』
だからなのか、味方は多いが敵も少なくなかった。タムが敵と認定するのではなく、相手が勝手に敵視してくるだけなのだが。”みんな一緒!”のタイプには和を乱しているように見えるらしい。
「ああ、少し分かる。俺もそうだ。ハロが先に騒ぐから出遅れるだけかも知れないが」
『…退屈しなさそうな人ですよね』
タムの苦笑を見て、やはりそう思っていたかとレイスヴァールも苦笑する。
ハロルドの事でネックレスを思い出し、レイスヴァールは彼女が心配しているだろうと伝える。
「ネックレスはブラウンが修理の指示を出した。指輪はまだ見つかってないようだが…そのうち見つかるだろう」
『すみません、ご迷惑を掛けて。指輪は私も後で探してみます』
勢いよく引きちぎられたので、どこかに紛れてしまったかもしれない。
戻って着替える時に注意したが、結局服の中からは出てこなかった。
「謝らなくていい。あのメイドはウチが雇った奴等なんだ。まさか、あんなに性格が悪い女性がいるとは…」
思い出したのか、レイスヴァールが青くなっている。
そう言えばユリが、女性が苦手で彼の婚期が遅れて困っていると言っていたのをタムは思い出した。
『あそこまで酷いのは一部だと思います。それだけレイを射止めようと必死だったのかもしれませんよ』
タムがいたずらっぽく笑うと、レイスヴァールは一瞬固まり、片手で顔を隠すように押さえた。
(そこまであの人達怖かったかな?)
トラウマで更に婚期が遅れたら申し訳ない。慌てて自分の言った言葉を否定した。
『冗談です!あ、でも、一部というのは本当ですから。女性も男性もいい人がほとんどですよ』
一応フォローしてレイスヴァールの腕をポンポンと叩く。
「そ、そうだな…」
レイスヴァールは顔から手を外して、照れたようにそっぽを向く。
『そうそう。聞こうと思ってたんですが、ハニーベアってなんです?』
「!」
『絵本は読んだのですけど…みんなが私のこと、ハニーベアじゃないの?って言うんですよね。確かに熊獣人にしては小さいみたいだし…そういう種族がいるんですか?』
レイスヴァールはどう説明したものか、と考えて口を開いた。
「熊獣人の中に確かに子熊族という種類もいる。だが、あの童話に出てくるハニーベアは実在しない。…というか、今は誰も見たことがない、と言ったほうがいいかな…」
『こういう色の熊獣人っていないんですか?』
「ああ。銀色は記録にあるが、金色というのはない」
『金色…というか明るい茶色かなと思いますけど…』
少し伸びたフワフワの天パーの髪を引っ張る。ブリーチまではいかないが、明るい茶色と言えばそうとも言える。
「ん?ああ、そうか。タム、こちらへ」
手招きされて、執務室の続きの部屋へ入る。レイスヴァールはついでに鏡をしまうのか持ってきた。
「そこに、丸い筒があるだろう?」
奥の暗がりに鏡を置きながらレイスヴァールが言う。タムの目の前に、たくさんの筒が置かれた棚がある。
「出ている所が金に光っているものだ」
一つだけ、装飾が凝っていて金ピカのものがある。タムはそれを引っ張り出した。
(ながっ)
ほぼタムの身長と同じだ。
レイスヴァールスがやってきて中から掛け軸を出しそれを開くと、執務室から漏れる明かりに照らされて、美しい女性の肖像画が浮かび上がった。背中には、見事な翼。
『この人!落ちる前に会いました!』
「ああ。これがフェーラ様だ。タムも見たと言っていたが…何色だった?」
『ええと、金の髪に金の目。白いレースのドレス着ていて…眩しい!って感じでした』
レイスヴァールはその表現に笑うが、言葉を続けた。
「そうだ。金色というのは、女神の貴色だ。特に濃い金色というのは、女神が許したものだけに現れる色でな、獣人の毛色でもいないんだ」
なるほど、と思いつつタムはアレッ?と首を傾げた。知ってる人で一人、金の髪の人がいる。
「ハロのことなら、アイツはエルフの血を引いているからだ。女神の眷属であるエルフには金色の髪を持つ者もいる。両親は金の髪ではないから、ハロは先祖返りだな」
『理解しました』
女神の眷属でエルフというのは、今度また聞けばいいだろう。もしかしたら、この屋敷にも会っていないだけで、どこかにいるかもしれない。
肖像画を筒の中へしまいながらレイスヴァールは言う。
「だから女神の貴色を持つ金色の熊獣人、ハニーベアは特別な存在なんだ。そして熊獣人のタムの毛色は珍しい…というか今までにない濃い金の毛を持っている。それでハニーベアではないか?と言われるんだ」
『そんなたいそうな者じゃないですけど…』
「はは。今度、女神様に伺ってみよう。自らが変化させたタムの事なら、何か答えてくれるかもしれない」
自分には、物語の聖女や勇者のように何か役割があるという事だろうか?
到底、そんな感じはしない。
『でも、フェデリ様でしたっけ?その子のミスでコッチに来たようなもんですから、大層な理由はないと思いますよ。落ちる前にあっっ!って言われたんですよ?』
会えるなら説教したいほどだ。
「それは本当に酷いと思うが…どうだろうな。仮にも神が選んだ者だ。きっとあると思うぞ」
『無いほうが気が楽なんですけどねぇ』
面倒そうに言う彼女にレイスヴァールは笑う。
タムには何か惹かれるモノがある。役割は確実にあるだろうと彼は考えた。
顎に手を当て考え事をしている彼女の、クセのある髪と耳を見下ろすと、タムはレイスヴァールを見上げてその瞳をじっと見る。
執務室からの光を反射して暗闇で光るその瞳には、蜂蜜色の中に金色の虹彩がとても綺麗に浮かんでいた。
神秘的な色に魅了されつつ、問う。
「どうした?」
そのタムを見下ろす黒い瞳にも、金色の虹彩が浮かんでいる。
『レイが、神語が分かるのは、何か…神様とか、そういう血を引いているからですか?…目の中に、金色の光がある』
「…!?」
秘匿している事を見抜かれ、レイスヴァールはその視線から逃げられなくなる。
自分から何かを引き出しそうな蜂蜜色の瞳に見つめられて、焦ったレイスヴァールは一歩足を引き、置物に躓いて盛大にひっくり返った。
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