第5話 ティータイム

 タムはバラ園での仕事を終えて皆と昼食をとった後、書庫に行こうとした所でユリに呼び止められる。

「タム、書庫に行くのですか?勉強を中断させて申し訳ないのだけど、レイスヴァール様がお呼びです。書庫の隣にある、執務室へ行って下さい」

 勉強は自分で決めてやっているだけで、特に期限や人を待たせてたりしてはいない。

 むしろ屋敷の主人の呼びつけを無視するほうが申し訳ない。

「はい、分かりました」

 素直にユリへ返事をすると、書庫と執務室のある建屋へテクテク歩いて行く。

 途中、イジメの話を聞いたらしいメイド数人に謝られ、頭を撫でられた。どの人も長く屋敷にいる人だ。

(いったい私は何歳に見えてるんだ…?)

 日本人は童顔とはいえ、さすがにアラフィフが十代に見える事は無いだろう。

 しかし、大抵の人はタムを当たり前のように年下として扱う。

 客というよりは、大切な子供という感じた。

(ミリンも仕事の終わりにいつも飴くれるしなぁ…。私、ちゃんと45歳って言ったよねぇ。熊化して顔が変化してるとしか思えない)

 こちらに来てから鏡を見れていないので、実際どんな顔なのか分かっていない。

 鏡は高価な物なのか、日本と違いそこかしこに有る物ではないようだ。

(ほっぺが相変わらずプニプニなのは変わらないんだけどな)

 食事は規則正しい時間とほどよく健康的な内容と量で、お酒も飲んでおらず、甘いものも以前のように一時間に一回食べたりしていない。力を使う仕事も始めた事で、二の腕やお腹周りが以前より格段に減った気がするのだ。きっと顔のたるみも減っているだろう。ぜひ、痩せた姿を見てみたい。

(今度、池に行ってみようかな)

 庭園にはボート遊びができる池もあると聞いた。ここの人は規模感が違うので、おそらく湖だろう。

 一度、噴水を覗き込んだことがあるのだが、水が揺らめいてしまいよく分からなかったのだ。

 しかも高さのある噴水によじ登って見ていたので、落ちるのを心配した庭師に抱えて降ろされてしまった。

 池ならそうそう人もいないだろうし、顔が映るかも知れない。

 そんな事を考えつつ、執務室に到着する。

(そう言えば、一対一で話したことないなぁ)

 レイスヴァールは当主が留守にしているせいか代行を務めており、常に忙しい状態でハロルドが無理やり来た時にしか話せない。遠くから目が合うと微笑んで手を振ってくれてはいたが、思えばちゃんと話すのは初めてだった。

 緊張しつつ、ドアをノックする。

「タムです。お呼びと伺い、参りました」

 こういう仕事っぽい言葉は絶対に使いますからね、とユリから早めに教わっている。

「ああ、入ってくれ」

 中から許可が出たので、そろっと入り静かにドアを閉める。

 執務室の大きな机に座り、難しい顔をして書類を確認していたレイスヴァールはドアを背にしたタムをチラリと見る。

「呼び出しておいてすまないが、横のソファに座って待っていてくれ」

「はい」

 広い執務室の中にある応接セットの、長く大きなソファへ勢いをつけて座る。

 座面が高いので、若干飛び乗る形になってしまうのだ。

(この世界の人はみんな背が高いもんね〜。特に足の長さ!!なんであんなに長いのか)

 ユリですら170以上あるように見える。

 日本でもあらゆる場面でそう思ったが、異世界でも身長が欲しいと思うタムは一人で苦笑した。

「どうした?何か思い出したのか」

 レイスヴァールがいつの間にか横に立っていた。

 ここの絨毯は音がしないと思いつつ、タムは答えた。

「背が欲しいと思いました。ソファが、背が高いのです」

 座面が高いと言いたかったが分からない。こういう時、ユリなら単語を教えてくれるのだが、レイスヴァールは笑って頭を撫でる。そして隣に腰掛けた。

(正面じゃないんだ?)

 しかしレイスヴァールは気にせず話す。

「そうか。タムは小さいから少し不便だな」

「仕方ありません。もう45歳、背が伸びません」

「そうか?私は24歳だが、20歳過ぎてからも少し背が伸びた。タムも伸びるのではないか」

 45歳を強調してみたが、アッサリ流されて不思議に思う。しかもまだ希望はあると。

 異世界の年齢はちょっと違うのかと思い、流れに乗って質問してみる。

「あの、私は45歳です。しかし、皆さん…子供、のように、扱う。なぜですか?」

 覚えた言葉を総動員してなんとか伝えた。

 いつも質問したいことはたくさんあるのだが、言葉が追いつかずに歯がゆい思いをしている。

 心配になり、横に座ったレイスヴァールを見上げると、少し驚いた顔をしていた。

「それは…獣人だからだが…タムは獣人としての自覚がないのだな。…獣人がどういう種族で、どういった特性があるのか分からない、という事か?」

「!!」

(そうそうそう、それ!!!みんな知ってると思ってて言わないやつ!!)

 タムは勢い付けて何度も頷いた。

 なにせ、異世界人を説明できないのだ。日本のことを説明したいが、今の所は該当する単語もないし、文法や名詞を覚えきっていないので説明して分かってもらえる自信がない。

「なるほど、人の中で育ったということか。珍しい毛色だからな…親は?」

「とても昔に、亡くなりました」

 事実だからこう言う他ない。こっちの世界の親は当然いない。

「すまない。想像できる範囲だった」

「いえ、もう過ぎた…昔、ですから」

 タムは慌てて深く頭を下げたレイスヴァールの顔を挟んで持ち上げる。

 随分前に亡くなっているので、悲しむ感情よりは懐かしむ感情へ変化しているから気にしてほしくない。

 無理やり顔をあげさせられたレイスヴァールは、顔が緩み、笑いをこらえている。

「なるほど、これが熊獣人の肉球か」

「あ、すみません」

(肉球で挟んじゃった。気持ち悪かったかな)

 滑り止めの意味があるのか、ずっとしっとりしている。

 しかし、レイスヴァールは違う意味での感想だったようだ。

「見せてくれるか?」

「はい」

(肉球フェチだ)

 日本の友人にも居た。ガラスの下から見るのが至福なのだそうだ。

 そう思いつつ、両手の平を差し出す。形は人と同じだが、表面にプニプニした何かが貼り付いているのだ。

「少し硬いが弾力があって、滑り止めで水気があるのだな。爪も綺麗な蜂蜜色だ」

「は、はい」

(うーん、どうしよう、コレ)

 滲み出る人の良さオーラですっかり忘れていたが、レイスヴァールはハロルドには劣るものの十分イケメンだった。イメージで言うならハロルドがキラキラ王子様、レイスヴァールは寡黙な騎士。

(いや、まんまだ)

 そのイケメンが自分の手をモニモニさわっている。施設のご老人たちや遊びに来た孫たちにも、タムのぷにぷにの手は好評でよく触られていて慣れていたが、その状態とは全く違う。

(ちょっと恥ずかしいな)

 くすぐったいような、嬉しいような感覚。そんな感情はとうの昔に置いてきたと思っていたが。

 微妙な気持ちが表情に出ていたのか、タムの顔を見てレイスヴァールは慌てて手を離した。

「すまない。つい、手触りが良くて…。って、ご婦人に言う言葉じゃないな、本当にすまない」

 大慌てのレイスヴァールにタムは一瞬キョトンとしたが笑う。

 施設の遠慮のないご老人たちには、減るもんじゃないし!とよく言われてたので、レイの反応は新鮮だったのだ。

「レイ、謝らない。手は減らない」

「そ、そうか。まぁ減らないが…すまな…おっと、謝り過ぎだったな」

「はい」

 タムがクスクス笑った顔を見て、レイスヴァールは照れ笑いする。

 そして、そうだ、と思い出したように立ち上がって部屋の奥にあった給仕ワゴンを引っ張ってくる。

「話す前に出そうと思っていて、忘れていた」

 ポットウォーマーに入った紅茶と、マーサ特性の甘さ控えめなチーズケーキのタルト。上にはたっぷりと蜂蜜が乗っている。

 思わずタムは前のめりになった。

「やはり蜂蜜が好きなのだな。マーサに聞いて用意してもらってきた」

 マーサはこの屋敷の厨房に居るコックの一人だ。デザートが大の得意で、タムがうろ覚えに伝えるレシピも再現してくれる、屋敷唯一だった熊獣人ですぐにタムの友人になってくれた。

 タムが紅茶を淹れようと立ち上がったが、レイスヴァールはそれを制して自ら給仕する。

 騎士団にいるからなのか、この家の教育方針なのか、とても手慣れている。

「どうぞ。食べながらでいいから、獣人のことを説明しよう」

「お願いします」

 既にフォークを握りしめていた彼女の姿に笑うと、レイスヴァールは獣人のことを説明する。

「獣人はこの世界の半分を占めるほど、たくさんいる。人とのハーフも多いので、そういった方も含めると半分以上だろうな。とにかくそれほど多く、珍しくない。人と同じように暮らしている」

 タムは頷いた。

(良かった、蔑まされてるとかはないのね。…あの二人は、単に気に入らない人をイジメるだけの人か)

 屋敷の外に出ると差別されるのか、とちょっと憂鬱だったが心配ないようだ。

「気性は種族に寄るが…もう純粋な種族はほとんど存在しないから、あまり意味がないかな。昔は狼は厳格で統率がとりやすいから騎士向きなどと言ったらしいが…今では人好きでパン屋をしている者も居る」

(その人は狼というより犬っぽいんだろうな〜)

 モグモグと蜂蜜タルトを頬張りながら思う。

 狼以外にも、兎、猫、鳥、蜥蜴など色々種類があると教えてくれた。能力も、血が混ざりすぎて何が出るか分からないらしい。

「それで、一般的に獣人は人の2倍の年齢を持っている」

「!?」

 思わず手が止まる。

「タムが子供扱いされるというのは、そのせいだ。見た目は早熟で15歳程度で大人と同じような体格になるのだが、中身は異なっていて…そうだな、50歳くらいでやっと大人の仲間入りと俺は聞いた」

「ご、ごじゅう…」

(それでやっと大人…)

 ということは、45歳のタムは大人になる手前で、もう大人だよ!と言っている子供のようなものか。

 それは頭を撫でられるというものだ。今までの45歳アピールが途端に恥ずかしくなった。

「騎士団の中にもいるが、孤児で拾われて周りに人しかいない環境で育つと、体格は良いが中身が子供なので人親は苦労すると言っていた。その方は古参の、100歳を過ぎている狼獣人だが…。今は世の中に獣人が多いから、皆、中身は晩成という事は知っているだろう」

 レイスヴァールは一息ついて紅茶を飲む。

(100歳でもふつーに騎士団にいるくらい、元気なんだ。…ん?)

「半分の人は、年齢はどうなりますか」

 ハーフや血が薄い人はどうなるのだろうか。

「ああ、それは生きてみないと分からないらしい。見た目は獣人でも、人のように老いる方もいるからな。逆もあると聞く」

 能力も年齢も博打とは、この世界は中々面白そうだ。血統を保つほうが大変だろう。

 だから、純粋な人である自分は熊獣人に変化させられたのかも知れない。

(年齢の疑問は消えた、けど)

 問題は見えない顔だ。45歳がヒヨッコなら、自分の顔は若返っているのではないだろうか。この部屋にも鏡はないようなので、レイスヴァールに直接聞こうと口を開く。

「私は、年齢が…何に、見える…ええと」

「?」

『幾つってなんて言うんだ』

 ぽつり、と呟いたその言葉をレイスヴァールを聞き逃さなかった。

「幾つ、だな」

「はい。ええと、私は、年齢が幾つに見えますか」

 レイスヴァールは真剣な顔でタムを見つめる。

(あれ、変な言葉だったかな?)

「言葉、間違えましたか?」

 彼は首を横に振った。

「タム」

「はい。なんでしょうか」

 じっと見てくるレイスヴァールの気配はとても真摯だ。

 タムはフォークを置いて真面目に向き直った。

「先程の言葉を、もう一度話してくれないか」

「先程の?…幾つ、の、言葉ですか?」

 するとレイスヴァールは困ったように言う。

「ああ、その一連の会話ではなく、君が呟いた神語だ」

 ヒアリングが出来ても分からない単語が出てきてタムは首を傾げる。こちらの固有名詞は分からないのだ。

「しんご?」

「そう、神の言葉とも言う」

(神の言語で、神語かな)

 言葉の意味は分かったが、別にそんな言葉を話してないのでタムは困った顔をする。

 レイスヴァールは腕を組んだ。

「俺の言い方が悪いな。…タム、君は女神様に召喚…いや、遠くから呼ばれたと俺は考えている。合っているか?」

「!…半分、合っています」

 正確には少年神だ。名前がまだ分からないので、説明が出来ない。

 しかし召喚という言葉がするりと出た。この世界では一般的なのだろうか。

「その、遠くに居た時の、君が住んでいた場所の言葉を話せるか?」

「あ!はい」

(なんだ、日本語の事を言っていたのか)

 やっと理解して、タムは日本語を話した。

『今話しているのが、日本語です。私は日本という国から来ました。少年の神様に攫われて来ました』

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