第3話 思惑

 一週間後、タムはユリに質問出来る位には単語を覚えていた。

「ユリ。これは、水、中に、入る?」

 名詞が少し多い質問ではあったが。

 少し考えてからユリは答える。

「ええ、水の中にレモンを入れてます」

(おお、やはり入ってた!!)

 水を飲み干してコップを返す。

「レモン水。これは、好き」

「私もです。疲れた時に良いのですよ」

 少し会話したあとは、文法のチェックと言い直し。

 詰め込み型ではあったが、根気よく丁寧に教えてくれたのでタムは苦にならずに覚えることができた。

「では、お庭を案内しましょう。今日は、初めての、場所ですよ。先日お教えした、お庭、です」

「はい。お庭、好き。いつも、ありがとう」

 ユリはクスクスと笑い、お仕事だけど楽しいのですよ、と話してタムを庭へ連れ出した。

(こんなおばさん熊に良くしてもらって、本当にありがたいんだけどなぁ…)

 今日の出で立ちはユリが用意してくれた落ち着いた紫のワンピースにスパッツ。

 この世界のワンピースは背中開きが普通らしい。

 背中にあるボタンに全く手が届かないので、いつもユリに着替えを手伝って貰っていた。

 そしてそのワンピースはレイの亡くなった祖母のものらしい。どうやら同じ体型だったようで、祖母の姿と服装を知る人と合うたびにビクッとされた。

(廊下長いなぁ…)

 この屋敷は相当大きく、廊下の長さは軽く50メートルくらいある。

 その途中にたくさんの客間や会議室、キッチンや食堂等々、これまたたくさんの部屋がある。家と言うよりは施設のようだとタムは思った。

 長い廊下を歩き庭に出ると、その庭もかなり広い。端がわからないほどだ。

 巨大な噴水まである外国の王城のような、迷路付きの庭にタムは驚く。

(ひょえ〜。これは…完成美ってやつだ…)

 庭職人がアチコチで仕事をしている。

 施設の小さい庭の草むしりだけでも大変だというのに、仕事でこんな広い場所を任されたら絶対に痩せるとタムは思った。

「とても、広い、綺麗」

「ええ。天の庭に居られる最高神、フェーラ様からもお褒め頂いております」

 先日教わった単語を聞き取る事ができたので頷く。

 タムは空を見上げ、小さく見える島を見つけた。

(あれから落ちてきたのか…)

 その時の事を思い出して、ブルっと尻尾まで震えた。

 島で落ちる直前に彼女が会ったのは、おそらくフェーラ様という女神。

 この世界を創った神様らしい。

 そして落ちたのを助けてくれたのがレイスヴァールという青年で、竜を操る竜騎士団の一員、この屋敷を保有するグランスピリット家の嫡子と教わった。

(よく私を受け止められた思うけど…)

 細そうだが力はあるのだろう。

 いつも微笑んで声を掛けてくれる姿を思い浮かべる。

(あっっ)

 遠くに聞こえた声を耳が拾ってピクッと動いた。

「ハロルド様、きた」

 頬を手で押さえユリに伝えると、彼女はまたか、というような顔をした。

「体を触ろうとしたら、以前のように投げ飛ばして下さいませ」

「はい、分かりました」

 この屋敷に来た当日、レイスヴァールが友人だというハロルドを連れてきた。

 レイスヴァールとともに落ちたタムを救ってくれた人と説明を受けたのだが、親友と言う割にハロルドを牽制している彼に疑問を覚えた。

 が、それは直ぐに判明した。

「タム!」

 薄い金色の長い髪を結わえた、青い目の超イケメンが庭にやって来て彼女の名を熱っぽく呼ぶ。

 背後には渋い顔をした監視役のレイスヴァールがいてハロルドのマントを掴んでいた。

 初日に会って依頼、レイスヴァールが自分無しに会うことを禁止している為だ。

 タムは身構え、ユリが前に立ちはだかる。

 流石に察したのか覚えたのか、ハロルドはゆっくりと近づいてきた。

「今日も美しいね、タム。ああ、逆立てると美しい髪と可愛い耳が台無しだよ」

 ニッコリと微笑む。

(誰のせいだと)

 野生の本能なのか、ハロルドを目の前にすると背中が尖る感じがする。実際に頭と尻尾が2倍に膨れているらしい。

「お前のせいだ、ハロ」

 呆れ顔でレイスヴァールは言うが、彼はへこたれない。

「だってこんな美しいご婦人をみたら、抱き締めずには居られないじゃないか!」

 そう、彼は初対面で目と目が合った瞬間、タムに抱きついて来たのだ。

 一瞬呆けたタムだったが、レイスヴァールが駆け寄るより先にハロルドを投げ飛ばした。

 柔道経験者のお年寄りに付き合うため、少し技を習っていたのがこんな所で役に立つとは。

(払い腰が見事にキマったんだよね。でもあの人、騎士だよね?)

 騎士のくせにか弱い女性に投げられるとは、ここの騎士団は大丈夫なのだろうか。

 おばちゃんに投げ飛ばされるとは思っていなかったのかもしれないが…。

「ハロルド様、今日は、どうしましたか」

 何しに来たセクハラ野郎!と言いたいところだが、そこまでの語彙力がない。

 青い目をこちらに向けた彼は、ニコリと微笑んで持っていた物を差し出した。

「……?」

 ハロの手の上にあるのは、金色の小さな指輪。極小の鎖で大きめの蜂蜜色の丸い石がぶら下がっている。

(えーっと、これはどういう…意味かな…?)

 レイスヴァールとユリも目が点になっている。

 初対面で花束、次にハンカチ、絵や枕カバーときて、今日は指輪になった。

 早くないか。

 タムがその意図を解りかねていると、固まった二人が我に返りハロルドを止める。

「ちょっと待て、ハロ」

「女性への贈り物にしてはいささか重いかと…」

 どうやら認識は同じようだ。ハロルドは笑う。

「違う違う、そういう指輪じゃない。これは防護の魔法が付与されたものなんだ。…できれば腕輪が良かったんだけど、今切らしてて入荷するまでの繋ぎだ」

 彼の家は商家だそうだ。貴族と付き合えるほどの豪商でこの領地では一人勝ち状態とのこと。もちろん、他の領地にも顔が聞き、手広くやっているらしい。

「変な意味がないのならいいが…」

 レイスヴァールは渋々言う。

(でもさ、嵌るの?それ)

 ピンキーリングのような小さい指輪なのだ。

「指、大きい、から」

(嵌められるってどう言うんだ…)

 困った時のユリ頼み!とばかりにタムはユリを見る。

「ハロルド様、タムは嵌められるかどうか心配のようですよ」

「はい。はめられるか?分かりません」

 今習った言葉を伝えると、ハロルドはニッコリと頷き、更にもう一つと金の鎖を出した。

「これで首から下げられる。オレがつけてもいいかい?」

 渋々とユリが退き、レイスヴァールにビッタリくっつかれたハロルドがタムの背後に回る。

「ふふ、可愛いうなじだね」

 後ろから囁く声に、ゾワっと毛が逆立つ。

(ヒィィィィ〜!)

 我慢です、と呟いてユリが両手を正面から握ってくれた。

「余計なことを言うな。言葉が分からないタムが怯える」

「…ああ、そうだったね。すまない」

 レイスヴァールがたしなめるが、言葉が分かってても分からなくても、一方的な好意は怖いとタムは思う。

(ほんっと、デブ専なのねこの人)

 施設でも居たが、しょっちゅう贈り物を持ってきていた。受け取れないと言うと、一緒に食べようとお菓子を持ってくるようになり、痩せさせない気か、聞いたらその通りだと言う老人に笑ってしまった。

「よし!これで君を攫おうと魔法弾が飛んできても大丈夫だ」

(こんなオバちゃん誰も攫わないって…)

 金の華奢な鎖のネックレスの先に付けられた指輪…というより石がコロコロと転がる感触がする。

「アリガトウゴザイマス」

 棒読みでお礼を言う。

(痩せれば小指くらいには付けられるけど、そうなったらもう、ハロルド様は私に興味をなくすんだろうな)

 言葉の難とレイスヴァールの監視付きのため会話がそれほど出来ていないので、タムの人格はまだハロルドには知れていない。この好意は完全に見た目だけだろうとタムは思う。

「お礼はいいよ、君のような美しい人が狙われたら大変だからな」

 正面へ周り、ペンダントの長さを確認してハロルドは頷く。

(本気で言ってるから怖い…)

 おばさん熊に贈り物するイケメンの生体が分からず、タムは困惑した。

「さぁ、ハロそろそろ行くぞ。今日は午後から訓練だ」

 タムの正面から動こうとしないハロルドのマントを引っ張り、レイスヴァールが引きずって行く。

「ああ、もう少し見ていたい…オレの女神」

(よくそーゆー言葉がサラっと出てくるな、この人)

 言い慣れている感じはあるが、見た目に似合っていて違和感はない。普通の女性からさぞモテる事だろうが、その女性が彼の性癖を知った時の心情に思わず同情した。

(うーん、どうしよ。毎度手ぶらで返してるしな…)

 居候なので仕方ないが、高価そうな贈り物を貰った手前、引きずられたまま返すのは忍びなかった。

「ユリ、二人の、見送り…したいです」

「…タムは義理堅いようですね。分かりました、門の手前までですよ」

 歩き出した彼女の後について行くと、ハロルドは飛び上がらんばかりに喜んだので、タムはちょっと後悔した。

 門まで行くと広大な広場があり、竜が二頭、休んでいる。

 レイスヴァールの騎竜マグリーと、ハロの騎竜ルイス。

 マグリーは緑色の体に金の目で鋼色の角を持つ。ルイスは騎乗者に似たのか、青い体に青い目で白い角を持っている。

 3日前に初めて会ったが、とても静かな瞳と、神々しい大きな体に圧倒され、タムは彼らに魅了された。

 ハロルドを見送るというよりは、彼らを見たいと言うのが本音かも知れない。

「触れても、良いですか」

 レイスヴァールとハロルドに伺うと、揃って承諾してくれた。

 マグリーは完全にタムを敬っているし、ルイスはマグリーの後輩なのでそれにならっている。

 2頭に近づき、大きな頬に顔を寄せた。

(暖かい…)

 竜は人よりも体温が高い。砂の温泉の温度のようだとタムは思った。

 表面の鱗はツルツルしている。

『マグリー、いつ見ても月のような金のお目々が綺麗ね』

 レイスヴァールとハロルドが準備をしている間、こっそり日本語で話しかける。

【ありがとう。タムの蜂蜜のような金の瞳も美しいわ】

 驚いたことに、竜はタムが話す日本語が分かるようなのだ。

 初めて会った時に、綺麗、と呟いたところ、マグリーがお礼を伝えてきたのでタムは驚いたが非常に嬉しかった。

 自分では見えない瞳の色も彼女が教えてくれた。

 マグリーはタムの鎖骨にある、ハロルドの匂いのするペンダントに目をつける。

【ハロルドはタムにご執心ね。少々粘着し過ぎよ。ルイス、なんとかならないの?】

 先輩の言葉に、ルイスは申し訳ない顔をする。

【僕の言葉は聞こえませんからねぇ…ここに来ようとしたら、別の場所に行くくらいしか出来ません】

 タムはルイスの顎を撫でながら言う。

『いいよ、また抱きついてきたら投げ飛ばすから』

【ホントすみません】

【まったく人間は年中発情してて面倒よね】

 マグリーのストレートな物言いに、タムは苦笑する。

『二人はこれからお仕事?』

【ええ、訓練と兼ねて国境を見て回るのよ。他国に見てますよ、という牽制と私達の優美な姿を見せるのよ】

【時間になると、みんな空を見て大騒ぎするんです。特に子供には大人気ですよ】

 竜が棲息し、騎士団へ有効的に竜が協力している領地は少なく、グランスピリット領は国最大の竜騎士団を保有している。

 王になろうと思えば成れる力も資金もあるが、歴代の領主は魔族の国と竜の谷と、フェーリア国を護るために尽力している。

 なぜグランスピリット家は王にならないのかとマグリーに聞いた所、王なんかになったら面倒なだけ、地方領主のほうが幸せなのよ、と教えてくれた。

 それを聞いて日本の会社みたいだな、とタムは思った。普通の会社に勤めている友人がよく、昇格はしたくないけど給料は上がって欲しいとボヤいていたからだ。

 ここはお金も力も潤沢にある様子。それならば権力と重圧な責任は不要になる。

(見るからにホワイトそうだもん)

 屋敷に務める人は皆、温厚で親切丁寧。ユリ以外のメイドも庭師も、居候のタムに優しかった。良い上司に、良い仕事、良い給料は人を穏やかにするのだ。

【そろそろね】

【タムさん、行ってきます】

 レイスヴァールとハロルドが近づいてきたので、彼女らは首を上げた。

『うん、気をつけてね』

 二頭の体をそれぞれ撫でると、ユリの元へ行く。

「タムは…物怖じしませんね。…ええと、怖がらないという事です」

「はい。怖くないです。竜はきれい」

 ニコニコと伝える。会話が出来ることも手伝って、全く怖くない。

 この世界には竜以外にも、日本にはいなかった幻獣がたくさんいるらしい。ちょっと見てみたいと思う。

「見送る、言葉は?」

「行ってらっしゃいませ、ですね。では、一緒にお伝えしましょう」

 レイスヴァールとハロルドが騎乗し、二人で目配せをして飛び立つ合図をしている。

 そこに、ユリと二人で声を掛けた。

「「行ってらっしゃいませ!」」

 ユリは静かに、タムは大きな声で。

 少し驚いていたレイスヴァールは笑みをたたえて頷き、ハロルドは素晴らしい笑顔で手を振ってくれた。

 タムが手を振り返すと、竜は羽ばたき空へと舞い上がる。

(思ったよりも爆風が来ないんだよね…どういう原理なんだろう?)

 ドクターヘリなぞ出迎えた日には爆風で吹き飛びそうになるのに、竜の羽ばたきを間近で受けても強い風が吹いたくらいの威力だ。

 空を見上げて二人を見送る。

 空の色や雲は日本と変わりないが、こちらのほうが湿気がなく気候は過ごしやすい。今日も穏やかに晴れて勉強日和だ。

「さ、お庭でお勉強の続きをしましょう」

「はい!」

 ユリと共に、タムは庭園へと向かった。


◆◆◆


 こちらは空の上の二人。

 竜は風を制し、翼の他に魔力で飛翔をしているので風を切る感じはあまりない。

 ゆっくりと飛びながら、騎士団の基地を目指す。

(それにしても、指輪とはな…)

 親友の好みのタイプだろうとは思ったが、今回は思った以上に熱を上げている。

 確かにタムには、つい見てしまう不思議な魅力がある。

(それに、あれは)

 先程ハロがタムへ渡したものに、見覚えがあった。

「レイ、タムは本当に可愛いな。蜂蜜のようで食べてしまいたいくらいだ」

 彼の得意な風の魔法で声を届けてくる。もちろん、自分が話せば拾ってくれる。

「頼むから、彼女の正体が分かるまでおとなしくしてくれ」

 領内で身元を確認中なのだ。勝手に手を出されて、後で家から苦情が来ても困る。

「彼女は天の庭から落ちてきたんだぞ?言葉も話せない、服も鑑定したが全く分からない素材のもの…どう考えても、女神に召喚されたとしか思えないじゃないか」

「それはそうだが…」

 自分もそう思ってはいるが、確証がない。国は召喚が必要な状態ではないし、神託もない。それに通常、召喚された者は言葉に困らない筈なのだ。

「それに、お前も気づいてるんだろ?」

 心の内を見透かされたレイスヴァールは苦笑する。

「ハロは、そうだと思ってるのか?」

「もちろん!どう見ても、あのハニーベアじゃないか!」

 ハニーベア、とは小型の熊の獣人のことだ。毛と爪が蜂蜜色の熊。領内だけではなく、国内でも知らない者はいない。

「だがあれは絵本の内容だぞ」

 そう、ハニーベアは子供が必ず読む絵本に出てくる可愛く勇ましいキャラクターなのだ。

 ハニーベアが旅をしながら困っている人を助けるという、ありふれたお話。

 子供にも大人気で、だいたい一家に一つはハニーベアのぬいぐるみがあるものだし、贈り物の鉄板でハロの店でも売れ筋商品だ。商家で取り扱っていないところはない。

 絵本の内容は史実と言う者もいるが、ハニーベアのような獣人を誰も見たことがない。

 熊系統の獣人は、黒や茶、灰色…親の都合でたまに銀色の者も生まれるが、金の毛並みを持つ者は今まで確認されたことがなかった。

「本物なのかは、さっき渡した宝石で分かるだろう」

「やっぱり蜂蜜石だったか…」

 先程の指輪は、本来は子供が生まれた時に親が子へ贈るもの。ハニーベアのように優しく勇ましく育つように、と願いが込められている。

 蜂蜜石は、クラックやインクルージョンが少し入った蜂蜜色の石で、グランスピリットでも採掘される。

 なんの変哲もない貴石だが、絵本ではハニーベアの胸に埋まっていて、魔力を貯めると言われている宝石として紹介されている。その魔力を使ってハニーベアは困難を乗り越えたり、人を助けたりする。

 実際は、魔石と呼ばれている石に比べてそれほど魔力は入らず、採掘量も多く安価な貴石のため、生活器具の装飾や市民のアクセサリーによく使われている。

 しかし見た目が一つとして同じものがないため、貴族にも人気のある石だ。大きさや色の品評会もある。

 ハロは誰しもが持っているそれを、彼女が持っていないとみて贈ったのだと最初は思った。

 魔法弾を防ぐ防護の魔法は、石ではなく指輪の方についている。

 …しかし、目的がもう一つあったとは。

(抜け目がない)

「さっきのは、ここ最近採れた物の中で、オレが一番きれいだと思ったやつだよ。彼女の毛色にとても合っていた」

 ウットリとした声が届く。表情は見なくても分かってしまう。

「では、もし彼女がハニーベアだとすると、あれが埋まると?」

 絵本では、鎖骨あたりに石が埋まっており、石の頭だけが少し出ていた。

「そうだな。リングを付けてネックレスにしたのは、フェイクだ。本当にハニーベアだったら…何もなしに胸元に留まっている宝石を見て、誰かに攫われてしまうかもしれない」

 確かめたい思いと、彼女を奪われたくない思いが交錯しているようだ。レイスヴァールは苦笑する。

「ウチにいれば大丈夫だろう」

 本当に伝説のハニーベアだったとしたら、居候ではなく保護と言える。領主である父にも、彼女が屋敷にいる正当性を説明出来るだろう。そのほうがレイスヴァールにも都合が良かった。

「まぁ、そうだな。お前んちにちょっかいかける奴は中々いないだろうしな」

 王よりも力を持つグランスピリット家に喧嘩を売ろうとする国内の貴族はいない。

「まぁ、そうだが…」

 領内が平和なのは良いが、レイスヴァールの婚期を遅らせている原因でもあった。

 それを察してハロは意地悪く言う。

「魔族も今は交易が出来るほど落ち着いている。そのうち嫁いでもいいという、お前の母君のような強い女性がきてくれるさ」

「それは、勘弁してほしい」

 タムの問題が収束するにつれ、もう一つの問題が頭をもたげていた。

 レイスヴァールの母は、過去に別の国の騎士団に所属したほどの勇猛な女性だ。国一番の素早さを誇る赤竜で、空を滑空する姿は戦姫と呼ばれたほど。

 グランスピリットとは別の国境を守護していたが、侯爵家という身分でもその勇ましさからか中々嫁の貰い手がなく、国内随一の領地の運営で誰からも尻込みされていて同じように婚期を逃していたレイスヴァールの父の元へ嫁いできた。

 …と彼は聞いている。

 その勇猛な母はもちろん今でも健在なのだが、今は訳あって部屋から一歩も出ていない。

 ふと考えかけて、ハロの言葉に思考を中断した。

「魔族のお嬢さんもとても綺麗だぞ。魔力も高いし高度な魔法も使える、そして覇気も強い。お前の家にはちょうどいいだろう」

 グランスピリット家には良いのかもしれないが、穏やかな性格のレイスヴァールには考えられない。

「俺は落ち着いた優しい人がいい…」

 母親とは正反対な女性像を上げ、気弱な感情が滲み出ている言葉に親友は笑っているようだ。

「まぁ、そのうち天の采配というやつで、運命の人が現れるさ。オレのように!」

 タムのことを言っているのだろう。しかしその言葉は何十回も聞いている。

「あの子は俺の家族にするんだ。遊び回るお前に誰がやるか」

 落ち着いたら養子にしようとユリと相談している。

「えぇ!?ずるいぞ!!…だいたい、獣人族だからお前より年上だろうが」

 獣人族は人の二倍生きる。タムの見た目が20歳前後なので、おそらく獣人の年齢は40歳ほど。

「彼らは晩生と聞く。俺が24歳なのだから、年下とみていいだろう」

 実際その通りで、20歳の獣人と人とを比べると、獣人はとても子供っぽい。

「うぅ、オレのタムが…」

「いつお前のものになったんだ。だいたい、お前、避けられてるだろう」

 タムは押しが強いハロが苦手なようだ。ユリに聞くところによると、彼女はハロが来るとすぐ分かるようで、毛を逆立てているらしい。

「そ、そのうち!!オレの誠意が伝わるはずだ」

「それなら女性のたくさんいる飲み屋に行かないようにしないとな」

「うっ…」

 それすら止められないようなら、タムは絶対に渡さないとレイスヴァールは心に決めている。

 相手の女性だって嫌だろう。いくら贅沢な暮らしが出来ても、夜な夜な遊びに行く亭主など…。

「ほら、そろそろ基地だ。今日の任務は長いぞ。気を引き締めろ」

「分かった…」

 巨大な石の塔がいくつも立ち並ぶ竜騎士団の基地へ、彼らは降り立った。

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