チルドレン・マグナム
――どんどんどんッッ!! と扉が強く叩かれる。まるでハンマーで殴りつけているかのような力強さに、声を聞く前から扉の向こう側にいるのは男性であることが分かった。
「ひっ」と怯えた家主の女性は、物音を立てないように壁に背中を預ける……、
居留守を使ってこの場を切り抜けようと考えたのだ。
「――おい、大丈夫か!?
今、この村に魔物が入り込んでいるんだが……、異常はないか!?」
魔物? そんなものは見ていない。
ついさっき買い物から帰ってきたばかりだった……、村に魔物が出たなんて連絡はなかったし、異常もなかった……強い戦士が多い村だ。
魔物が入ってきたところで、こうして『誰か』が家まで危険を知らせにやってくるとは思えない。魔物を見た者が手早く片付けるはずである……、なのに扉の先にいる男は、わざわざ危険を知らせにきてくれている……本当に危険を知らせているのか?
危険なんてそもそもあるのだろうか?
「……注意喚起がされてたはずだもの……」
危険を偽り、避難の呼びかけに乗じて家に押しかけ、家主の殺害と盗難を繰り返す盗賊が近くの村に出ていると……。
その盗賊がこの村にまではやってこない、とは言えない。
知らない男性の声だ、扉を開けるのは論外である……。
彼の言葉を信じて、『魔物が出たから』と言って避難することも同じく。
だからここは、息を潜めて、扉の前から相手が去るのを待つ――。
じっと、一切の反応を見せないでいると、扉の前から気配が消えた。
……ふう、と息を吐いた女性が壁から背を離し、普段通りの日常へ戻った。
窓の外を見ても、村に異常があるわけでもなさそうだ……。
魔物? そんなの、影も形もないじゃないか。
「魔物はいないけど、でも盗賊は村に入り込んでいるようね……」
魔物と違って分かりづらいだろう……、
だから駆除してほしいと言っても、頷いた後に手早く、とはいかない。
せめて私が顔を見ていれば……、と、居留守を使ったことを少し後悔したが、扉を開けていたら殺されていたかもしれないのだ――、負えるリスクではなかった。
「さて、お洗濯の続きをしましょうか」
――しばらくして。
今度は控えめなノックがあった。
「うん?」
一通りの家事を終えて、椅子に腰をつけた瞬間だった。
立ち上がるのも億劫だが、出ないわけにもいかなさそうだ。
控えめなノックではあるが、数秒の間をおいて何度もノックされている……、お届けもの?
扉に近づいた女性が聞いたのは、少年の声だった。
「――魔物が出ました! 危ないからお姉ちゃんも逃げて!」
え? と思わず扉を開けてしまう。
隙間から見えたのは、六歳か、七歳か……それくらいの少年である。
彼は家主の女性がいたことに気づき、隙間から手を伸ばして女性の袖を掴んだ。
「え、ちょっとっ、」
「早く逃げないと! 魔物に食べられちゃうよっ!」
村を見れば、確かに並んでいる家は破壊されていて、傍にある木にも、べったりと赤い血がついている……、本当に、魔物がいた……?
「……よかった、お姉ちゃんがいてくれて……。さっき男の人が呼びにいったのに、いなかったから――もう魔物に食べられちゃったのかと思ったんだ」
ということは、さっき扉を叩いた男性は盗賊ではなく、村の人だった……?
だけど小さな村なのに、知らない声だったし、だからこそ面識がなかった――もしかして別の村からやってきた応援だったのかもしれない。
だとすると悪いことをした、勘違いで居留守を使ってしまったのだから――。
「じゃあ、君も、別の村の子……?」
村の子供は、村の大人みんなで守り、育てる方針だ……。
だから面識がない子がいるわけないのだが……。
もちろん、紹介されていなければ知らないのが当たり前だ。
彼女にだけ知らされていなかった、なんて想像はしたくないが、あり得る話ではある。
別の村の子だとしたら――いや、面識がある子でも同じく、魔物が徘徊している現状で、迂闊に他人を助けるために動くべきではない。
誰かを助けようとして自分が死んでいたら元も子もないだろう?
気持ちは嬉しいが、危ない橋を渡るべきではない。
小さな子供なら尚更だ。
「別の村の子だったら……お姉ちゃんを助けちゃいけないの?」
「え? いや、そんなことはないけど……」
「子供が優先されるの? 大人はあと回し? 子供がいたら大人のことは見捨てなくちゃいけないの? ……ちがう、命に優劣なんてない、誰が優先されるべきだなんて、言いたくないっ!」
「うん、それはそうなんだけどね……。でも、全員は救えないからさ、やっぱり、優先順位は絶対にあるものなんだよ。優劣をつけた方が助けやすいってのもあるし……」
少年は、納得したような、でもしたくないような、そんな表情を浮かべていた。
怒っているのか、いじけているのか……、彼女が知る村の子供とは違う考え方だ。
別の村の子は、大人びている。
まあ、理想論であることは否めないが。
「だからね、君がまず助かるべきなの。私のことは後回しでいいから――」
「でも、……っ、――お姉ちゃん、家の中に!!」
「え? わっ!?」
押し倒されるような勢いで家の中へ。
少年がすぐに扉を閉める。……なにかから逃げるように……、そして、息を潜めるようにぴたりと静止する……。心臓の音まで止めるような、完全な静寂だった。
外から物音は聞こえない…………、聞こえない?
魔物が外にいるのではないのか?
「……どう、したの……?」
静寂がしばらく続き――聞いてもいいものか、声を出しても、動いてもいいものか悩んだが、彼女は意を決して動いた。
でないと一生、このままな気がしたから――。
「……大人が叩けば居留守を使ったのに……どうして子供が叩けば、扉を開けてくれたの――お姉ちゃん」
「それは……、だって大人よりは子供の方が信用できるかな、って……」
「でも、子供の方が嘘をつくよ」
悪意があるにしろ、ないにしろ。
大人は悪意を持って嘘をつく。人を騙す。だけど子供は悪意を持たなくても嘘をつく……そして、大人と同じように、悪意を持って嘘をつき、人を騙すのだ……。
大人も子供も、危険性は変わらない。
なのに――、
大人……しかも男性の善意は切り捨てて。
子供の怪しさには無意識に目を瞑って、言われたことを信じてしまっている……。
だからこそ、今、家の中で二人きりという危機的状況に陥っているのだ。
「……君、誰なの……?」
「ボク、言ったよね? 魔物が出ました! って」
どこに、とは言っていないが……だからこそ、『向こうに』とも、『ここに』とも言えるわけだ。そして真実は『ここに』だったわけだ――。
少年の姿が変わっていく。
体の大きさこそ変わらないものの、
青い体毛に覆われた彼は、鋭利な牙を持つ、魔物である。
「人間の女、だァ……最小限の労力で最高の旨味をもらうぜぇ!!」
そして。
女性にめがけて、魔物が飛びかかった。
二回目の訪問だった。
先ほどは留守だったようだが、今度はどうだろうか……――扉は開いていた。
隙間から血が大量に流れている……、およそ人間、一人分の量ではなかった。
おそるおそる、扉を開けると……、部屋の掃除をしている女性の姿があった。
「――誰!?」
「あ、すみません……先ほど扉をノックしたものです……」
あら、と口元に手を持っていった、お茶目な反応をする女性は、頭から血を被ったように全身が真っ赤だった……。
部屋の掃除よりもまず水浴びでもした方がいいだろうに……。
だが、彼女が優先したいのは部屋の方だったようだ。
「……魔物は、討伐できたみたいですね」
「ええ。武器もなく、腕力だけで襲い掛かってきたので、こっちも平等に、拳で応えてあげました……。ボコボコにしてしまいましたけど、大丈夫ですよね?」
「それは大丈夫です、が……。殴打、だけでここまで血が流れるものですか……?」
まるで刃物で切断したかのような血の量だが……、彼女は殴打しかしていないらしい。
殴って、殴って、殴って、殴った。
圧迫することで穴という穴から液体を出すように。
最後の一滴まで、単純な力で絞り取ったように――。
「……? 変ですか?」
首を傾げる女性である。
……その細い体のどこにそんな力があるのか、
体を鍛えている男性よりも強い腕力を持っているだろう。
「いえ、気にしないでください」
「あっ、あの……、さっきは居留守を使ってしまってごめんなさいっ!
その、やっぱり知らない男の人の言葉は信用できなくて……」
「それも気にしないでください。女性からすれば、怖いのは当然ですからね。本来なら、緊急事態ですから、扉を蹴破ってでも侵入して、家主の生存を確かめていたものですが……、
『あなた』なら大丈夫だろう、と指示を受けていましたので。
……『あなた』だから、という理由で放っておくことはしたくはなかったのですが……。他にも回るべき家があったもので……、申し訳ない」
「大丈夫ですよ、こちらこそ気にしないでください。
それに、ほら、こうして侵入した魔物も倒せましたし――村の方は無事ですか?」
「はい。死者はいません……、怪我人は数人、出てしまいましたけど……」
「あはは、普段から怠けている罰が当たったんだと思いますよー」
誰が怪我をしたのか、女性には分かっているのかもしれない。
男性も女性も関係なく、素手で魔物と戦える『戦士』が集まる村である。
その強さは身の丈以上の巨大な魔物であっても対抗できる戦力を、一人が保有している……村には二十人ほどが暮らしており、つまり大半が『戦士』であるわけだ。
大人も子供も男性も女性も関係ない。
見た目の違い、というだけだ。
青い体毛の魔物は、自身を子供に変化させることで、女性から油断を誘ったが、しかし魔物もまた油断していたのだ……、決めつけていた?
大人は信用されにくいけど、子供なら信用されやすい、という思い込みと同じく。
男性が強くて女性が弱いという先入観に、まんまと騙されていた。
今回は、油断がそのまま死へ直結したケースである。
「……お姉さん、とりあえず、体を洗いましょう。
掃除したばかりのところに血が落ちていますから。これじゃあ一生、終わりませんよ」
「……そうみたいですね」
やっと気づいてくれた女性が、あ、と手を叩く。なにか思いついたようだ。
「一緒に水浴びをしますか?
お兄さんも汚れているでしょうし……お背中、流しますよ?」
「いえ、お構いなく」
可愛らしい女性だが、さすがに。
さすがにまだ、無理だった。
背中を見せるには、恐怖が消えない『圧倒的な力』を見せつけられている……、
正直なところ、
彼女が見せてくれる裸への興奮よりも、死への恐怖がまだ勝っていた。
「お仕事ですか?」
「はい。なので機会があれば、いつかまた――」
「うふふ、約束ですよ?」
……あれ? ロックオンされている?
ただの目配せだろうけど、まるで獲物を見つけたみたいな――。
彼女から逃げ続ける想像が、まったくできなかった。
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