無口な「いるまちゃん」その2

 切実な彼女のお願いに、僕はうんうんと頷く……。

 逸脱した行為をしたら、なんだかヤバそうだ……、ここは従っておくしかない。


 あれをしろこれをしろ、と言われるよりはまだマシである。


「いるまさんの姿……、せめて見たかったけど……」


「美術部が書いたイラストがある……それも含めて後で見せてやるから。女子トイレはもちろん人払いするし、話し合いにも使うって、みんな分かってる……変態扱いしないからこい」


「……いるまさんって、女子なんでしょ? だったら男子トイレの方が――」

「汚いからいきたくないよ」


 あ、そうですか。

 そうこうしている内に始業の時間になってしまったので、みなが席につく……。当然、いるまさんも。僕の隣に、座っているのだろう……姿は見えないけど。


 先生が入ってきて、久しぶりの僕の登校に一言だけ言って、後はいつも通りだった。

 いるまさんの存在は先生も認識しているらしく、点呼も取っていた……、返事はなかったけど、先生はあったことにして頷いていた。


 それとも、僕だけまだ、いるまさんの声が聞けないのかもしれない……。


「(いるまさんの質問を僕に伝えてくれるって言っていたし、やっぱりみんなは『いるまさん』の声が聞こえているってことだよね……?)」


 ちらり、隣の席を窺うと、見えないはずなのに視線を感じた。優しい視線だ……。


 ドキッとするような――ただこれは、僕に耐性がないだけかもしれない。


 引きこもる僕を、優しく守ってくれたのは母親だけだったから……。


 見えないからこそ、僕は無意識に、いるまさんに母親を重ねてしまっていた。




「あんた、いるまちゃんになにを付け加えた?」


「え?」


 女子トイレに入って、待っていた女子にまずそう言われた。

 なにを付け加えた? ……言っている意味が分からなかった。


 言葉の意味は分かるけど、人間に使う言葉ではない気がする……、見えない『いるまさん』が人間かどうかは今は置いておくが。


「な、なにも……」


「嘘。あたしらは『いるまちゃん』にこれ以上、『設定』を加えないように調整していたのよ。勝手な想像で『いるまちゃん』がどんどんと発展していってしまえば、誰の手にも負えなくなるから――。だから今の姿に留めているのに……、新しい設定が足されていれば、今日登校したあんたしかいないってすぐに分かるわよ」


「……そもそも、いるまさんって、なんなの? どうして僕には、見えないの……?」


「あんたが久しぶりに登校したからに決まってんでしょ」


 それ以外にある? と言われたも同然だった……、まあ、そうだよね、引きこもっていたからこそ、クラスの状況がまったく分かっていないわけで――。


 いるまさんのことも、もっと言えば目の前の女子の名前だって分からない。


赤俣あかまたよ。赤俣あかまた明里あかり


「あー……」


「覚えてないでしょ。いいわよ別に、あたしだってあんたのことは印象薄いし」


 お互いに。

 互いのことに興味がないようだった。


「それでも、これからは最低限の興味を持ってもらわないと困るわ……一緒にこの『呪い』から抜け出すためにも」


「呪いなの?」


「便宜上ね……っ――分からないわよこっちだって!

 どうして『いるまちゃん』が生まれたのか……、

 このクラスに、住みついたのかなんて……ッッ!」


 赤俣さんが言うには、最初は遊びで作った架空の生徒だったらしい……、僕の引きこもりが長期化したことで、あるイタズラのために、クラス全員で設定を固めていった存在……。

 登校した僕を驚かせるため(らしいけど、戸惑う僕をへらへら笑うためだろう……、いじめと言うには弱いけど、歓迎と言うには悪質である)――のつもりだったけど、二十名の男女が考えた設定、そして架空の生徒がいることを想定し、長く生活している内に、イメージが定着してしまった――ゆえに、命が宿った。


 想像上にしかいなかった『いるまちゃん』が、実在してしまった。


 ただ、知らなかった僕は『まだ』見えていないらしいけど……、いずれ見えるようになるのだろうか。


 でも、そうなると完全に、僕は巻き込まれたことになる。


 この『呪い』に――。


「実在してしまった『いるまちゃん』は、人の想像で設定が増えていく。見た目の設定はもう変わらないとは思うけど……、たとえば生い立ちや、趣味嗜好なんかは簡単に変わっていくでしょうね。それに、設定は上書きされるわけじゃないみたい……。

 元々ある設定に、新しい設定が横に並んでいく――、設定の矛盾は『いるまちゃん』の人としての自我を壊す可能性もある」


「……壊れたら?」


「さあ……、想像しない方がいいわ。『いるまちゃん』に拾われたら最悪よ。

 ただ、人格が壊れた人が普通に生活してくれるとは思えないけどね」


 クラスメイトのちょっとした想像から追加されていく設定、そして生まれる矛盾……。

 ミスを補うように新しい設定を加えて人格を整え、いるまちゃんを制御する……、それが今、僕のクラスを襲っている『呪い』なのだと言う……。


「呪いなら……お祓いとか……」


「頼んでないと思うの?」


 ……したけど無理だった、ということ?



「お祓いが通用しない……そういう設定が加えられたから……無理なの」


「――じゃあ、どうすれば、いるまさんを――」




「あーっ、錦くんが女子トイレにいるーっっ!」



 と、叫んだのはアニメ声の少女だった。


 ……声が聞こえた。振り向けばそこにいる……、

 ツインテールで、レモンの髪飾りをつけた、明るく活発そうな――『いるまちゃん』が。


 僕にも、見えるようになっている……っっ!?


「いるま、さん……?」


「クラスには溶け込めそう? 無理しないでね。困ったらアタシに頼っていいからね!」


「い、いるまさん……優しい……っ」


 こんな風に優しく接してくれるのは、母親以外にはいないから……!


「錦!? あんた、いるまちゃんとあんまり打ち解けないでよ!? あの子はだって――」


「『だって』……なーに? 明里ちゃん」


 いるまさんの言葉に怯える赤俣さんは、口を塞いで首を左右に振った……、まあ、彼女の言わんとしていることも分かる。

 いるまさんは『呪い』であり、仲良くなればなるほど、その呪いに飲み込まれるかもしれなくて…………、でも。


 たとえ、大口を開けた怪物に捕食されるとしても……、僕を引き寄せるその甘い匂いは、心地良くて……、母さんを、思い出せる。


 幻想でもいい……、また会えるのなら……。

 

 いるまさんに、頼ってもいいかもしれない――。



「……お母さん」


「え!? ちょ、アタシは錦くんのお母さんじゃないよ!? アタシは『いるま――」



「もう、お母さんでいいよ……っ!」


「え、え!?

 アタシ、同級生を息子くん扱いする趣味なんてないんだけどっっ!?!?」



 ―――

 ――

 ―



「……え、これ、新しい設定追加に、ならないよね……?」





 ―― おわり? ――

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