無口な「いるまちゃん」その1

 久しぶりに学校へやってきた。

 長い引きこもり生活も終わりを告げる……、別に、自分から登校しようと思ったわけじゃない。当たり前だけど、僕を引き取った親戚のおじさんの命令だからだ。


 ……理解がある親は先週、病気で亡くなった……、だから生活能力がない僕は親族に引き取られることになり――、そして僕の現状を良く思わないおじさんが、無理やり学校へ登校させたのだ。


 引き取ってくれた恩がある以上は、嫌だとも言えなかった。

 逆らえば僕は一人である……、家もなければ食べるものだってなくなる……幸い、多くは望まないようで、僕は学校へただ登校すればいいだけだ……。


 あの、僕を集団でいじめていた、クラスにいくだけ――。



 教室の扉を開けると、さっきまで騒がしかったクラスがしんと静まり返った……、みなが僕に注目している。

 肩にかけたカバンで顔を隠したかったけど、それをすると尚更、目立ってしまうから……伸びきったままの髪で顔を隠しながら、俯いて自分の席へ……席、へ……あれ?

 そう言えば、僕の席って、どこだったっけ……?


 半年以上も登校していなかったのだから、席替えをされていたらどこだか分からない……、始業前にきてしまったから、全員が席についているわけではないので、空席はたくさんあり、当てずっぽうで座るには勇気が必要だ……、

 無理だ、立ち尽くすしかなかった。


 すると、どこかでガタガタ、と椅子が動く音がした。


 誰かが立ち上がった?


にしきくんは一番後ろの、窓際の席だよ。ほらそこ、『いるまちゃん』の横」


「いるま、さん……?」


「いいから、席はあそこだから、後はよろしく」


 クラスメイトの女子(名前が分からない)は、言い終わってすぐに座ってしまった。そして途中だった友達との世間話に花を咲かせている……。

 あ、ありがとう、も、言えなかった……、たとえ僕をいじめていた主犯格の一人だとしても、親切なことをされたらきちんとお礼を言うべきなのに――。


「あ、ありが、」

「錦、そこ、立っていられると邪魔だから」


 男勝りの女子が僕の肩をどん、と押した。大げさに転んでしまったのは、単純に僕の足腰が弱いせいだろう……。彼女はそこまで強く押したわけではないはず……。


「え、貧弱過ぎないか……?」


 驚くのも無理ないだろう、だって僕だって驚いてるし……。

 今の力に堪えられないほど、僕の筋力が落ちているのか?

 確かに外で運動なんて、しばらくしていなかったけど……、ゲームですらしていない。ひたすら映画やテレビを見ていただけだ。


 受動的な毎日。

 自分から動いたことって、あったっけ……? 母親の葬式くらいかな……。


「あー、もう、相変わらず、ムカつく奴……――え? ああ、こいつは……錦だよ。

 下の名前? 知らないな。『いるまちゃん』が聞けば?」


 いるまちゃん?


 そう言えば、僕のクラスに『いるまちゃん』なんていたか? 既に名前を覚えていないクラスメイトが発覚した上で、なにを言っているんだ、って感じだけど……。

 聞けばぴんとくるだろう程度には記憶にある。なのに、いるまちゃんとは、言われてもぴんとこない。もしかしてこの半年の間にやってきた転校生、とか……?


「――――」


「おい錦、いるまちゃんが名前を聞いてる」


「え? ……いるま、さん……? どこ、に……」


「目の前。倒れたお前の前に屈んでるだろ……、バカ! 顔を上げるな!

 あんたはいるまちゃんとキスでもする気か!?」


 ……、……!?!? どういう、ことだ……? 目の前にいる、んだよね……?

 目と鼻の先に、『いるまちゃん』がいるって、彼女は教えてくれているはずなのに――。



 いない。


 そこにはなにもなく、空間だけがある。


 僕にだけ、見えない……?



「……からかわれてる……?」


 新しい『いじめ』が、既に始まっている……?


「おい錦、名前だ。下の名前」


 上から髪を掴まれ、ぐい、と引かれる……痛い痛いごめんなさい!?


「いいから答えろ。

 いるまちゃんの質問は、あたしが伝える、お前はそれだけに答えていればいい……」


「どう、いう……」


「質問にだけ答えろ」


 髪を掴む手にぎゅっと力が入った。

 後ろに引かれ、う、首が変な方向に――!?


 な、名前、だよね――、


「錦、るい……」


「だ、そうだ。いるまちゃん、仲良くしてくれよな」


 髪が離された。重力に従って床に這いつくばる僕は、瞬間、頬に当たる冷たい感覚を得る……、床の冷たさじゃない……冷たいけど人の温もりもある――いるま、さん?



「――いるまちゃん、そのツインテール、可愛いね! レモンの髪飾りも似合ってるよ!」


「あ、ちょっとだけ身長、伸びたんじゃない!? 小柄なわたしよりも、だって大きいよ!」


「いるまちゃん、錦君が久しぶりに登校したから、おかえり会をしようよ! 張り切って計画してくれてたでしょ? いつもは活発ないるまちゃんが今日はおとなしいなんて、珍しいなー、錦君のことを意識しているのかなー?」


 ……など、周りの女子が騒ぎ出した。

 だけど違和感がある……、

 説明口調だし、友達なら今更、言うべきではない情報が小出しにされていて……。


 周囲を見ると、察しろ、みたいな空気が出ている……。


「錦のためだぞ」


 背後から、さっきの女子が耳打ちしてくる。


「いるまちゃんの情報をあんたに教えるために、わざとやってるんだ。……今日一日でいるまちゃんの全てをお前に伝える……だから覚えて、共有しろ。

 戻ってきたならあんたもクラスの一員だ、テキトーな想像で『いるまちゃん』に新しい設定を増やされても困るんだ」


「…………なにが、起きてるの……?」


「ここじゃ無理だ……休み時間、女子トイレにこい、そこで話す――」


「女子トイレ……? い、いけるわけないだろ!?」


 後ろから手が伸び、僕の口が塞がれた……、背後の女子が「なんでもないよいるまちゃん、楽しくお喋りを続けてくれる?」と、誤魔化してくれている……。

 僕には見えない、いるまさん(今のところ、『ツインテール』で『小柄』で『明るく活発』な少女であることが分かった)――には、このこそこそ話はばれてはいけないことなのだろうか?


「暴れるなよ、錦。ひとまず、いるまちゃんの前ではなにも考えるな、周りに合わせろ。

 それだけでいい……それだけをしてくれ、マジで頼むから」

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