画面の向こうに映る、忘れてはいけない光景

石動 朔

ある映画のある場面について

 本当は近況ノートでも良かったのだが、内容が明らかなネタバレであり、何も知らずにこの事実を劇場で見ることを自分は勧めたいので、こちらで書かせてもらうことにした。


『すずめの戸締り』を数日前見に行った。

 友人から突然誘われ、なんの心の準備もなくそのまま映画館に行ったわけだが、今すぐに見れるものに音が3次元的に感じられるような特別な上映はなく、ごく普通のものしかなかったため仕方なくそれを見ることにした。


 今作は『君の名は』や『天気の子』よりも幅広い年齢層向けというわけでもなく、80年代ソングやアルファロメオ似の車だったり、今の親の世代が反応するような、100%万人向けというわけではない作品のように感じられた。


 特にあの場面は、今現在にとても強いメッセージ性を帯びるシーンになっただろうと少なくとも自分は感じている。


 現にこのシーンを見た瞬間、脳の奥底に閉ざされていたある記憶を思い出した。

 それは見終わって数日経った今でも、頭のどこかにそれがちらついているほどだった。


 執筆している現在、私はまだまだ若く、前述にある80年代ソングやアルファロメオなどの知識は両親から教わったものである。


 しかし3.11は自分も生まれていて、自我も多少ある約12年前に起こったものだ。

 あの出来事は、当時の幼い自分の脳に深く印象付けるものとなった。


 親が迎えに来るまで、私は園庭に残っていた人達と一緒に校庭の真ん中に集まっていた。

 東京にいた自分でも、明らかに異様なその揺れは不安と緊張を高めていくだけだった。

 親が迎えに来る時には自分と他の人の間は空いていて、何組もの親子が校庭を去る中、なかなか来ない自分の親を待ち続ける当時の私は相当辛く寂しかったと思う。


 家に帰ると、いつもと違う非日常的な光景に恐怖を感じる。

 台所は、崩れた棚から透明な破片の光がこちらに反射してきらきらとこぼれていて、散乱した雑貨がリビングを覆いつくし、一歩も踏み出せる状況になってしまっている。


 私は母親の手をぎゅっと握って立ち尽くしているだけであった。


 当時スマホの所有率は高くなく親も携帯だったので、リアルタイムで何が起こっているかはテレビでしか見ることができなかった。


 母は道なき道を歩いて行って、テレビをつけることに成功する。途端、テレビに映った光景に私は目が離せなかった。


 LIVEと出ている文字。

 波が横からだんだんと勢いを強めながら押し寄せていた。

 水位が上がって家の柱だったであろう木材や細かいものが流れている。


 そんな現実離れした光景の真ん中に、何かに捕まる一人の高齢者がいた。

 あと少しで高台へと続く坂道から取られているカメラからは、本来ならすぐに走っていき救助できるであろう距離のはずなのに、その間には入った人を一人も生還させるつもりのない濁流がその高齢者との道を断絶していた。


 次の瞬間。


 一歩前に出た高齢者の横から、一台の車が水の流れに沿って過ぎて行った。

 そして、車が過ぎ去るとそこにいるはずの人がいなかった。


 モザイクはなく、アナウンサーの声もない。

 たった数十秒の光景を見た私は、幼いなりにその違和感に気づいたのだろう。数分のうちに全身に蕁麻疹が出てきたと母は言っている。


 自分はこの映画を見るまでこの出来事を思い出せなかった。知らず知らずのうちに逃げていた事実をこの映画で思い出すこととなる。


 劇中、幼いすずめは常世で出会う大きくなったすずめに、お母さんを見ていないかと必死に聞いていた場面が私の愚かしい心に突き刺ささった。


 この映画を見終わった後、再認識した震災の恐ろしさ。当時生まれていなかった子供たちにも充分伝わる内容だったと私は思う。

 もちろん物語のメインと言うわけではないが、この事は映画の中の大事なメッセージの一つだと私は考えている。


 この出来事をエンタメとして消費することの是非は様々な意見があるだろう。

 私は直接的な被災者ではないので、そのことに口出しする権利はないと思うが、一つ自分の考えを述べたい。


 結果的にこの映画は、初代ゴジラや火垂るの墓のように今や過去の悲劇を忘れないための〝教材〟にもなるのではないかと思う。


 人の終わりは突然で、その理不尽な終わりが常に隣り合わせな世界に人々は耐えられず、そして忘れる。

 恐ろしい災害も「そんな事もあったな」という風潮になってしまう。そんな当たり前に正面からぶつけたこの作品。 


『すずめの戸締り』で伝えられたメッセージは、その当時の空気感を知る者のためである必要はなく、当時の日本人の反応や向き合い方として、きちんと後世に残る可能性を持つ作品になるのではないかと私は感じた。


 そしてこの真の評価を今現在の我々ではつけることができず、今後の歴史と私たち人間の生活に委ねられるであろうと思う。


 最後に、今回は劇中にある一部分についてを詳しく書いたが、その他の場面もとても魅力的で、音楽、作画、構成は右に出る者はいないというほど神がかっていた。

 恋愛要素は薄めと言えども、しっかりその後が気になる終わり方だったというのも物語性として良い締め方だったと思う。


 総じて今作はとても自分の心に刺さる良い作品であったという結果に私は至った。



 近いうちにIMAXでもう一回見ようと思う。


 

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画面の向こうに映る、忘れてはいけない光景 石動 朔 @sunameri3

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