第768話 おじさんの知らない冒険者たちは奮闘する


 イーダの森の中である。

 巨木がたちならぶ、昼なお薄暗い場所だ。

 

 その巨樹の枝から、伸腕猿たちの笑い声が響く。

 クルートに糞がぶつけられたからだ。

 

「ヤイナ、いける?」


「ん! でも数が多い」


 樹上には六匹くらいの伸腕猿の姿が見える。

 ただこの声の感じからすると、他にもまだいるのかもしれない。


「倒さなくていい。驚かせて退かせるだけで十分だから」


 マニャミィからの指示に力強く頷くヤイナである。

 

「ん! それなら問題ない。ちょっと派手にいく!」


 くさああああい、とのたうつクルート。

 

「うるさい。あんた、水の魔法が使えるんだから洗いなさいよ」


 マニャミィからの言葉に、ハッとするクルートだ。

 水を魔法で生成して、顔にあたった糞を洗い落とす。

 

「よっしゃあああ! これで、っぶふう」

 

 第二弾がまたもやクルートの顔に当たった。

 くさああああい、と叫ぶ。

 

「ダメだ、こりゃ!」


 お手上げ状態のマニャミィであった。

 

「ん! いく!」


 そのタイミングで詠唱を終えたヤイナが言う。


【嵐風陣】


 ヤイナの手から放たれる風の魔法。

 それは乱気流を起こす。

 

 伸腕猿たちがいる範囲で大きく木の枝が揺れる。

 二匹の猿が枝から落ちた。

 

「いただきまんもーす!」


 マニャミィが落ちた猿に走り寄って、首を勢いよく踏みつける。

 骨が折れる音と同時に、ビクビクと痙攣して事切れる伸腕猿だ。

 

 残りの猿は撤退したようである。

 のたうつクルートに水をジャボジャボとかけてやるヤイナだ。

 

「ん! これでいい」


「悪い、助かった」


「あんたさぁ前衛なんだから、そのくらい避けなさいよ」


 マニャミィから辛辣な言葉が飛ぶ。

 これが糞だからまだよかった。

 臭いだけですむ。

 

 しかし、致死性の攻撃だったらどうするのだ。

 避けなければ死ぬのだから。

 

「足下が気になってな。ぬっちょぬっちょするから」


 ヤイナが大きなため息をつく。


「ねぇクルート。あんたそのままだとクビよ。パーティーから追いだすから」


 真面目な表情で告げるマニャミィだ。

 さすがにピリッとした空気を読むクルート。

 

「……今はまだ見習いだから、命の危険って少ないと思う。でも、この先もそんな調子だと死ぬよ。あんただけならいい。だけど、それが私やヤイナにまで及ぶかもしれないの」

 

 今のままだとね、とマニャミィは言う。

 そして、水気を拭うための布を肩掛けのバッグから渡してやる。

 

「あんたはそれでいいの? 良くないと思うなら真面目にやりなさい。真面目にやったら、あんたはいい線いってるんだから」


 無言のクルートだ。

 実は彼にとっては、少し気がかりなことが少し前にあった。

 ヤイナとマニャミィの二人が、冒険者を引退した後のことまで考えているとわかったからだ。


「なぁ……お前らにとっちゃ冒険者って腰掛けなのか?」


 つい本音の部分がでてしまうクルートだ。

 聞きたくても聞けなかった。

 

 クルートとしては、だ。

 師匠たちのようになりたいと漠然と考えていたわけである。


 冒険者として功績を残し、引退しても組合に関わって生きていく。

 そんな道である。

 

 クルートは役人の家の五男だ。

 いわば陪臣の子である。

 

 よほどの巡り合わせがなければ家を継ぐことはできない。

 家族仲も悪くはないから冷遇されることもなかった。

 

 ただ漠然と食っていくためには冒険者になる。

 その程度にしか思っていなかった。

 

 勇者を自称したのは、師匠たちのようになりたいと思ったから。

 ただそれだけだ。


 だけど、ヤイナとマニャミィはちがう。

 ふわふわとしたクルートとちがって地に足がついている。

 それは彼女たちが裕福な環境で生きてこなかったのが大きい。

 

 だが――クルートは大きく置いていかれたような気分になったのだ。

 

 だから、彼女たちに隠しごとはないのかと心配した。

 将来は公爵家に雇われたいと唐突に言われたときのように、また大きく置いて行かれるような思いはしたくなかったから。


「あのさ、私はあんたとヤイナのパーティーなら、いいところまでいけると思ってるの。もちろん将来的には斥候だったり、盾役だったり必要になってくると思うよ」


 はぁと大きく息を吐いて、マニャミィはクルートを見る。

 

「あんたが何を考えているのかわからないけどさ、私たちは真剣に冒険者やってるのよ。わかった? こんなこと言うのも、あんたのクビにしたくないから。だから、ちゃんとやりなさいって言ってんの!」


「ん! クルートはバカ。バカだけど真面目にやってたら、いい前衛になる!」


 二人の仲間の言葉を聞いて、クルートはパンと自分の頬を叩いた。

 

「わかった。悪かったよ。ちょっと前にお前らが言ったろ? 将来は公爵家で雇ってもらいたいって。それを聞いてから、モヤモヤしてたんだよ……」


 あああああああ! と大きな声をだすクルートだ。

 

「よっしゃ! オレらしくなかった。マジで今回の件は反省してる。すまん! オレは将来どうなりたいかなんてまだよくわかってねぇ。いつかは師匠たちみたいになりたいけどな!」


 だったら今をがんばらなきゃな、と笑顔を見せるクルートであった。

 

「ったく。青春してるんじゃないわよ」


 苦笑を漏らしつつ、マニャミィがクルートの肩をぽんと叩く。

 

「ん! やっぱりバカ!」


 憎まれ口を叩きつつ、ヤイナもクルートの肩を叩いた。

 

「よし! じゃあ行くぞ!」


 ひゅんとアレが飛来して――べちゃりと音が鳴る。

 

 くっさああああああ、と大声をあげるクルートであった。

 

 なんだかんだとあった。

 だが、まぁ雨降って地固まるなのだろうか。

 伸腕猿の縄張りを抜けた三人だ。

 

「ええと……この先ね」


 イーダの森のような場所には、先人たちが目印をつけている。

 目印を刻んだ石碑を杭のようにして地面に打ちこんでいるのだ。

 

 地図にもその目印がついているのでわかりやすい。

 今回の石碑には二重丸が刻まれている。

 

「マニャミィ、この先に洞窟があるんだったよな?」


 気分を取り直したクルートだ。

 あの後、ムダに猿を追いかけて笑われたりもした。

 が、少しは冷静になったようだ。

 

「ええ。ダンジョンじゃなくてただの洞窟。その洞窟の中が小烏苔の群生地になっているわ」


「わかった」


 群生地であっても全部を採取してはいけない。

 採取していいのは三分の一が目安だ。

 これは冒険者の暗黙のルールである。

 

 ヤイナが魔法で探知をしながら慎重に進んでいく。

 相変わらず、歩きにくい地面だ。

 

 それでも少し行くと、ドーム状に盛り上がった土の洞窟が見えてきた。

 

「あれか!」


 足早に進んでいくクルートだ。

 光球の魔法を使って、洞窟内を照らしている。

 

「おお! しばらくこっち周りに人がきてねえだけはあるな!」


 洞窟の中にはビッシリと小烏苔が生えていた。

 黒い色をした苔である。

 

 一見すれば、海苔のようにも見えた。

 あるいはたんぽぽの綿毛か。

 ふわっとしたのが採取すべき小烏苔だ。

 

「ほおん! スゴいわね。群生地ってここまで増えるんだ」


 マニャミィにしても初めて見るほどの量だ。

 ヤイナも目を丸くしている。

 

「じゃあ採取が終わったら休憩にしましょう。食事をとって帰るわよ」


 指示をだしながらマニャミィが洞窟の中に入る。

 綿毛のようにふわっと成長した小烏苔を採取していく。

 

 そのときであった。

 洞窟の奥からふわりと空気が揺らいだ気がしたのだ。

 

 正確に言えば、ゆるい風が吹いたと思ったのである。

 洞窟の奥から風が吹くなんてありえない。

 

 だから――

 

「ん? ねぇヤイナ。ちょっと奥まで照らしてくれない?」


 ――マニャミィは確認の意味でそう言ったのだ。

 

「ん!」


 ヤイナが光球を移動させて、洞窟の奥を照らす。

 そこには穴があいていた。

 

 穴の向こうには、空間があるのが見えた。

 

「ちょ! これって」


 ぞぞぞと怖気が走るマニャミィだ。

 

「ん?」


 少し離れた場所にいるヤイナにはわからなかったようである。

 

「クルート! ヤイナ!」


 マニャミィが二人を呼んで、洞窟の奥にある穴をみせた。

 

「これ、もしかして」


「ああ、ひょっとしたら」


「ダンジョン!」


 三人は目をお互いに目を見合わせた。

 

「さて……どうする?」


 クルートが言う。


「撤退しましょう。小烏苔の採取量は十分。なら、帰って先輩たちに報告しないと」


 マニャミィの意見に賛同するヤイナだ。

 

「なぁ。これひょっとして未発見のダンジョンだよな? ちょっとだけ、さきっちょだけ調査しねえ?」


 どうにもクルートは冒険したいお年頃のようであった。

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