第748話 おじさん直伝の武術で侍女が魔人と戦う


 サイラカーヤ・フィスキエ。

 軍務閥法衣貴族の三女である。

 

 幼少期から武術の才能にあふれるお子様であったそうだ。

 兄たちをちぎっては投げ、父親をぶち転がし。

 健やかに育ってきた。

 

 学園ではその才能を発揮して、おじさんの母親以来の問題児との異名もとったほどだ。

 本人的にはまったくそんな気はなかったのだが。

 

 学園を卒業後には冒険者組合に所属した。

 そこで彼女の才能は本格的に開花したとも言えるだろう。

 

 ただし――。

 

 侍女本人は絶頂期は今だと思っている。

 特にここ最近になって、ようやくわかってきたのだ。

 

 おじさんとの組み手をすることの意味が。

 

 良くも悪くも侍女は才能が豊かであった。

 豊かであるからこそ、才能だけで殴りつけてきたのだ。


 困ることもなかった。

 直感に従って身体を動かすだけで金級の上位にまで昇りつめたのだから。

 

 王国の冒険者組合でも十指といない最短での昇格であった。

 だが――そんなことはどうでもいい。

 

 侍女は思うのだ。

 いかに自分の体術が才能にかまけたものであったのか。

 いかに技術という部分を疎かにしてきたのか。

 

 おじさんとの組み手をこなすことで理解できたのだ。

 

 そして――今である。

 侍女はここ最近の組み手で、パチンとなにかがハマった感覚があった。

 

 今まで積み上げてきたものが、巧く組み合わさったのだ。

 あくまでも感覚的なものである。

 

 だが、最近はよりおじさんとの組み手が楽しくなった。

 自分が強くなっていると実感できるからだ。

 

 だからこそ侍女は本気をだして戦いたかったのである。

 どこまで自分が強くなっているのか、確かめたくて。

 

 侍女が結界を抜けた。

 すぅと息を吸って、ゆっくりと吐く。

 

 昂ぶる気持ちを落ち着けるためだ。

 こういう精神状態は良くない。

 

 二度、三度と呼吸をくりかえす。

 同時に丹田の辺りを意識しながら魔力循環をする。

 

 おじさんほど高速で魔力の励起ができるわけではない。

 が、侍女もまた薫陶を受けし者である。

 

 十全に準備が整ったところで、魔人が姿を見せた。

 

 豹の頭に人間の身体をした魔人だ。

 一丁前にマントを羽織っている。

 

「てめぇ、見かけねえ顔だな」


 人の言葉を操る魔人だ。


「そちら様こそどなたでしょうか?」


 あくまでも侍女は丁寧に接する。

 それが侍女だからだ。

 

食料エサが偉そうな口をききやがる」


「なるほど。会話ができないということでよろしいですね?」

 

「まぁいい、どうせてめぇらだろ? うちの奴隷をさらってくれたのはよう!」


 問答無用であった。

 自らの言葉が終わらぬうちに、豹頭の魔人が駆ける。

 

 その姿に恥じぬ速度だ。

 だが、侍女は動じない。

 

 少し前なら驚嘆に値する速度であったろう。

 しかし今の感覚からすれば、さほど気になる速度でもない。

 

 左足を引いて半身に。

 その瞬間、侍女の顔のすぐ側を抜き手がとおりすぎた。

 

「なに!?」


 豹頭の魔人が驚きの声をあげる。

 同時に侍女の肘が魔人の腹に突き刺さっていた。


「ぐほお!」


 弾き飛ばされる魔人だ。

 

「まったく躾けがなっていませんわね。どこの獣ですか?」


 侍女が魔力を励起させて、身体強化を使った。

 

「いい機会です。私が躾けてあげましょう」


 言葉を置き去りにするような速度で、侍女が間合いを詰める。

 腹を押さえていた魔人が、さらに距離をとった。

 

 だが、そんなことは予想している。

 侍女はさらに間合いを詰めた。

 

「ちぃ!」


 豹頭の魔人が抜き手を放つ。

 さらに爪が伸びて、侍女の顔を穿とうとしたのだ。


 勝った。

 魔人がそう思った瞬間だ。

 確かに捉えたと思った爪が空を裂く。

 

「工夫がありません!」


 顔の位置を狙った魔人の抜き手をかいくぐる低い姿勢の侍女。

 膝を深く曲げ、しっかりと間合いに入った。

 

「いえあああ!」

 

 瞬間、伸ばした左手を引きながら右手を前に。

 縦拳を中段に撃ちこむ崩拳だ。

 

 めこっと音が鳴りそうなほど、魔人の腹に侍女の拳が刺さる。

 

「かはあ」


 豹頭の魔人の頭の位置が下がった。

 瞬間、侍女の足が跳ね上がる。

 

 真下から真上に顎を蹴り上げたのだ。

 

 豹頭の魔人の身体が宙に浮いた。

 その隙を見逃す侍女ではない。

 

 魔人の身体の下、落下地点に入って寝転がる。

 耳の横に手をついて、跳ね起きる要領で落ちてきた魔人の背中を蹴った。

 

 さらに上空へと打ち上げられる魔人だ。

 逆立ち状態になった侍女が、再び落下地点で同じ体勢をとる。

 

「クソが……なぜ身体の自由がきかない!」


 豹頭の魔人はまだ元気だ。

 

「ごはぁ!」


 さらに侍女の蹴檄が背中に入る。

 どん、と上空へ跳ね上げられた魔人は反撃をしようと身体をジタバタとさせるが、空中にあってはどうにもならない。

 

「そろそろ、いいでしょう」


 逆立ちになっていた侍女が半身になって構えた。

 目を閉じて、集中する。

 拳に魔力を集めているのだ。

 

 おじさんから教わった魔纏の初歩である。

 カラセベド公爵家の奥伝は、らせん状にした魔力を纏わせるものだ。

 

 だが、いきなりらせん状に魔力を動かすことなどできない。

 おじさん以外には。

 

 だからまずは初歩から。

 己の手足に魔力を纏わせる。

 

 すぅと深く息を吸って、糸のように細く吐く。

 

 空中から豹頭の魔人が落ちてくる。

 そのタイミングで侍女が踏みこんだ。

 

 おじさん流の震脚である。

 踏みしめて発生したエネルギーを拳に集約しつつ放つ。

 

 音を置き去りにするような侍女の一撃であった。

 その拳は豹頭の魔人の腹を貫く。

 

 色々と飛び散る豹頭の魔人。

 だが、まだ勝負はついていなかったのだ。

 

「あめえんだよ!」


 腹を貫かれても、まだ豹頭の魔人は生きていた。

 その鋭い牙で侍女に噛みつこうとする。

 

 細く、しなやかな首に猛獣の牙が襲いかかった。

 

「馬鹿ですか」


 大口を開けていた魔人の顎に衝撃が走る。

 侍女の蹴りが下顎を撃ち抜いたのだ。

 

 ガクンと首が下がる魔人である。

 その腹から腕を抜くために、侍女は身体を蹴り飛ばす。

 

「まったくお嬢様からいただいた服をこんなに汚すなんて……そこの獣は万死に値しますわね」


 いや、侍女が腹を撃ち抜いたからである。

 今や右腕は肘の辺りまで真っ赤に染まっていた。

 

「クソが……こんなところで奥の手を使うことになるとはな」


 地面に横たわる豹頭の魔人がつぶやく。


「ほおん。まだ生きていますか。なかなかしぶとい」


「ガ=ガーイの腕輪よ! オレに力を!」


 豹頭の魔人の身体が仄暗い霧に包まれる。

 その霧が晴れたあと、姿を見せた豹頭の魔人は大きくなっていた。

 

 通常の人間と変わらなかったものが、三メートルほどの大きさに。

 さらに貫かれた腹が修復されている。

 

 加えて、身体の構造そのものが二足歩行の獣へと変わっていた。

 全身も毛皮に覆われている。

 

「ふぅ……この姿を見せちまったら、もう――」


 ごふぅと豹頭の魔人が腹を抱えて、うずくまる。

 

「隙だらけです。なにを言っているのですか」


 侍女の前蹴りが腹に突き刺さっていたのだ。

 

「御託はいいので、かかってきなさい」


 ちょいちょいと指を曲げて挑発する侍女であった。

 その表情は満面の笑みである。

 ただし犬歯を剥きだしにしているが。

 

「死ねぇ!」


 豹頭の魔人が動く。

 その動きは先ほどとは比べものにならないくらい速い。

 もはや常人では目で追うのも難しいだろう。

 

 一瞬で間合いに入ったかと思うと、侍女の眼前には魔人の爪が伸びていた。

 

 その腕を内側から払う侍女だ。

 軌道がそれて、侍女の顔の横をすり抜けていく爪。

 

 次の瞬間、侍女が半歩だけ踏みこんで膝蹴り。

 めぎょと音が鳴って魔人の腹に膝が刺さる。

 

 魔人の動きがとまると同時に、侍女の肘が顎をかちあげた。

 

 後ずさる魔人。

 さらに追い打ちをかけるように、侍女は反対の肘を使って腹に刺す。

 ついでに、くるりと小さく回って靠撃こうげきを加える。

 

 背中からぶちあたったわけだ。

 魔人が大きく吹き飛ばされた。

 

「まるで昔の自分を見ているようで、気分が悪いですわね!」


 魔人はその身体能力の高さで攻撃をしている。

 なにかの工夫があるわけではない。

 

 ただ速さと膂力のみに頼ったものだ。

 悪いとは言わない。

 

 かつての自分もそうだったから。

 だが――世の中、上には上がいるのだ。

 

 速さと膂力だけでは、どうにもならない巧者がいる。

 豹頭の魔人と侍女を分かつものは、本物の巧者を知っているかどうか。

 

 故に、地に伏す魔人を見つめながら侍女は思う。

 おじさんに出会えて良かった、と。

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