第743話 おじさんが動けばなにかが起こってしまうのかい?


 サングロックから少し離れた場所の草原である。

 そこで、ハグレの鬼牛は啼いていた。

 

 主と認めたおじさんが突然いなくなったからだ。

 そして、その不安をかき消すように、再び姿を見せた。

 

 期せずして落としてから上げてしまったおじさんだ。

 それ故か、鬼牛はおじさんに甘えた。

 

「ぶもおおお」


 声をあげながら、ペロペロとおじさんをなめたのである。

 親愛の行動なのだが、その気持ちは理解できたので何もいわずにその頭をなでてやるおじさんなのであった。

 

「さて、あなたにも名前をつけてあげないといけませんわね」


 牡牛である。

 実は牛に関係する神というのは多くない。

 でも、古代中国の蚩尤であったり、古代インドのアリシュタやメソポタミアのグガランナがいる。

 

 だが、ちょっとわかりにくいかと思うおじさんだ。

 やっぱり牡牛と言えば、金牛宮だ。


「タウロス……はありきたりですし……アルデバラン?」


 牡牛座にある一等星のことだ。


「いえ、エルナトの方でいきましょうか」


 だが、おじさんは敢えて二等星であるエルナトの方を選ぶ。

 特に深い理由があったわけではない。

 なんとなく、だ。

 

 決してエルはビッグのエルではないのだ。

 

「あなたはエルナト、エルちゃんですわね!」


 おじさんがニッコリと笑う。

 ぶもおお、と大きく頷く鬼牛であった。

 

「では、いきますわよ!」


 清浄化をかけて身ぎれいにしてから、バベルの元へと転移するおじさんである。

 

「お待たせしましたわね!」


 小さな森の中であった。

 周囲に人はいないと言っても、どこから見られているかわからない。

 なので、人目に付きにくい場所で待機していたバベルである。

 

『うむ……主よ。少しばかり状況を確認しておきたい』


 トリスメギストスだ。

 

「トリちゃん、それは移動の途中で聞きましょう」


 おじさんは宝珠次元庫にしまっておいた荷室と装具を用意する。

 

「エルちゃん、これをつけて引っ張ってほしいのですわ」


「ぶもおおお!」


「お嬢様、私が装具をつけましょう」


 流れる様な作業であったが、途中で侍女が気づいた。

 

「大きさが合いませんわね」


 おじさんが想定していたよりも、鬼牛のサイズが大きかったのだ。


『まぁそやつは恐らく特殊個体であるからな』


 なんだかワクワクするような響きである。

 が、今はそちらに気を取られている暇がない。

 

 ささっと錬成魔法で装具の大きさを変えてしまうおじさんだ。

 ついでに荷室の大きさも鬼牛のサイズに合わせてしまう。

 

「これで大丈夫でしょう。エルちゃん、サイラカーヤの言うことを聞くのですよ?」


 おじさんが侍女を紹介する。

 鬼牛はちょっと侍女を見て、腰が引けていた。

 人見知りなのだ。


「私もお嬢様にお仕えするものです。あなたのことを悪いようにする気はありません」


 手の平を見せて、なにも握っていないことを見せる。

 その後でピタリと鬼牛の額に手をあてる侍女だ。

 

「ぶも? ぶもも!」


 人見知りではあるが、どうにかなったようだ。

 

「エルちゃん、お願いしますわね!」


「ぶもも!」


 おじさんが箱馬車に乗る。

 侍女が御者台に座った。

 

「では、出発ですわ!」


 ぶもおおおお! と鬼牛の声が響くのであった。

 

 小さな森を出て、最初の農村へとむかう。

 ここからだと、だいたい徒歩で三十分ほどの距離である。

 

「で、トリちゃん。どういうことですか?」


『うむ。まぁ主のことだ。どうせ湖でも作ればいいじゃないと思っていそうだが、それにしたって水量が減った原因は突き止める必要があるぞ』


「それはそうですわね。短期的になら解決できるでしょうけど、長期的に見た場合は原因を突き止めて解消しないといけません」


『うむ。そこでな、バベルにも確認したが、ここらには五つの農村があるわけだ。なので、池の規模でいいから各村に日用で使える水を用意しようではないか』


「ならば各村を回って行くということですわね。それでかまいません。その後にサングロックへ行き、代官と話をするという流れですわね」


『その方が効率が良かろう。代官の話が長くなるやもしれんからな』


「ですわねぇ。そう言えばトリちゃん。池から水が湧くようにすることはできますか?」


『まぁできると言えばできるがな。それにはあいつ・・・を呼ばねばならん』


「あいつ? ああ、ユトゥルナお姉様ですか?」


『水を出す魔道具を設置してもいいが、村人の魔力がどこまであるのかよくわからんからがな。恐らく生活用水に農業用にというのは無理であるぞ』


「そうですわねぇ。まぁいいでしょう。とりあえず水を出す魔道具くらいなら作っておきますわ」


『それがよかろう』


 サングロック近郊にある農村のひとつである。

 村の周囲には畑があった。

 だが、季節的に刈り入れをした後なのだろう。


 黄金色に輝く麦穂を見ることはできなかった。

 ただ刈り入れをした後の畑というのも、風情があると思うおじさんだ。

 侘び寂びを感じるのは前世の仕様だろう。

 

 村の周囲には木で柵が作られていた。

 あまり頑丈そうではない。

 

 見張りに壮年の男が一人立っている。

 その男が片足をひょこひょこと引きずりながら近寄ってきて、膝を折る。

 

「どちらの貴族様でしょうか?」


 さすがに牛車が近寄ってくれば貴族だと理解できるのだろう。

 あと侍女服を着た者が御者をしているのなら、ピンとくるものだ。

 

「私はカラセベド公爵家の者です。村長はいますか? 陳状の件できたと伝えてください」


 侍女がふつうに応対する。

 ははーとムダに頭を下げる見張りの男性だ。

 再び、ひょこひょこと足を引きずって村の中に戻っていく。

 

「そんちょーう! そんちょーう!」


 大声が丸聞こえであった。

 少し間を置いて、村長が走ってくる。

 そのままの勢いで滑りこむように土下座する村長だ。

 

「ははー。村長でございます。こ、こここ公爵家の……お、おおお御方に足を運んでいただけりゅとは、きょうえちゅしゅごくでごりらいましゅ」


 もう後半は噛みすぎて何を言っているのかわからない。

 苦笑をうかべる侍女だ。

 まぁでも気持ちはわかる。

 

 領民からすれば、領主のしかも公爵家の人間が出張ってきたとなると、それは神様に会うようなものだから。

 

「お嬢様、私がまずは話を聞いてきます」


「……頼みました」


 仮面で顔を隠しているとはいえ、だ。

 ここでおじさんが姿を見せれば、村長がどうなるかわからない。

 

 御者席からひらりと降りる侍女だ。

 その席にいつの間にかランニコールが座っていた。

 バベルが護衛をするように馬車の側に立つ。

 

 鬼牛はまだこの二人には緊張するようだ。

 不安げにぶもぶもと啼いている。

 

「大丈夫ですわよ、エルちゃん」


 おじさんの声が届いて、安心する鬼牛であった。

 

 荷室の中でお茶をしながら、のんびりと待つおじさんである。

 

「わたくし、仮面をつけるのはやぶさかではないのですけど。こうまで畏敬の念をもたれるというのは、少し困りますわ」


 おじさんはもっとフレンドリーに接してほしい。

 ただまぁそれは無理だという話でもある。

 

 だって身分社会なのだから。

 

『まぁそれは仕方あるまいて。主の美貌は隠しておかんと、それこそ女神だと勘違いされるからな』


「……そういうのは面倒ですわ」


 心からの言葉であった。

 

「主殿よ、侍女殿が戻ってこられたでおじゃる」


 バベルだ。

 そのまま荷室に入ってもらうように言うおじさんだ。

 侍女に手ずからお茶を淹れてやる。


「どうでしたか?」


 ありがとうございます、とお礼を述べてお茶に口をつける侍女だ。

 おじさんの淹れるお茶は美味しい。


「概ね訴状のとおりかと。付け加えるなら、もう数年前から水の量は減り続けていたということくらいでしょうか。正確な年数はわからないそうですが、水が減ってるなという認識はあったみたいですわ」


「そうなのですか……代官は調査をしたとありましたが、どの程度の調査をしたのでしょう?」


「さて、その辺りは村長の話ではわかりませんでした。ただここ二・三年は定期的に騎士を派遣していたという話ですわね」


「……まぁその辺りは代官に聞いた方がよろしいですわね。では、さっくりと問題を解決しておきましょう」


 侍女を伴って、牛車を降りるおじさんだ。

 ふわりとした赤黒のドレス。

 それに合わせた仮面。

 

 村にいた人間が全員、おじさんを見た。

 その超絶美少女っぷりに目を奪われたのだ。

 

 次の瞬間、全員が片膝をついて頭を下げていた。

 

 なんだかとても高貴で、美しいもの。

 それがおじさんの印象だった。

 

「お話は聞きました。村長さん、とりあえず急場しのぎで水を用意いたしましょう」


「ははー」


 土下座をしたまま移動する器用な村長である。

 ちょっとその動きが虫みたいだと思うおじさんであった。


 実は村には農業用のため池がある。

 そこへ案内されるおじさんだ。

 もう既にすっからかんである。


「この大きさでいいですか? もう少し広げておきましょうか?」


「ははー」


 肯定か否定かすらわからない。

 なので、おじさんは諦めて池を大きくしてしまう。

 指先ひとつ弾けば、倍くらいになるのだ。

 

 ぱちんとおじさんが指を弾けば、ははーと声が聞こえてくる。

 もうよくわからないおじさんだ。

 

『主よ、それ以上は広げん方がいいだろう』


 三回ほどおじさんが指を弾いたところで、トリスメギストスが止めに入った。

 

「ですわね。では、水を満たしてしましょう」


 またもやパチンと指を弾くおじさんだ。

 空中からどばぁっと水がでてくる。

 

「こんなものでいいでしょうか。それとこちらを」


 侍女に水の魔道具を渡すおじさんだ。

 

「その魔道具に魔力をとおせば水がでますわ。誰でも使えますので、生活用水に使うといいでしょう」


 侍女から魔道具を受けとる村長であった。

 頭は下げたまま、両手だけを頭上にあげている。

 

 なんだかその姿を見ていると、苦笑しかでないおじさんであった。

 べつに怖がらせにきたわけではないのだから。

 

 ついでにおじさんは治癒魔法を発動させた。

 片足をひょこひょこと引きずっていた男性が気になっていたからだ。

 

「では、わたくしたちはお暇しますわ。またなにかあれば訴状をだしなさないな」


「あ、ありがとうごじゃりましゅうううううううう!」


 感涙というやつだろうか。

 村長が外聞を憚らず泣いている。

 

「どういたしまして」


 ニコッと微笑んで村を後にするおじさんであった。

 

「女神さまじゃあああ! 女神様がご光臨なされたのじゃああ!」


「足が! 足が治ってるうううううう!」


 牛車に乗る前に、村長と男性の声が響いてくる。

 

『主よ、まぁこんなものだと思っておくといい。彼らにしても決して悪気があるわけではないのだ。どうしていいのかわからんだけだ』


「それにしても私はお嬢様に対して不敬だと思いますが」


 侍女である。

 実はちょっと怒っていたのだ。

 

『まぁそれも含めて大目に見てやるといい。そも公爵家の領民といっても、地方の者からすれば領主を拝むことなどないのだからな』


「むぅ……そう言われてしまえば何も返せませんわ」


『さて、次の村に向かうか。まだ四つもあるのだからな』


 ですわねと苦笑しながら同意するおじさんであった。


 その後――サングロック周辺の農村では仮面をつけた見目麗しい女神を奉るという風習ができたのは言うまでもない。

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