第742話 おじさんは鬼牛の主になれるのかい?


 ドドドと音を立てて突進してくる鬼牛。

 体高三メートルということは、だ。

 だいたい本格的なキャンピングカーくらいある。

 

 改めて、大きいと思うおじさんだ。

 だが、おじさんは足を前後に開き、両手を広げる。

 

 逃げる気がないのだ。


【シン・身体強化!】


 使う魔法は身体強化の魔法である。

 

「ちょ! お嬢様!」


 侍女はびっくりだ。

 まさか真正面から受けとめる気か、と。

 

「心配要りません。いいですか? 主として認めてもらうなら小手先で躱すことなど意味がありません」


「ぶおぉぉおん!」


 目前に迫った鬼牛の一本角が輝きを放った。

 青白い稲妻がおじさんにむかって走る。

 

 なるほど。

 電撃で痺れさせて、そこを巨体でぶちかます。

 悪くない戦法である。

 

 おじさん以外なら。

 

 迫る電撃がおじさんを避ける。

 魔法を乗っ取ることなどおじさんには朝飯前だ。

 

 一本角でかちあげようとしてくる鬼牛。

 おじさんは紙一重で一本角を躱し、両サイドにある牛の角を掴む。

 

「えりゃああ!」


 しっかりと鬼牛の突進を受けとめる。

 その上で、ごろんと横倒しに投げてしまうおじさんだ。

 

 ずずぅんと地響きにも似た音が響いた。

 鬼牛も自分の身になにが起こったのか理解できていないのだろう。

 

 だが――それでも立ち上がっておじさんを見た。

 

「ぶもおぉおおおおおおお!」


 さらなる雄叫びをあげる鬼牛である。

 そこにあったのは純粋な怒りだ。

 

 前足で土を掻く。

 

 少し距離をとっておじさんが鬼牛にむかって手招きをした。

 かかってこい、それを合図に鬼牛が駆ける。

 先ほどよりもスピードが速い。

 

 魔法を使う気はないのだろう。

 渾身のぶちかましをする。

 そんな意図が見てとれた。

 

 おじさんは仮面の下でニヤリと笑っている。

 

「何度もかかってくるといいですわ!」


 再び、牛の角の部分を掴むおじさんだ。

 鬼牛とてそのままやられる気はない。

 

 ぐぃんと首を持ち上げて、おじさんを上空に飛ばそうとする。

 だが、おじさんは動かなかった。

 

 両のかいなで、鬼牛の首を押さえつけたのだ。

 

「ぶもっ! ぶもももも!」


「さすがにこれ以上はしんどいですわね!」


 どん、と地面に転がしてしまうおじさんだ。

 またもや気がつけば、地面に横たわっていた。

 

 そのことが鬼牛には理解できない。

 倒されたことなど、とんと記憶にないからだ。

 

「あなたの気がすむまでかかってきなさいな!」


 再び、おじさんに向かって行く鬼牛であった。

 

 六度、鬼牛は転がされた。

 

 なにがなんだかわからない。

 ただ投げられるたびに体力は消耗し、身体には疲れが蓄積していく。

 

 それでも鬼牛はまだおじさんを見ていた。

 

「まだ諦めていませんわね! いいでしょう」


 おじさんが治癒魔法を発動させた。

 鬼牛の体力が戻る。

 

 おじさんの行動を理解しかねる鬼牛だ。


「ぶもおおおお! ぶもおおおお!」


 まるでこれが最後だと言わんばかりだった。

 回復させたことを後悔させてやろう。

 そんな意思をこめて、鬼牛は雄叫びをあげたのだ。

 

「いいでしょう! かかってきなさいな!」


 駆ける。

 なにも考えずに、ただひたすらに駆けた。

 最大でぶつかる。

 

「その意気やよし!」


 どん、と肉がぶつかる音がする。

 土埃があがって、わずかだがおじさんの足が下がった。

 

「ぶもおおおお!」


 ここぞとばかりに押し切ろうとする鬼牛である。

 だが、おじさんはそれすらも見切っていた。

 

「どっせえええええい! ですわ!」


 鬼牛の身体が宙を舞った。

 おじさんのジャーマン・スープレックスが炸裂したのである。

 どおおんと地響きを立てて、落ちる鬼牛だ。

 

 おじさんの身体はきれいなブリッジを描いていた。

 お嬢様のすることではないが。

 

「ふぅ……この手をださせるとはやりますわね!」


 鬼牛にむかって微笑むおじさんだ。

 鬼牛は地面に転がったまま、自分を投げ飛ばしたおじさんを見る。

 

「さぁ回復してさしあげましょう」


 再び治癒魔法を使うおじさんだ。

 

「まだやる気があるのならかかってきなさいな!」


 パンと手を叩いて、両手を広げるおじさんだ。

 その顔にはまったくの邪気がない。

 力比べをしたいという純粋な気持ちしかなかった。

 

「ぶもおお……」


 鬼牛は理解した。

 いや、させられたと言えばいいだろう。

 

「ぶもおお……」


 こうべをたれる。

 敵意はないという証だろうか。

 そのままゆっくりと歩いて、おじさんに近づいた。

 

 頬をおじさんの身体にあててこすりつける。

 親愛の行動なのだろうか。

 

「わたくしの勝ちでいいですか?」


 おじさんが頭を鬼牛の頭をなでながら聞いた。

 

「ぶもおお!」


 了承ということだろうか。

 七度転ばされて、仲間になったというところである。

 まるで、七縦七擒しちちょうしちきんだ。

 

「いい勝負でしたわね」


「ぶもおおおお!」


 おじさんと鬼牛の間で通じるものがあったのだろう。


「……スゴいですわね」


 侍女だ。

 おじさんにむかって言ったのではない。

 ただ、呟いたのだ。

 

 侍女とて鬼牛と戦ったことはある。

 だが真正面から力勝負をしようとは思わない。

 

 おじさんの技術なら、いくらでも勝ちようがあったはずだ。

 実際に侍女だって体術を駆使して勝ったことがあるのだから。

 

 しかし、おじさんは敢えて真っ向から受けとめた。

 鬼牛のすべてを。

 

 そして屈服させたのだ。

 あの鬼牛がまるで犬のようにおじさんに懐いている。

 

「くすぐったいですわ」


 けらけらと笑いながら、鬼牛と戯れているおじさんだ。


『侍女殿よ、わかっておるとは思うが、あんなものを真似する必要はないからな』


「だが、それ故にあの鬼牛も懐いたのであろう?」


 ランニコールがトリスメギストスに言う。

 

『まぁそれもそうであるな』


 ふっと笑う侍女だ。

 

「真似したくてもできませんわ。私はお嬢様のお側にいられてよかったです」


 と、残して侍女がおじさんにむかって小走りで近づいていく。

 

「お嬢様、このままではいけませんわよ。清浄化できれいにしませんと!」


「はう! そうでした!」


 すっかり忘れてましたわ、と言うおじさんだ。

 そこへバベルが姿を見せた。


「ああ――主殿はあの巨大な牛を相手にしておったのか。道理で念話がつながらんはずでおじゃるな」


「バベル殿、お役目ご苦労様ですな」


「なに、さほどのことはしておらん」


 かっかっかとお互いに笑う使い魔たちだ。

 

『主よ、牛車とするなら箱の部分とつなぐ装具も作ってしまうといい。バベル、ランニコール。隠蔽の結界を頼む』


「承知」


 身ぎれいにして、侍女にチェックをしてもらうおじさんだ。


「はい。問題ありませんわ」


「では、トリちゃんの言うとおり装具を作ってしまいましょうか」


 錬成魔法を発動させるおじさんであった。

 

『主よ、我からひとつ提案があるのだがな』


「なんでしょう?」


『うむ。サングロックの代官と会うよりも、先に農村の長と会う方がいいぞ』


「その理由を聞いても?」


『我の勘だ』


「いいでしょう。トリちゃんの言葉に従いますわ。バベル、問題はありませんわね?」


「周辺の農村は五つ。すべてに我の分体を配置しているでおじゃる」


「なら先にそちらから!」


 と、おじさんは侍女と使い魔たちを連れて転移するのであった。

 

「ぶも? ぶもおおおお!」


 ……人見知りの鬼牛は、そろっとおじさんたちから離れた場所に移動していたのである。

 結果、置いてけぼりになってしまった。


 悲しい鳴き声が草原に響く。

 そのときであった。

 

「もう! なぜそんなに離れていたのですか!」


 しっかり迎えにきてくれるおじさんだ。

 

「ぶもおおお」


 さらに甘えにいく鬼牛であった。

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