第738話 おじさんと聖女はおひげダンスをお披露目する


「おひげダンス……」


 聖女の放った一言に、おじさんはそう呟くのが精一杯だった。

 

「でででで、でーんでで、でーんでで、でーで、よ!」


 おじさんが固まってしまったからか。

 イントロ部分を口ずさむ聖女である。

 

「ううん……あれはもうダンスというかパフォーマンスですわよ?」


 と言うか、ネタでもあるだろう。

 それをこの世界で再現したいと申す聖女だ。


「いや、それはわかっているんだけど、やりたいもの!」


 熱弁を奮う聖女である。

 おじさんと聖女のやりとりを見守る学生会の面々たち。

 

 彼女たちからすれば、いつものことである。

 だから、微笑ましく見ているのだ。


「……では、今やってみますか? 皆の前でやってみたらどうでしょう?」


「それもそうね!」


「では、わたくしが楽器を弾きましょう」


 おじさん、さりげなく避難するのが巧い。

 関わらないのが無理なら、ダメージの少ないところを担当する。

 

「そうね……こういうときはケルシー! あんたがアタシの相方ね!」


 無難な選択である。

 こういうときに令嬢たちを選ぶと遠慮がでるものだ。

 ケルシーなら蛮族なので問題ないと判断したのだろう。

 

「かんたんなダンスだから、すぐに覚えられるわよ」


 手の平を返して、下向きにしてと聖女がケルシーに説明する。

 その間におじさんは魔楽器のギターを用意した。

 

 本来はドラムが入ったり、ベースもしっかり入っている。

 だが、すぐに演奏するとなると、やはりリードの部分だけになるのは仕方ないだろう。

 

「うん! もう覚えた! これ楽しいかも!」


 そうなのだ。

 ダンスそのものは難しくない。

 

「エーリカ、なにをやるのです?」


「そうね! 基本のリンゴ刺しで!」


 おじさんが宝珠次元庫からレイピアと木箱に入ったリンゴを用意してやる。

 

 学生会室は広い。

 おじさんが魔法で空間拡張をしたからだ。

 最初は短い距離からはじめて、徐々に距離を長くしていく。

 

「いい? ケルシー。あんたがリンゴを投げる。それをアタシが剣で刺す。これだけよ」


「うん! 大丈夫! エーリカにむかってリンゴを投げたらいいのね!」


 にぱっと笑うケルシーである。


「そうね。最初はこのくらいの距離にしておきましょうか」


 だいたい三メートルほどの距離をとる二人だ。

 学生会の面々は少し離れた場所に移動する。

 

「リー、お願い!」


 聖女の声におじさんは頷く。

 でででで、でーんでで、でーんでで、でーで、と奏でるおじさんだ。

 

 この最初の一節で、先ほど聖女が口にしていたことが理解できたのだろう。

 なるほど、と頷く者たちもいた。

 

 軽快なリズムの音楽に、シンプルなダンス。

 少し踊ったところで、聖女がレイピアを手にする。

 

 ケルシーも木箱からリンゴを一個とりだして、頷く。

 

「さぁきなさい! ケルシー!」


「おうともよ!」


 聖女が声をかけた。

 ケルシーはひとつ頷いて、大きく振りかぶった。

 そして、全力でリンゴを投げつける。

 

「ちょ! まちな……」

 

 ――ぱっかあぁああん。

 同時にリンゴが砕け散る。

 

「エーリカ!」


 ぐらぁとゆっくり後ろに倒れていく聖女である。

 おじさんが演奏をやめて、短距離転移を使って受けとめた。

 

 からん、からんと音を立ててレイピアが床に落ちる。

 

 さすがの聖女も気絶したようだ。

 即座に治癒魔法をかけるおじさんである。


「え? え? ちょ大丈夫なの?」


 とまどうケルシーだ。

 彼女に悪意はない。

 投げろ、と言われたから投げただけである。

 

 そして聖女が剣で受けとめると思っていた。

 だってそう説明されたから。

 

 そもそもあのダンスを見たことがない者にとっては、説明が不十分だったのだ。

 上手ではなく、下手で弧を描くように投げろと言うべきだった。

 

 あるいはケルシーでなければ、起こらなかったかもしれない。

 これは――不幸な事故だ

 

 今さら、そんなことを思うおじさんである。

 程なくして聖女が目を覚ます。

 

「エーリカ、大丈夫ですか?」


「ううん……はう! 女神様! じゃなくてリー!」


「これは大丈夫じゃないかもしれませんわね」


 自分が女神などとはおこがましい。

 露とも思わないおじさんだ。

 

「……大丈夫よ! ありがと。それよりも」


 聖女はケルシーを見た。

 ケルシーはまだあわわとなっている。

 

「ケルシー、私が悪かったわ。きちんと説明しなかったものね!」


「そ、そうよ! ちゃんと説明してもらってないもの!」


 ふふん、となるケルシーだ。

 

「……そうよね、ごめんなさい……とでも言うと思ったか!」


 聖女が吼えた。


「あんな近い距離で、思いっきり投げる馬鹿がどこにいるのよ!」


「エーリカが投げろって言ったでしょうが!」


「……ぐぬぬ。魔技戦の決着をつけるときがきたようね!」


「やらいでか!」


「いざ!」


 と二人の声が重なった。


「しょう……ぶはああああああああ!」


 おじさんである。

 介入したのだ。

 聖女とケルシーの諍いに。

 

 ごちんと拳を落としたのである。

 

「まったく。なにをしているのですか。パティ、先ほどの演奏はもうできますか?」


 おじさんのギターである。

 

「はい! もう覚えたのです!」


 両手をあげてアピールするパトリーシア嬢だ。


「では任せました」

 

 おじさんが魔楽器を渡す。

 

「エーリカ、わたくしが投げます」


「仕方ないわね! それでいいわ!」


 おじさんと聖女が先ほどの距離をとった。

 パトリーシア嬢が演奏を始める。

 

 でででで、でーんでで、でーんでで、でーで。

 

 おじさんが下手でリンゴを投げる。

 そのリンゴにむかってレイピアを突く聖女だ。

 

 おおう! と学生会の面々から声がもれた。

 おじさんたちがダンスをして、一回り。

 

 次はもう少し距離をとって同じことをする。

 

「いきますわよ!」


 おじさんがリンゴを投げる。

 聖女が突き刺す。

 

 しかし狙いが少しそれてしまった。

 剣先がかすっただけだったのだ。

 

 それで少し軌道が変わって、床にリンゴが落ちた。

 

「もっかい! もっかいだから!」


 聖女が言いながら、おひげダンスを踊る。

 おじさんも踊って、再チャレンジとあいなった。


 でででで、でーんでで、でーんで……。

 

 パトリーシア嬢の演奏がとまる。

 ちょっとくしゃみをしてしまったのだ。

 それに伴ってガクッとなる聖女であった。

 

「途中でとめるなー! いいところだったのに!」


「今のは不可抗力なのです! 妖精さんのいたずらなのです!」


 さっと指を動かして、魔除けをするパトリーシア嬢だ。

 

「パティ、よければ私が変わりましょう」


 ニュクス嬢である。

 彼女も魔楽器の演奏には定評があるのだ。

 

「お鼻がムズムズするです。お姉様、申し訳ないのです」


「かまいませんわ。仕方ありませんもの。では、ニュクス、お願いしますわね」


「承知しました」


 でででで、でーんでで、でーんでで、でーで。

 仕切り直しである。

 

「リー! もうわかったから、やりたい!」


 ケルシーが手をあげた。

 聖女に確認をとるおじさんである。

 聖女も仕方ないという感じで、渋々許可をだした。


「ケルシー。わかってるわね? リーみたいな投げ方をするのよ!」


「わかってるって。エルフの学習能力をなめないでよね!」


 おじさんと場所を交代するケルシーだ。

 でででで、でーんでで、でーんでで、でーで。

 

 もう一度、ダンスを踊ってからケルシーがリンゴを握る。

 そして聖女にむかって下手で投げた。

 

 空中に弧を描くリンゴだ。

 だが、ケルシーは投げるときの力加減がわかっていなかった。

 

 ケルシーは蛮族である。

 だが蛮族とて情はあるのだ。

 

 だから――距離が足りなかった。

 そうとわかった聖女が前にでる。

 

「こんちくしょう!」


 このままだと落ちる。

 そう判断したケルシーは魔法を使った。

 得意の風の魔法を。

 

 突如、学生会室に暴風が吹き荒れる。

 ちょっと加減をまちがったのだ。

 

 書類がバサバサと飛ぶ。

 リンゴも軌道を変えて、ちょっと持ち直す。

 

「だりゃああああ!」


 聖女はリンゴ以外見えていなかった。

 その剣先はリンゴを見事とらえたのだ。

 

「よっしゃあああ! らあああい! らあああい!」


 盛り上げる聖女とケルシーの二人であった。

 ハイタッチをして、お互いに褒め称えている。

 

 だが――学生会室の書類やらなにやら。

 すべてが散らかるという惨劇が起こっていたのである。


「蛮族一号、二号、そこに座りなさい!」


 アルベルタ嬢の怒声が飛んだ。

 

 一号と二号は顔を見合わせる。

 周囲をぐるりと見て、二人は頷いた。

 

 状況を把握したのである。

 そして――一目散に逃げ出すのであった。

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