第733話 おじさんは聖女の言葉に感動し、考えさせられる


 カラセベド公爵家のサロンである。

 おじさんは今、窮地に陥っていた。

 

 背中から撃ってきたのは、まさかのキルスティである。

 二つ名とかそういうのは要らない。

 

 べつに憧れもしないのだ。

 おじさんは。

 

「そう言えば……リー様のお母様の二つ名を聞いたことがあるのです!」


 パトリーシア嬢が若干だが話をそらす。

 おじさんの母親のことなら、この場にいる全員が知っている。

 

 おじさんの母親という年齢を感じさせない美人さんだ。

 そして――かつては鏖殺姫とも呼ばれていたのである。


「学園生の頃は女帝と呼ばれていたのです!」


 おお、と薔薇乙女十字団ローゼンクロイツから声があがった。

 その二つ名はとても似合っていたからだ。

 

 ただ、おじさんは思う。

 王がいる国なのに、王の上の帝を名付けていいのか、と。

 

 あくまでも二つ名なので、うるさいことは言いっこなしかもしれない。

 もちろん母親が自称していたわけではないだろう。

 

 もし自称していたら、ケンカ売ってんのかワレぇとなってもおかしくない。

 いや、母親に文句を言える人間がいたのかという話でもあるが。

 

 おじさんの前世ではいくつか前例があったりする。

 ただ、それは王の権力が弱かったりすることで起こったケースがほとんどだろう。

 

 騎士や男爵などの弱小貴族が王や帝を自称した例はなかったはず、だとおじさんは思うのだ。

 

「リー様のお母様にふさわしい二つ名なのです!」


 グッと拳を握りしめるパトリーシア嬢であった。

 そんな彼女を見て、ウンウンと頷く他の面子たちである。

 

「では、リー様も女帝というのはどうでしょう?」


 イザベラ嬢である。

 どうやらかなり気に入ったようだ。

 

「いや! そこはヒネりが欲しいわね!」


 聖女が口を挟んできた。

 

「ですが二代目女帝とかは語呂がよろしくありませんわ」


 ニュクス嬢だ。

 狂信者の会は女帝推しのようである。

 

 おじさんは思った。

 どこぞの警察と癒着したスケバンか、と。


 二代目女帝リー! おまんらゆるさんぜよ!

 

 んーないな、と思うおじさんであった。

 

「いや、そもそも女帝から離れなさいよ!」


 聖女である。

 ちょっと回復したのだろうか。

 そういえば消化能力を上げているはずだ。

 

「では、エーリカは対案がありますの?」


 アルベルタ嬢が聞く。

 

「ふふふ……マザーハーロットとかどうよ!」


「エーリカ……ちょっとこちらに」


 おじさんは聖女を部屋の隅に連れて行く。

 

「ちゃんと元ネタを知っていますの?」


「しらにゃい。女帝コミュの強いやつって感じ」


 聖女がおじさんに言う。


「元ネタはバビロン・ザ・グレート、ザ・マザー・オブ・ハーロット。聖書の一節にも書かれる大悪魔のことです。日本語にすれば売春婦の母、あるいは大淫婦」


 さすがにそんなものを二つ名にはできない。

 

「う……ごめんなさい。知らなかったわ」


「知らなかったのは仕方ありませんわ。というか、この流れが嫌なのですけど」


「んーでも見てみ?」


 聖女が目線でおじさんを促す。

 おじさんも振り返ってみると、学生会のメンバーがわいわいと楽しそうにしているではないか。

 

「みんな、リーをからかおうなんて思ってないわ。ただ喜んでほしいだけなのよ」


「むぅ……お気持ちはありがたいのですが」


 いまいち乗り切れないおじさんだ。


「まぁリーが言えば、やめると思うわよ。でもね、リー。考えてみて。私たちはすごくリーにお世話になってるでしょ。でも、そのお返しができてないじゃない」


「わたくしは……」


 聖女が手のひらを見せて、おじさんにストップをかける。


「わかってる。リーはお返しがほしくてやってるわけじゃないのよね。でもさ、私たちは友だちでしょ? だったらなにかを返したいのよ」


 聖女の言葉に、おじさんは気づいてしまった。

 たぶん、人付き合いという点における距離感について。

 

 そも前世からして、おじさんはまともな人間関係を築けなかった。

 もちろん幼少期から続いた過酷な環境も影響している。

 

 おじさんは敵を作らないことに重きをおいていた。

 自分を殺して、相手に尽くすことを第一としたのだ。

 結果的に、自分を守ることにつながると学んだからである。

 

 だが、それは歪なのだ。

 友だちというのは対等である。

 

 確かに今生のおじさんは人よりも多くのことができる。

 実家にも恵まれているから、金銭や物という点でも困ることはない。

 

 そうした環境故に、おじさんの人に尽くすという部分が加速したのは否定できないだろう。

 

「ほら、前にアンサ・メイの祝祭日のお祝いをしたでしょ。私たちからしたらさ、あんなくらいしかできないけど」


 ぶんぶんと首を横に振るおじさんだ。

 あの贈り物はとても嬉しかったのである。

 

 初めてお友だちからもらったものだったから。

 今でも大切に宝珠次元庫の中に保管してある。

 

「まぁリーにしたらさ、迷惑かもしんないけど。でもさ、みんな何かしらお返ししたい気持ちがあるのよ。それはわかってあげて」


 コクコクと頷くおじさんであった。

 確かに言われてみれば、そうかもしれない。

 

 おじさんからすれば二つ名なんてどうでもいいことだ。

 でも、他の皆はおじさんに喜んでほしいのである。

 

 なるほど、と納得したおじさんだ。

 

「わかりました。わたくしがまちがっていましたわ」


 おじさんの言葉にニパっと笑う聖女だ。


「まぁうん。わかるわよ。アタシたちは前世の記憶があるんだから。でも、たまにはハメを外してみるのもいいわよ」


「ですわね」


「ってことで! アタシがもっと引っかき回してくるわ!」


 テテテと走っていく聖女だ。

 その背を追うおじさんの足取りは、さっきよりも軽かった。

 

「スパイスの効いた美味さってのはどうよ!」


 それは辛口カレーのことだろうに。

 おじさんは思わず、苦笑をもらしてしまう。

 

「なにを言っているのか、わかりませんわ!」


 アルベルタ嬢が聖女にツッコむ。

 

「なにそれ美味しそう!」


 食欲全開のケルシーだ。

 まだお腹をさすっているというのに。

 

「美味しそうなのは二つ名じゃないのです!」


 パトリーシア嬢が笑いながらツッコんでいた。


「リー様、今まででた案としてはですね」


 アルベルタ嬢が楽しそうにしている。

 見れば、他の面々もだ。

 

 特に脳筋三騎士はワクワクといった感じだろうか。

 相談役の三人も笑顔になっている。

 

 おじさんは思う。

 幸せだ、と。

 

「ということでですね! 今のところ推しなのは青薔薇の美、絶望を破壊する者、神祖なる調律、蒼天の覇王、従えし者がありますわ!」


 どれもこれも中二臭い。

 いや、うん。

 

 やっぱ無理と思っても仕方ないだろう。

 頬がヒクヒクと引きつってしまうおじさんである。

 

「ひ、光と闇を揺蕩いし黄昏の御子とかどうでしょう?」


 おじさんが自分で捻りだした中二病ワードだ。

 まだ自分が考えただけマシだと思うしかない。

 

「それはダメよ、リー。自分でつけるのは反則。よって却下」


 聖女がばっさりと斬って落とした。

 おじさんは膝から力が抜ける。

 

 すとんとソファに腰を下ろして、新しいお茶に手をつけた。

 

「はいはい!」


 ケルシーが手をあげた。

 

「はい、二号! 言ったんさい!」


「妖精の女王!」


「ううーん。リーは妖精じゃないし。けどまぁ気持ちはわかる」


 おじさん、真なる妖精女王ティターニアですけど、なにか?

 

「じゃあ、お菓子の人!」


 そんな風に思っていたのかと思うおじさんだ。


「まぁ否定はしないけど、うん、ちょっとちがう」


「ええとね、じゃあねえ」


 ううーんとうなりだすケルシーであった。

 

「仕方ないわね、ここはアタシがばっちり決めてあげるわ!」


 聖女が高らかに宣言する。

 ハードルあげなくてもいいのに。

 

「では、聞きましょう。エーリカさん、リーさんの二つ名は?」


 キルスティが聞いた。

 

「アルティメット公爵令嬢のリーよ!」


 飲みかけのお茶を盛大に吹きだすおじさんであった。

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