第717話 おじさん温泉施設を作ってしまう


 バベルのもとに転移をしたおじさんである。

 そこは空中であった。

 

 慌てることなく、即座に飛行魔法を発動するおじさんである。

 

 眼下にはもうもうと煙を噴く岩肌が見えた。

 そして鼻につく硫化水素臭。

 

 いわゆる腐った卵の臭いである。

 

 おじさんの知識で言えば、だ。

 箱根にある大涌谷に近いだろうか。

 

 ブラック社畜時代に社長に連れて行かれたことがある。

 もちろん社長が愛人との旅行を隠すための偽装出張で、だ。

 

 ただまぁあのときに真っ黒な卵を食べたのを思い出す。

 ひとつ食べれば七年寿命が延びるとかなんとか。

 

 ちゃんと塩の小袋がついてくるのがよかった。

 確か茹でてから蒸すんだったか。

 細かいところは覚えてないおじさんだ。

 

 だが、この場所なら再現できそうである。

 

 それは後だ。

 まずは調べないといけないことがある。

 

 この臭いがするということは、だ。

 硫化水素や二酸化硫黄といった人体に有毒なガスがでているはずだから。

 いわゆる火山性ガスである。

 

「トリちゃ……ウラエウス?」


 できる使い魔を置いてきたおじさんが喚ぼうとして気づく。

 自分の腕に炎帝龍が巻きついていることに。

 

『ママといっしょ』


「かまいませんけど、体調が悪くなったら言うのですよ」


『うん!』


 そんな炎帝龍の頭をなでるおじさんだ。

 

『主よ、いったい何を見つけたと……温泉か』


 喚ばれてでてきたトリスメギストスだ。

 

『ふむ……ここら一帯は少し危険であるな』


「そうですの?」


『この辺りの地形がちょうど窪地のようになっているであろう?』


 トリスメギストスの言葉にあわせて、おじさんも周囲を見る。

 

『こうした窪地はガスがたまる。風がなければ濃度が高くなるのである』


 その言葉に納得するおじさんだ。

 確か箱根でも濃度の高い日は警報があるとか聞いた覚えがある。

 

「では、どこか別の場所に湯を引いた方がいいかしらん」


『で、あるな。入りたいときに入れないというのは、主の望むところではなかろう?』


「ですわね」


「筆頭殿。どの辺りがよさげでおじゃるかな」


 バベルが確認をとる。


『湯だけがほしいと言うのなら、主が転移の魔法陣を刻んでどこかにつなげてしまえばいいがな』


「それもやりますけど、やっぱりこの景観はいかしたいですわね」


 霊山ライグァタムのどの辺りか、おじさんにはわからない。

 が、眼下に雲海があるところを見ると、それなりの高さなのだろう。

 

 一方ではガスのせいか植物の生えないような岩山である。

 ここに侘び寂びを感じるのは、おじさんの前世の影響が大きいのかもしれない。

 

「バベル、この辺りに魔物はいませんの?」


「麻呂は見かけておりませぬな」


『恐らくはこのガスの影響であろうよ。魔物にとっても好ましくないのだろう』


「逆に言えば、ガスの影響が薄い場所であれば魔物がでる、と」


『で、あるな』

  

「仕方ありませんね……結界でも張りますか」


 おじさん的にはこの臭いもコミで硫黄泉である。

 ただまぁお湯にも臭いはあるのだから、結界を……と気づいた。

 

 結界が張りっぱなしだと、硫化水素がたまってしまうのでは、と。

 ならば、やはり場所の選定をする必要がある。

 

『お、主よ。ここから少し下って、西の方によさげな場所があるぞ』


 使い魔の指示に従って飛ぶ、おじさん一行である。

 そこはちょっとした平地になっている場所だ。

 

 少し離れたからか、硫化水素の臭いも薄い。

 景観もよさげである。

 

『バベル! 任せていいですか?』


「承知」


 ただ、あのトカゲがいたのだ。

 けっこうな数。

 侍女が言う嘘つきトカゲである。

 

 防御が堅いと定評があるトカゲなのだ。

 が、バベルのひとなでで首が落とされていく。

 

「やっぱり嘘つきトカゲですわね」


『主よ……それは言ってやるな……』


「まぁいいでしょう。トリちゃん、あの魔物避けの魔道具を試しますわよ」


『で、あるな。ちょうどいい機会であろう。』

 

 その場にいた鋼トカゲを殲滅したバベルが戻ってきた。

 

「主殿、素材はこちらに」


「ありがとう。後ほど使わせてもらいますわね」


 おじさんの言葉が気になったトリスメギストスが確認をとる。


『ふむぅ……どうする気だ、主よ』


「イシルディンでしたか、見えない壁として使います」


 魔法銀ミスリルの上位互換金属である。

 軽く、魔力の伝導性も高い。

 

 が、見えないという特徴を持っているのだ。

 特殊な条件を満たしたときのみ目に映る。

 

 で、あれば壁や天井の素材として使えばいいじゃない、というのがおじさんの考えであった。


『なるほど……そういうことか』


 それを理解してトリスメギストスも納得する。

 今や幻とも言える金属をそんなことに使うなんて、とは口にしない。

 言ったところで、どうにもならないからだ。

 

『ママ、まりょくがほしい』


 炎帝龍に魔力を与えながら、おじさんは平地に降り立った。

 上から見るよりも広い。

 

 ここならちょうどいいだろう。

 

 パチンと指を鳴らして整地してしまうおじさんだ。

 ふんふんと鼻歌をうたいながら、上機嫌で区割りをしていく。

 

 できあがったところで魔法の発動である。

 大地に手をつく。

 

「はいやあああ」


 ある場所はボコっとへこみ、ある場所には岩壁ができていく。

 

 もはやこれが魔法かというレベルであった。

 だが、おじさんにとってはできて当たり前のことである。

 あっという間に作り上げてしまう。

 

 メインとなる露天風呂の底には転移陣まで描いている。

 これを源泉とつなげれば湯が直送されてくる形だ。

 

「トリちゃん、バベル。源泉に行ってつなげてきてくださいな」


『承知した。ああ、主よ。そこは湯を貯める場所にした方がよかろう』


「ん? どういうことですの」

 

『源泉の湯は熱いということだ』


「なるほど。そういうことですか、源泉掛け流しにするなら……」


 と、考えこんでしまうおじさんであった。

 

『バベルよ、ああなったらしばらくは動かんからな。先につないでしまおう』


「で、おじゃるな」


 姿を消す使い魔たちであった。

 

 おじさんは考える。

 どうせ温泉卵も作ろうと思うのなら、湯の温度は高い方がいい。

 

 それから温度を下げるのなら、冷却の魔法でも使うか、と。

 ついでに鬼人族や蛇人族のための公衆浴場も作ってしまおう。

 

 このくらいの広さがあればいける。

 

 考えがまとまってしまえば、あとは作るだけだ。

 

「はいやあああ!」


 かけ声ひとつで公衆浴場ができてしまう。

 もはやよくわからない。

 それがおじさんの魔法だ。

 

 結局のところ、満足のいくできになるまで改築を繰り返した。

 それでも二時間ほどで温泉施設を作ってしまうおじさんである。

 

「これでよし! ですわ!」


 一方で鬼人族の里である。

 父親と家令はどのような付き合いをするのかを詰めていた。

 

 現時点では王都ではなく、事情を知るカラセベド公爵家領とつなぐことから始めるという話になっている。

 後々、王都や他公爵家の領地ともつなげればいい。

 

 最初から欲張ることはないのだ。

 

 まずはできる範囲から確実にやる。

 それが父親のモットーだ。

 

「では、そういうことでいいかな?」


「ええ……お願いいたしますじゃ。こちらの希望を聞いていただいて恐縮ですのう」


 里長が頭を下げる。

 かなり鬼人族の意見が採り入れられた形だからだ。

 ただ、そのように父親が話を持っていったということでもある。


「まぁ実際に運用を始めれば、問題もでてくると思う。それはその都度解消していけばいい。それと先ほど言った授爵の件、考えておいてほしい」


 父親は一歩踏みこんでいた。

 べつに鬼人族を従えたいというわけではないのだ。

 

 ただ王国の麾下に入るのなら、形は整えておく方がいい。

 面倒なことを言いだす貴族もいるのだから。


「ふむぅ……わしが貴族ですか」


「まぁ形だけになるかと思う。王国としては、誰が責任者なのかをはっきりさせておく方がいいだけだね。長がダメなら次の長であるキタロウ殿が授爵してもかまわない」


「なるほどのう……授爵の件は少しお時間をいただいてもかまわんですかのう。わしだけではなんとも……」


「かまわないよ」


 あっさり流す父親である。

 そもそも村の規模しかない鬼人族が、いきなり貴族だなんだと言われても理解するのは難しいだろう。

 

 そこはきちんと承知している父親だ。

 

「では、一息入れようか」


 と父親が提案したときである。

 おじさんが戻ってきた。

 

「お父様! お母様! 温泉に行きましょう!」


 おじさんの言葉に目を白黒させる父親だ。


「あれ? お母様は?」


「ヴェロニカはオリツの家だよ。鬼人族の甘味を食べるとか」


「なるほど。では、皆でまいりますか」


 あ、そうそうとおじさんは長を見る。


「鬼人族の皆さんが湯を使えるように公衆浴場も作ってきましたの!」


 額に手をあてる父親だ。

 この短時間でやっちゃったかあと思う。

 でも、それが娘にとっては当たり前なのだろう。

 

「さ、転移陣を刻んでしまいますわよ。どこがいいですか! あ! あの集会所に刻むのがいいですわね!」


「ちょ……御子様」 


 上機嫌のおじさんだ。

 ニコニコと笑顔を振りまいている。

 

 が、里長はまったく話についていけないのだ。

 そんな里長の肩をぽんと叩く父親である。

 

「もう諦めよう」


「……」

 

 里長と父親は無言で互いの顔を見る。

 

「……大変なんですのう」


 ぼそりと呟く里長だ。

 うんうんと頷く父親と家令であった。

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