第715話 おじさん不在のレルタパウの魔導具店での一幕


 ヨランダ・メルクロヴァ。

 小豆色の髪をした、落ち着いた雰囲気のお姉さんだ。

 

 今は小さな魔導具店を夫婦で営んでいるが、レルタパウを治める代官の庶子である。

 

 マディと同じく才能ありと認められたことで、王都の学園に進学させてもらった。

 似たような境遇であったことから、二人は学園時代から打ち解けていたのだ。

 

 ちなみにヨランダの旦那は法衣男爵の三男である。

 この旦那もまた学園で知り合った。

 一期上の先輩になるが、魔導具開発部で一緒だったのだ。

 

「まったく、あんたは大人げないわね」


 子ども言うことなんて流しなさいよと笑うヨランダである。

 

「ごめんなさい。ちょっと思い出したくないことがあって」


 マディが思い出すのは妖精女王のことだ。

 ――私と契約して魔法おばさんになるのよ。

 この一言が意外と胸に突き刺さっていたのである。


 ちなみにギャン泣きした子どもは旦那が引き取っていた。

 ついでに店の看板はクローズドになっている。

 

「まぁいいわ。私もちょうどあなたには話すことがあったし。ってかね、あなたの噂、こちらにも届いているのよ」


「ほおん……」

 

 強気な表情だが、マディはぎゅっと手を握りしめていた。

 

「……まぁその様子だと、たぶんあなたには声がかかってないのね」


「どういうことかしら?」


 心がざわつくマディである。

 落ち着くために、出してもらった香茶に口をつける。


「ヴィー様から連絡があったのよ。魔導具開発部に所属していた者たちに、うちの領地にきなさいって」


 おじさんの母親である。

 学園時代には女帝の異名をとった伝説的な存在だ。


「…………勧誘ってこと?」


「さぁ言葉なんてどうでもいいのよ。ヴィー様が面白いことをすると書かれていたのよ。全員集まれ、と。なら、行くしかないでしょ」


 さもありなんである。

 あの時代、魔導具開発部は母親を中心に回っていたのだから。

 

 誰も彼もが心酔していたのだ。

 その人物が招集をかけた、面白いことをする、と。

 

 なら、行くだろう。

 よほどのことでもない限り。


 それに誘われていないというのがショックなマディである。

 実際にはまだマディの元に手紙が届いていないだけではあるのだが。

 

 その事実を知らないのだ。


「家族は? 店はどうするの?」


「あなたも知っているわよね、うちの旦那は一期上なのよ。旦那にもヴィー様からの招請があったわ。家族まるごと面倒みてあげるって」


「……でも、ヨランダは」


 この土地の代官の庶子。

 それは代官の意向を汲まないといけないということでもある。

 

 そんなマディの心配をよそに、ヨランダは微笑んだ。

 

「どうしたのよ、マディ。ヴィー様からのお願いよ、うちの父親ごときがどうにかできるわけないでしょう?」


 クスクスと笑うヨランダだ。

 相変わらず仲はよくないようである。

 マディはふぅと息を吐いた。

 

 思考する。

 ヴィー様の言う面白いこと。

 長年動かなかったヴィー様が動いた意味とは。

 

「……まぁいいわ。あなたはどうするの?」


 そんなマディの様子を見ながら、ヨランダは軽く笑った。


「私は……」


 口ごもるマディである。

 ヴィー様には怒られた。

 

 ――次はないわよ。

 

 かけられた言葉の冷たさ。

 それを思い出すと身震いしてしまう。

 

「……話は聞いているわ。ヴィー様を怒らせたのでしょう? しかも学生時代と同じようなことをして」


「…………」


 言葉がでないマディだ。

 

「まったく……いい、マディ。あなたはね、確かに優秀よ。私たちの同期ではいちばんだった」


 でもね、とヨランダが告げる。


「裏を返せば、その程度なのよ。言っておくけど、王国の俊英が集まる学園の中でも優秀だってことはスゴいことよ。だけど、あなたはヴィー様にはなれないの。ヴィー様はそれこそ歴史に名を残すようなお方だから」


 いい、とヨランダは優しく続けるのだ。

 これも一児の母だからだろうか。


「まぁわからないでもないのよ。優秀だからこそ認められない、認めたくないということも。だけどね、そろそろそんなちっぽけな矜恃は捨ててしまいなさいな。上には上がいるのよ」


 まったく、そのとおりだと思う。

 

 マディは振り返る。

 最初、おじさんを侮ったのも嫉妬からだ。

 なにも知らない小娘が、と。

 

 尊崇する人の娘であり、その面影を色濃く残す姿。

 それもまたマディからすれば嫉妬の対象だったのだ。

 

 だが――その後もおじさんはマディを振り回した。

 なおおじさんにそのような気はまったくない。

 

 しかし、学園を卒業後に身につけてきた商業組合での知識や経験。

 それをあっさりと凌駕していかれたのだから。

 

 マディが認める商会長たちと楽しげに丁々発止のやりとりをする。

 その後も商会長たちは、完全におじさんを認めていた。

 

 それが悔しかったのだ。

 嫉妬したのである。

 

 あんな笑顔になった商会長たちを見たことがなかったのだから。

 

 結果、嫉妬という感情に振り回されたマディは堕ちたのだ。

 商業組合から飛び出して、それで……。

 

 振り返れば、わかる。

 マディの独り相撲だったことが。

 

 ほう、と深い息を吐くマディである。

 そんな彼女の様子を見て、ヨランダが声をかけた。

 

「……私からあなたのことは取りなしてあげるわ。だから、あなたも素直にヴィー様に頭を下げなさいな」


 正確にはヴィー様にではない。

 おじさんにだ。

 もちろんヴィー様にも謝る必要がある、とマディは思う。


「う……私、これから王都に行くの。それもカラセベド公爵家に」


「なにしに行くのよ?」


 ヨランダの問いにマディは答えた。

 あれから時間が経過したこと、そして信頼できる旧友という存在。

 その二つがマディを素直にさせたのである。

 

 だから――自分のやらかしたことをすべて語った。

 語って、マディは落ちこんだ。

 

 お茶を飲もうとして空だったことに気づく。

 そんなマディを見て、苦笑しながらヨランダはおかわりを淹れてくれた。


「ちょうどいい機会じゃない」


 再び席に着きながら、ヨランダは言う。


「そこまで自分を冷静に見られたのなら、ヴィー様だってお許しくださるわよ」


「そ、そうかな……」


 もじもじとするマディである。

 いい年齢なのに、とは言わないのがヨランダの優しさだ。

 

 そこへコンコンとドアを叩く音が聞こえた。

 

「僕だ、ヨランダ。そろそろ昼だけど、昼食はどうする?」


 旦那だ。

 そうね、とヨランダはマディを見た。

 

「悪いけど、私たちは外で食べてきてもいいかしら?」


「わかった。マディ、うちの子にお菓子を買ってきてやってくれるかい?」


「わかったわよ。仲直りしたいのは私もだから」


「よかった。それじゃあ頼んだよ」


 旦那の気配が消えた。

 それじゃあ、とヨランダが立ち上がる。


「うちの近くにおすすめの店があるのよ。食事の後はお茶でも行きましょう。マディのおごりでね」


「くうううう……いいわよ。そのくらい」


 二人は笑いながら店を出て行くのであった。

 

 その音を聞きながら、ヨランダの旦那は思うのだ。

 まったく世話が焼ける、と。

 

 学生時代からあまり変わっていないマディ。

 経験は積んでいるのだろう。

 

 だけど本質的な部分では、学生の頃とさほど変わらない。

 結婚でもすれば、また変わるのかもしれないと思う。

 

 だが、そんなことは怖くて口にだせない。

 

「パパぁ、あのおばさん、かえった?」


「うん……外に行ったみたいだね」


「ママは?」


「ママも一緒だね」


「そっか……あのおばさん、きらーい」


 こらこらと軽く笑いながらたしなめる旦那である。

 

 きっと、これからは顔を合わせることが多くなるだろう。

 だってヴィー様が召集をかけているのだから。

 

 稀代の天才が言う面白いこと。

 それに関わることができるという喜び。

 

 またあの面子が集まるのだ。

 楽しくならないわけがない。

 

 ふふ……と笑いがこぼれる。

 

 ヴィー様が動いた。

 長年、動かなかったヴィー様がだ。

 そのことを思うと、どうしたって胸が高鳴るのである。

 

 だって、ちっぽけなことでは絶対に動かない人だから。

 

 おじさんと同じく、母親も絶対の信奉を得ていた。

 それだけの実力と実績を残してきたのである。

 

「パパ、なにかおかしいの?」


 娘の頭をなでながら、抱き上げる。


「今日のお昼はお外で食べようか」


「やったああああ」


 娘を連れて、外にでる旦那だ。

 ヨランダの行く店には心当たりがある。

 鉢合わせしないように、別の店へと足をむけるのだった。

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