第705話 おじさん闇の間に足を運ぶ


 夕暮れ時である。

 公爵家の屋敷から転移したおじさんは、鬼人族の里に降り立った。

 

 今回、おじさんは侍女を伴っていない。

 ひとりだ。

 

 大精霊がらみの話である。

 なにがあるのかわからない。

 だからこそ侍女を連れてこなかった。

 

 さすがに渋られたが仕方ない。


 ただバベルやランニコール。

 加えて、バベルの妻であるリリートゥに、ランニコールの妻のカーネリアンもいる。

 

 まぁリリートゥとカーネリアンの二人に関しては要注意ではあるのだが。

 

 おじさんが転移したのは岩室の前にある広場だった。

 待っていたのは姿を消したバベルと里長だけである。

 

 聞けば、他の者は既に自宅へと帰ったそうだ。

 各々、食事の準備でもしているのだろう。

 

 各家から炊煙があがっているのが見えるのだから。

 

 赤みの強いオレンジ色の強い空が見える。

 雲海に反射して、とてもきれいだ。

 

「御子様、わざわざご足労をいただき感謝いたしますぞ」


「いえ、かまいませんわ。そも、わたくしがこちらの里にきたのは、闇の大精霊様からお声がかかったからですもの」


 おじさんの返答に頭を下げる里長であった。


「では、ご案内いたしましょうかの」


 里長が岩室の脇にある道にむかって歩いていく。

 その後ろを黙ってついていくおじさんだ。

 

 脇道ではあるが、人が余裕ですれ違えるくらいの幅がある。

 ただ岩と石ばかりの山道だ。

 

「少し時間がかかりますぞ……」


 矍鑠かくしゃくとした里長ではあるが、さすがにキツイのか。

 肩で息をしている。

 

「無理をする必要はありませんわよ。休みながら行きましょう」


 おじさんは平然としていた。


「お恥ずかしい。若いときは雑作もなかったのじゃが」


 道が悪い。

 加えて、岩や石が散乱しているのだ。

 歩きにくいことこの上ない。


「気にしなくてもいいのですよ」


 大きめの岩に腰をおろす里長だ。

 おじさんは魔法を使って、コップを作り、水を入れる。

 それを里長に渡してやるくらいには余裕があった。

 

「……御子様、ひとつお願いがあるのじゃが」


「聞きましょう」


「オリツのこと、お頼みしてもかまいませんかな?」


「それは我が家にてオリツを雇えと捉えてかまいませんか?」


 おじさんの言葉にコクンとうなづく里長だ。

 そして、手にしたコップから水を飲む。

 

「雇うというのがよくわからんのですがな。あの子は戻ってきてから口を開けば、御子様がいかにすごいのかを語りましてな。事が済んだあとも御子様のお傍にいたい、と」


 少し目を細めて、黄昏の空を見る里長だ。

 寂しいという気持ちもあるのだろう。

 

 ただ、外にでた孫娘がここでは得られない経験をしたのも事実だ。

 ならばその背を押してやろうと考えたのだ。


「承知しました。では当家でオリツを預かりましょう。どのみち鬼人族の皆さんも、我らと交流を持つのなら事情がわかる者がいたほうがよろしいですわ」


 おじさんの言葉に深く頷く里長であった。

 コップの水を飲み干して立ち上がる。

 

「よろしくお頼み申し上げます」


 深々と頭を下げる里長。

 その姿を見て、おじさんは言った。

 

「今生の別れにはなりませんわ。どうとでもできますから」


 おじさんなら転移陣を刻むことができるからだ。

 いつでも里と行き来ができる。

 

「でしょうな」


 里長が二カッと笑った。

 

「では、行きましょう」


 コップをもとの石に戻して、再び歩き始めるおじさんたちだ。

 体感でだいたい三十分ほど山道を登っただろうか。

 

 猫の額ほどの小さな広場にでた。

 先ほどの集会所前とは比べものにならないほど狭い。

 

 その狭い広場の奥である。

 石で作られた鳥居があったのだ。

 

 かなり年月が経過しているのだろう。

 風雨にさらされ、一部が欠けているところも見られる。

 表面が黒ずんでいるところも多い。

 

 鬼人族がかがまずに通れる程度の大きさか。

 おじさんからすれば、一般的なサイズの鳥居だとも言える。

 

「初代様がお作りになったと伝わっております」


 ほおん、と言いながらおじさんは鳥居の表面にそっと触れる。

 一見すれば、いつ崩れてもおかしくなさそうに見えた。

 が、実際に触ってみれば意外と頑丈そうだ。

 

「御子様、わしはここまでになりますの。ここより先は聖域でしてな。許しを得た者しか進むことができませんのじゃ」


 長の言葉に頷くおじさんだ。

 ちらりと周囲を見る。

 

「先代の巫女――ワシの伴侶に聞いたのじゃが。一本道なので迷うことはない、と。ただまっすぐ進めばいいとのことですのう」


「承知しました。里長はお戻りになりますの?」


「いえ、差支えがなければここで待たせていただこうと思っております」


「そうですか。ならば」


 と、おじさんが指を弾く。

 なにもない小さな空き地に、魔法で椅子を作ってやったのだ。

 

「これはこれは……助かります」


「では、わたくしは大精霊のもとに参りますわ。里長、遅くなるようであれば適当なところで戻っていただいてかまいませんわよ」


「畏まりました。御子様、お気をつけて」


 里長に軽く手を振って、おじさんは鳥居の端っこを通る。

 そして聖域に足を踏み入れたのであった。

 

 先ほどと同じような道が続く。

 が、少し変わっていたのは岩がくり抜かれていたこと。

 隧道トンネルである。

 

 五メートルほどの短さなので、向こう側は見えているのだ。

 そんな隧道トンネルをいくつか通ると、泉が見えてきた。

 

 いや、おじさん的には泉というより温泉に近いかもしれない。

 動物も利用していそうな岩風呂っぽいのだ。


「んんーひょっとして、サクヤお姉様が覗かれたのはここ?」


 聖女の従兄である魔人ヴァ・ルサーン。

 その魔人が火の上級精霊を覗き見したことで一悶着あったのだ。

 

 すり鉢状になって窪んだところに湧水池がある感じだ。

 ここなら覗き放題だろう。

 

 いや、そもそも許された者しか入れない場所なのだ。

 まさか上級精霊も覗かれるとは思っていなかったはずである。

 

 そんなことを考えながら、おじさんは進んで行く。

 さらに隧道トンネルを二つほど。

 

 で、見えてきたのは集会所のあった岩室に似た場所だ。

 いや岩盤の裂け目といった方がいいだろうか。


 そこに一人の女性がいた。

 白衣に緋袴。

 純和風の格好をした女性である。

 

 もちろん鬼人族だ。

 どことなくオリツに似た雰囲気があった。

 

「お初にお目にかかります。当代の巫女オハルと申します」


 ペコリと頭を下げてくるオハルだ。


「わたくしはリー=アーリーチャー・カラセベド=クェワです」


「御子様にお会いできましたこと。恐悦至極でございます」


「そんなに畏まらないでくださいませ。それよりオハルさんはオリツの面影がありますわね。いえ、年齢的には逆ですか」


 ニコッと微笑むおじさんだ。


「私の母がキタロウ殿の姉にあたりますので、私からすれば従妹となります」


 キタロウはオリツの父親である。

 伴侶と娘におじさんの食事を分けてもらえない悲しみを背負った男だ。

 

「なるほど。それで似ているのですね」


 恐縮です、とオハルが答えた。


「早速で申し訳ありませんが、闇の大精霊様にお会いしていただきとうございます。案内は私がさせていただきますので」


 よろしくお願いしますわね、とおじさんは足を進めた。

 岩の裂け目から中へと入る。

 

 見た目は粗野であるが、中はしっかり整備されているようだ。

 というのも階段が見えたからである。

 

 そして口を大きく開けた大穴が中央に。

 大穴をぐるりと回るような形で岩壁を掘って階段にしてあるのだ。

 

 ふつうに手を入れたらどのくらいの作業が必要になるのか。

 かなり大がかりなものだ。

 

「このらせん状になっている階段も初代様が手がけたのですか?」


「そうだと伝わっております。初代様はなんでも大地を操ることに長けていたとか」


「なるほど」


 言われてみれば、あの鬼人族の里にしてもそうだ。

 急峻な崖を切り開いて作っているのだから。

 

 よほどの使い手でなければ、作るだけで数年以上の時間がかかるはずだ。

 

 オハルについて階段を降りて行くおじさんである。

 岩の壁全体がボヤッとした青い光を放っていた。

 ダンジョンのような雰囲気だ。

 

 ただ、ただ、降りて行く。

 

 そして穴の底らしき場所が見えた。

 かがり火が炊かれている。

 

 石造りの祭壇も見えた。

 

 その祭壇の前に女性の姿がある。

 あれが闇の大精霊なのか。

 

 長い黒髪の女性だ。

 床にまで髪が伸びている。

 

 青白い肌に、黒色の瞳。

 シンプルな黒の貫頭衣姿だ。 

 

「ああ……ようやく会えましたね」


 すぅとおじさんに手を伸ばす闇の大精霊だ。

 その手がおじさんの頬に触れる。


「闇に飲まれてしまう前に会えてよかった」


 おじさんも頷く。

 手遅れになる前でよかったと思ったからである。

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