第702話 おじさんの優雅なる休日
ふわぁと、かわいいあくびを漏らすおじさんだ。
今日も今日とて霊山ライグァタムへと行く予定である。
ただ、寝起きの窓越しに見える空は曇天模様だ。
大丈夫かしらん、と思うおじさんであった。
侍女がおじさんの寝室に顔を見せる。
お茶を淹れてもらって、いつもどおりのルーティンをこなすおじさんであった。
朝食も終わり、ケルシーも送り出した。
そろそろ出発しようかという頃合いである。
『主殿、少しよろしいでおじゃるか?』
バベルから念話が入った。
『ええ、問題ありませんわ。どうかしましたの?』
『実は鬼人族の里でおじゃるが、昨夜遅くから雨が降っておるそうでな、今は氷まじりの風も吹いておる』
『……なるほど。鬼人族の里は大事ないですか?』
『恐らくは……だが念のために集会所に避難中であるな。長の見立てでは、夕刻くらいには晴れる、と』
『なにも問題がなければいいのですが。バベル、しばらく様子を見てくれますか?』
『御意』
そこで念話が終わった。
さて、とおじさんは考える。
「リーちゃん、どうかしたの?」
サロンのソファに腰掛けて、優雅にお茶を楽しむ母親が声をかけた。
「ただいまバベルから念話がありました。鬼人族の里付近は荒天だそうですわ。氷まじりの雨も降っているそうですの。ですので本日の訪問は中止といたしましょう」
おじさんの言葉に父親も頷いていた。
その判断に異論はなさそうだ。
「夕刻あたりには晴天になるそうですから、わたくし闇の大精霊様とお会いしてきますわね」
「……そうね。そちらも放っておけないものね」
「ということで、です。本日は家族でお出かけいたしませんか?」
パンと手を叩いて提案するおじさんだ。
「ほおん……それは楽しそうね!」
パッと表情が明るくなる母親である。
おじさんは思っていた。
どうせ父親もしばらくは王城に出仕しなくていいのだ。
ならば、この機会に弟妹たちも連れてお出かけしよう、と。
ただどこかの町に行ったりするのは迷惑がかかる。
そこで、だ。
おじさんはちょうどいい場所を思いだしていたのである。
それはあの鮭の専売契約を結んだ漁村だ。
もちろん漁村に行くような真似はしない。
だって、おじさんだけでも女神のような扱いを受けたのだ。
そこに公爵家の当主やら、奥方やらが訪れたらどうなるのか。
もはや天変地異が起こるレベルで驚くだろう。
なので漁村から少し離れた場所だ。
そこはランニコールが見つけてきた浜である。
おじさんのイメージとしては、泊海水浴場に近い。
式根島にある扇形の白い砂浜である。
周囲を岩山で囲まれていて、海からか空からでないと入りにくい。
そんな場所を見つけていたのだ。
もちろん公爵家領の一部でもある。
「せっかくですし、行ける者は全員行きましょうか」
おじさんの提案に使用人たちの目の色が変わった。
特に侍女たちである。
「そうですわね。手が空いているのなら料理人も連れて行きましょうか」
まぁ少し寒いかもしれない。
が、結界を張れば問題ないだろう。
おじさんは砂浜でバーベキューをしてみたかったのである。
もちろん海が近いのだから、海産物を食べるのだ。
「アドロス、ミーマイカ。お願いしてもいいですか?」
どんどん話を進めて行くおじさんだ。
「畏まりました」
と侍女長と家令の二人が人選を開始する。
とは言え、だ。
希望者が殺到する状況である。
そこで――
「さーいしょはグー!」
――どうやら使用人たちの間でも流行っているようだ。
おじさんたち一家は白い砂浜に転移していた。
ランニコールを起点にして、逆召喚を行ったのである。
こちらは多少の雲はあるが曇天というほどではない。
青い空にきれいな海、そして白い砂浜。
扇状に広がる砂浜を囲む岩山には緑が生い茂っている。
岩山の切れ目からは外に繋がる海が見えた。
これは夏にきたいな、と思うおじさんだ。
そういえば
「きゃあああああ!」
妹が大声をあげる。
同時にアミラと一緒に波打ち際にむかって走りだす。
テンションが振り切ってしまったのだろう。
そう言えば、妹もアミラも、弟も海を見るのは初めてのはずだ。
弟はと見ると、ほけーと口を開けていた。
少し海からの風がきつい。
おじさんは母親を見て言う。
「お母様、結界を張りましょうか? 少し肌寒くありませんか?」
「問題ないわ、この程度なら。風が気持ちいいわね」
ニコリと微笑む母親だ。
サクッサクと白い砂浜を踏みしめて、おじさんは微笑む。
とてもいい笑顔である。
「どうですか? ここは?」
おじさんの問いに、両親もニッコリであった。
ついでに使用人たちも微笑んでいる。
帰ったら自慢するのだろう。
「では、くつろげるように準備しましょう」
パチンと指を鳴らすおじさんだ。
足下の砂が動きだして、
一辺が五メートルくらいの
それが三棟。
さらに、おじさんが指を鳴らすと、寝そべるタイプの椅子ができる。
リゾート地のプールでよく見かけるタイプのものだ。
横にならんだ五脚の椅子、もう一列後ろにも同じものが五脚。
ちゃんと椅子と椅子の間には、テーブルまである。
おじさんなりのこだわりだ。
一瞬で、そこがリゾート地の風景に変わってしまった。
ついでに調理台やら使用人たちの椅子なども作ってしまう。
おじさんの魔法なら本当に一瞬のことだ。
「あーねーさま! しょっぱい!」
「ん! しょっぱい!」
アミラと妹の二人は海の水を舐めてみたようだ。
本当にしょっぱいのか確かめたかったのだろう。
「あーこれはいいわね」
母親がさっそくゆったりと椅子の上で寝そべっている。
それが様になっているのだ。
侍女長がお茶の用意を始める。
使用人たちも動く。
父親も母親の隣に座って、寛ぐことにしたようだ。
「姉さま、ここは魚もいるの?」
「さぁどうでしょう? 見に行ってみますか?」
こくんと頷く弟を連れて、おじさんも波打ち際へと移動する。
砂浜の感触が心地良い。
なかなか透明度の高い海のようだ。
魚影も見える。
魔力を探ってみるが、ここには魔物はいないようだ。
「魚がいますわね」
「うん。泳いでるのが見える」
「そうですわね……少し釣りを楽しんでみますか?」
「釣り! いいの? 姉さま!」
貴族のお坊ちゃんがすることではない。
とも思うが、おじさんとて釣り人だ。
こんな環境を見せられては……やるっきゃない。
ふんす、と鼻息を荒くするおじさんだ。
少し考えて、おじさんは延べ竿を作ることにした。
本来なら糸をとおすガイド付きの竿に、リールなどをしっかり作った方がいい。
だが、今はお遊びなのだ。
雰囲気を楽しめればいいだろうと判断したのである。
ただ浜から延べ竿で釣るのは難しい。
そこでおじさんは船を作ることにしたのだ。
といっても、大きな筏のようなものである。
ちょっと湾の中にでて釣りをするのなら十分だ。
宝珠次元庫から素材をドバドバっとだすおじさんである。
「え? 姉さま?」
途惑う弟をよそに、おじさんは錬成魔法を発動した。
一瞬にして、三メートル四方の筏ができあがる。
ついでにオールと、釣り竿まで作るおじさんだ。
糸も錬成して釣り針も作ってしまう。
忘れてはいけないタモやらなんやらも。
あとは餌だが……以前の釣りで使ったのは淡水魚用のものだ。
おじさんなら虫餌でも平気だが、弟や妹にはハードルが高いだろう。
なら作るか。
無敵の錬成魔法で、適当な素材を使って餌を作ってしまう。
オキアミに似た餌ができあがる。
「ねーさま! そにあものっていい?」
ワクワクという表情の妹の頭をなでるおじさんだ。
「かまいませんよ。ただ……」
と魔法を発動するおじさんだ。
妹の身体の周りに風の結界ができあがる。
これで海に落ちても浮いていられるはずだ。
同じ魔法をアミラにも、弟にもかけるおじさんである。
「やったあああああ!」
大喜びする弟妹たちであった。
おじさんはついでにとばかりに言う。
「もうひとつ筏を作りましょうか」
さらに素材をだして、サクッと作ってしまう。
それを連結させて、おじさんたちはいざ出航というときだ。
「なかなか面白そうなことをしているじゃない?」
母親である。
その隣には父親もいる。
「なら、皆で海の上にでましょう」
こうなると思ったので釣り道具も多く作ってあるのだ。
他にもおじさんの侍女と従僕がひとり。
全員が乗りこんだところで、おじさんが魔法を発動させる。
砂を移動させて筏を動かしたのだ。
――海へ。
湾の中だけあって波は穏やかだ。
水上にでてからは、魔法で水流を操作してスイスイと進ませる。
オールを作ったのは念のためだったのだ。
「お嬢様、これでいいのですか?」
侍女が聞いてくる。
筏が流されないための重しだ。
それをドボンと海に落としてしまう。
グッと指を立てて、いいですわ! と返事をするおじさんであった。
人がこない湾である。
そのため魚の警戒心が薄い。
軽く撒き餌をすれば、魚がどんどん集まってきた。
釣り竿を垂れれば、魚がかかる。
まさに入れ食いの状況だ。
「きゃああ! ねーさま! ねーさま!」
妹がはしゃぐ。
竿がビクンビクンと震えている。
妹の後ろから手を添えてやり、釣り上げるおじさんだ。
侍女がタモを使って魚をすくう。
アジに似た小型の魚だ。
「やったあああああ!」
筏の上でジャンプする妹である。
さすがにそれはマズい。
おじさんが空中で妹を抱きしめてしまう。
どん、と落ちたら筏が大きく揺れるから。
「ソニア、筏の上で跳ねてはいけません」
「うん。ごめんなさい」
笑顔の妹を下ろした瞬間である。
「リーちゃん、こっちもこっちも!」
家族がにこやかに釣りを楽しんでいる。
そのことが嬉しいおじさんなのであった。
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