第698話 おじさんのいない薔薇乙女十字団の鬱憤
学園の学生会室である。
はぁとため息をついたのはアルベルタ嬢であった。
会長と書かれた札のある空席を見て、何度も息を吐いている。
物憂い表情で、おじさんからもらったガラスペンをクルクルと指先で回す。
いかにも仕事が手につかないといった雰囲気だ。
たった数日。
されど数日なのだ。
おじさんがいない日々というのは。
おじさんが居るだけで、キラキラと色づいて見える日常が、だ。
今や、すっぽりとモノクロに変わり果ててしまった。
アルベルタ嬢がもう一度、ため息をつく。
それは恋煩いをしている乙女の仕草であった。
いや、アルベルタ嬢に限ったことではない。
学生会室にいる
「まったくさっきから、ふぅふぅふぅふぅと!」
学生会室に居着いている黒猫を撫でていた聖女が立ち上がった。
そして、ぐるりと周囲を見渡して言う。
「情けないわね! リーがいないからってなによ、このザマは!」
「このザマは!」
ケルシーが聖女に続いた。
今日も元気なのが蛮族一号と二号である。
いつもならここでアルベルタ嬢あたりが反論するだろう。
しかし――現実はちがっていた。
ちらり、と聖女とケルシーを見るアルベルタ嬢だ。
反論するかと口を開くが、漏れるのはため息であった。
「きいいいぃいいいい! 辛気くさいったらないわ!」
「ないわっ!」
蛮族一号と二号の息はピッタリだ。
聖女がツカツカと歩いて、窓を開け放った。
少し肌寒くなった外気が入ってきて、カーテンを揺らす。
「この部屋にいたら腐るわ!」
「腐るわ!」
「いえ……きましたわーね!」
「わーね!」
と言いながら、首を傾げるケルシーだ。
よく意味がわからなかったのだろう。
「エーリカ、リー様がいないとダメなのです」
パトリーシア嬢が言う。
おじさんがしばらく学園を休む。
その一報を聞いた日から、元気がでないのである。
いや、そもそもだ。
対校戦が終わってから、おじさんは毎日学園に通っていたわけではない。
今、学園で最も自由なのがおじさんである。
登校も下校も自由自在のお墨付きを学園長から得たのだから。
そんな日が続いていたのである。
なので、たった数日休むと言われても、今さらだという話なのだ。
だが彼女たちにとってはちがっていた。
正式に休むと言われると、こないことが確定するのだ。
わずかな時間さえもふれあうことができない。
それが悩みの種なのである。
「パティ! アリィ! それに皆の衆!」
「みなのしゅー!」
ケルシーがニコニコしている。
その屈託のない笑顔に、ちょっとだけ癒やされる
「今からダンジョンに行くわよ!」
「いくわよ! ……え? ダンジョン?」
聖女の突拍子もない言葉にケルシーが目を丸くした。
「エーリカ、ダンジョンはまだ行けないのです」
パトリーシア嬢が言う。
その言葉に続いたのはキルスティだ。
「おじ……学園長が明後日以降でないと空いていませんので。私たちだけで行くのは許可されていません」
ふっと笑う聖女であった。
少し悪い顔をして、高らかに宣言する。
「アタシが言ってるのはそっちじゃないわ! 対校戦の特訓で行った闘技場の方よ!」
「ほーよ!」
ケルシーが合いの手を入れた。
「……なるほど。ですが、そちらに行くのなら、リー様のお家にお邪魔しなくてはいけませんが」
アルベルタ嬢が思案しながら言う。
「大丈夫よ! リーが言ってたじゃない! わたくしが不在のときでも使えるように言っておきますって!」
「……言ってた?」
首を傾げるケルシーだ。
とんと心当たりがないケルシーなのである。
「ケルシー!」
聖女がケルシーに声をかける。
はい、と元気よく返事をするケルシーだ。
「先にお家に帰って、家令のアドロスさんに確認をとってきて」
「わかった!」
フリスビーを投げられた犬のように駆けだして行くケルシーだ。
鞄も何もかも放ったらかしである。
「ちょ! お嬢様!」
慌てたのはケルシーのお付きをしているクロリンダだ。
完全に油断していた。
既に学生会室を出たケルシーを追って行く。
「アンタたちもケルシーを見習いなさいな!」
まさかの蛮族推奨宣言であった。
そのことに思わず、苦笑を漏らす
ほどなくしてクロリンダが帰ってきた。
学生会室に入ると、ツカツカと歩いて聖女の前でとまる。
「エーリカさん、アドロス様から許可をいただきましたよ」
「ほんと! やったわ! これで遊べる!」
目的を隠さない聖女であった。
そのまま聖女は学生会室をぐるりと見る。
「行くわよ! 闘技場ダンジョンに! 事務仕事なんていつでもできるでしょうが!」
お前が言うな、である。
だって聖女は事務仕事をしないのだから。
それでも
おじさんがいない学園は空しいだけである。
まだ家にいけば、ワンチャンあるかもしれない。
そんなことを考えたからだ。
「行きましょう! 皆さん、リー様のお家に!」
いや、目的かわっとるがな。
とはツッコめなかった聖女である。
おじさんの家に集合した学生会の面々だ。
ちゃっかり相談役の三人の姿もあった。
アルベルタ嬢が先頭で、家令に丁寧にお礼を述べる。
一通りの挨拶を交わし、学生会のメンバーは闘技場ダンジョンにいた。
「なんか懐かしいわね」
聖女が廊下を歩きながら言う。
「わね!」
対校戦の特訓で訪れたきりである。
あれからバタバタしていて、訪れることはなかった。
勝手知ったる施設だ。
迷いなく更衣室に入って、用意されているジャージに着替える。
ちゃんと使わない間でも、手入れが行き届いているのだ。
それが公爵家の使用人クオリティである。
「今日はリーがいないからご褒美はでないけど、やるわよ!」
着替え終わった聖女が発破をかける。
「やるわよ! ……えー! ごーほーび! ごーほーび!」
相づちを打ったかと思いきや、コールを始めるケルシーだ。
そんなケルシーを見て、アルベルタ嬢が笑った。
「承知しました。では、本日はリー様に代わって私がご褒美をだしましょう。ただ今日は準備していませんので後日になりますけど」
いいいいやっっふううぅうう!
蛮族一号と二号が声をあげて喜ぶ。
てててっと駆けて行く聖女とケルシーだ。
「アリィ、いいのです?」
パトリーシア嬢が声をかけた。
笑顔で頷くアルベルタ嬢である。
「リー様が不在ならば、私が代わりをしなければ」
なんだかんだで闘技場にきて、気分が上向いているのだ。
それはアルベルタ嬢だけではなかった。
「さぁ、私たちも行きましょう」
残る女子組が全員で闘技場へと向かう。
既に闘技場では戦いが行われていた。
格闘戦の一番舞台と魔法戦の二番舞台である。
戦っているのは相談役の男子二人だ。
シャルワールが一番舞台、ヴィルが二番舞台。
聖女とケルシーは舞台袖で座っている。
「ぬわりゃあああ!」
今回、一番舞台に出現した魔物は一つ目の巨人だ。
サイクロプスである。
ただサイズ感としては、ミノタウロスと同じ程度だ。
本来ならもっと大きいのだが……ダンジョン仕様なのだろうか。
奇しくも同じく戦槌を得物にする同士。
お互いが手にしているのは殺傷力の低い木製のものだ。
それでもまともにあたれば骨折は免れないだろう。
おじさん特製の舞台では怪我を負わないのだけど。
かぁんかぁんとリズム良く甲高い音がする。
硬質の木を打ちつけたときの音だ。
シャルワールは真正面から打ち合っていた。
サイクロプスは片手で戦槌を操る。
それに両手で思いきり、戦槌を振ってぶつけているのだ。
「……バカじゃないの?」
その戦闘を見て、ニュクス嬢が吐き捨てた。
「リー様が御教授なされたことを何ひとつ理解していないじゃない」
彼女にとって大事なのはそこだ。
おじさんは言った。
力に対して、真正面からぶつかるな、と。
うまくいなせ、力を殺せ、と教えたのだ。
だが、シャルワールは笑っていた。
やはりこういう力と力の勝負が好きなのだろう。
結果、力負けしたわけだ。
闘技場の横に転送されてくるシャルワールは、とてもいい笑顔である。
「まぁまぁニュクス。シャルワール先輩だってわかっているわよ。ただちょっとはしゃいだだけなのですよね?」
イザベラ嬢だ。
おじさん狂信者の会が二人揃った形である。
糸目のおっとりした令嬢だが、今回の言葉には棘がたぶんに含まれていた。
「お、おう……」
「ほらね。リー様の教えを忘れてバカな戦いをしたのは、ただはしゃいでいただけ。次はわかっていますわよね?」
おじさんの薫陶を忘れるなど言語道断なのである。
ずずず、とイザベラ嬢の背から禍々しいなにかがでている。
そんなことを幻視するシャルワールだ。
「もし不甲斐ない戦いをしようものなら、ね?」
一歩、イザベラ嬢が進む。
その歩みにあわせて、シャルワールは下がってしまった。
気圧されたのだ。
イザベラ嬢とニュクス嬢が笑った。
唇の端だけをつり上げて。
ぞぞぞと背中に恐怖が走るシャルワールだ。
ダメだ、こいつら。
早くなんとかしないと。
会長、早く戻ってきてくれと心の底から願うシャルワールであった。
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