第690話 おじさん鬼人族の里を見て回る


 鬼人族の里である。

 霊山ライグァタムの高度地域にある村だ。


 おじさんが想像していたのとは、ちょっとちがう村の風景。

 それはイタリアのトゥルッリと似ている。

 

 前世では世界文化遺産にも登録されていたものだ。

 アルベロベッロやその近隣地域で使われている伝統的な工法である。

 

 どこか可愛さを感じる村の風景だ。

 そこにすむ着流し姿の鬼人たち。

 

 うーん。

 ミスマッチと思うおじさんである。

 べつに腐しているわけではない。

 

 ただ、おじさんには前世の記憶がある。

 その記憶が違和感を叫ぶのだ。

 

「公爵閣下には改めてお礼を申し上げます。同朋であるオリツが大変お世話になりました」


 折り目正しく頭を下げるトラジロウである。

 

「うちの娘が言いだしたことだからね」


 気にするな、という態度の父親だ。


「さて、トラジロウ殿。私が訪れた目的も聞いているかな?」


 父親の問いに、深く首肯するトラジロウである。

 ただ、父親が言葉を続けようとしたタイミングで、ほっほと笑う。


「公爵閣下。その話は大変興味があるのです。ただ先にしておかなければならない話がございましてな」


 と、トラジロウはおじさんを見た。

 そして目を細めるようにしている。

 

「御子様、できれば今日の夜に闇の大精霊様にお会いしてくださらんかな? お疲れやもしれぬが、お願いいたします」


 おじさんに対しても腰の低いトラジロウであった。

 そんなトラジロウを見て、おじさんも口を開く。

 

「かまいませんわよ。わたくしはどちらに伺えばいいのです?」


「時がくればオリツに案内させましょう。よろしくお頼みします」


 再度、トラジロウは頭を深々と下げた。

 

「承知しました。では、トラジロウ様。わたくし、後学のために里の中を見せていただきたいのですが」


「では、オリツに案内させましょう」


「私も行くわ!」


 母親であった。

 父親がする外交交渉に参加する気は一切ないのだ。

 

「行ってくるといいよ」


 ホッとした表情になる父親である。

 妻と娘が同席した場合、どんな形で引っかき回すか予測がつかないからだ。

 

「お待たせしましたな、閣下。こちらへ」


 大きな岩のドームに入る父親と騎士たちだ。

 そこには木製の椅子とテーブルが設えてあった。

 

 周囲にいる鬼人たちは、にこやかに地面に座っている。

 その手には酒も見えた。

 

「ふむ。こちらでは皆の前で話をするのがふつうと考えていいのかな?」


「ええ。この里の行く末にも関わることですので」


「なるほど」


 納得する父親である。

 外務卿として何度か同じようなシーンを経験しているのだ。

 だから動じることもない。

 

「では――」


 と父親はゆるりと口を開くのであった。

 

 一方でおじさんたちである。

 オリツが案内役、おじさんと母親に侍女と侍女長の五人だ。

 

「里といってもさほど大きくはありませんので、まずはぐるりと回ってみましょう」


 鬼人族の里は横に広いというよりは縦に広がっている。

 山の斜面に里が作られているのだ。


 里の中の道はしっかり舗装されている。

 といっても砕石を敷き詰めたものだ。

 ただ歩き心地は悪くない。

 

 白い壁ととんがり屋根の家がならんでいる。

 さすがに身体の大きな鬼人族の家だ。

 サイズ感も見慣れたものとちがう。

 

「オリツ、この里では水はどうしているのかしら」


 母親が言う。

 里の中には井戸のようなものが見当たらない。

 

「水はふたつの方法で確保しています。ああ、見えてきました」


 そこは岩盤をくり抜いた長方形のプールだ。

 おじさんが見たとこ、短い方の辺でも十メートルはありそうである。

 深さはわからないが、そこそこ水が溜まっていた。

 

「ここが貯水池です。雨が降ったときにここに溜まるようになっています。ここのお水は生活用水に使うものですね」


 同じような貯水池が下にもいくつか見える。

 なるほどなぁと思うおじさんだ。

 

「あと、先ほどの岩室の裏手には水の湧く泉があるんです。そちらは主に飲用水になっています」


「そちらも見てみたいですわ!」


 おじさんの言葉に頷くオリツであった。

 

「食料はどうしているの?」


 母親は村の生活がどう成り立っているのかが気になるようだ。

 

「食料はあちら側の斜面ですね」


 オリツが左の方を指をさす。

 こちらは住宅を作っている斜面らしい。

 完全に畑とわけているのだ、と。

 

 そちらへ歩いて行くと、おじさんの目の前には懐かしさを思わせる風景が広がっていた。

 

「段々畑ですか!」


 階段状になった畑が斜面に沿って作られている。

 先ほどの貯水池や用水路まで完備しているのだからスゴい。

 

 しかも畑には豊かな実りが見える。

 トウモロコシだ。

 

「ご存じでしたか。いまはちょうどモロシコの収穫の時期ですね。年に二回収穫できるんです」


 ……モロシコ。

 これも転生者の足跡がうかがえるネーミングだ。

 

 その後も一通り、鬼人族の里を見て回るおじさんたちであった。

 

「あ! よろしければ、うちで休憩しませんか?」


 オリツからのお誘いである。

 

「それはいいわね! お邪魔しましょう!」


 母親だ。

 もちろん、おじさんも大歓迎である。

 だって家の中がどうなっているのかも見たいから。

 

「今はちょうど皆が岩室に集まっていますので、誰もいないかもしれませんが……」


 と、オリツが先を歩いていく。

 案内されたのは里の中腹あたりにある家であった。

 

 ただ十軒の家が連結されている。

 前に五軒、後ろに五軒だ。

 

「ここが我が家です」


「ほう……連結されているのね」


「あ……言い忘れていました。私、里長の一族です」


 うっかりと言う感じのオリツだった。

 実はお嬢様だったわけである。

 

「ほおん……まぁいいでしょう」


 五軒ある内の真ん中の家から入って行くオリツだ。

 その後におじさんも続く。

 

「おじゃましますわね」


 と、家の中に入って目を丸くする。

 おじさんの目に飛びこんできたのは、日本の甲冑と刀だったから。

 

「……お嬢様?」


 侍女が足をとめてしまったおじさんに声をかける。

 

「ああ、いえ、変わった鎧だなと思いまして」


 特徴的な三日月の飾りがついた兜。

 なのに里長はマサムネではなく、トラジロウ。

 よくわからん、と思うおじさんだ。

 

「ああ、それは里の初代が着用していた鎧です。武器も同じくですね。ただ……製法が失われてしまって誰も作れませんけど」


「初代……ですか。お名前を伺っても?」


 おじさんが聞く。

 

「トラジロウです。里長を継ぐと、その名前を名のっています」


「へぇ……どのくらい前に里が開かれたのか伝わっているの?」


 今度は母親が聞く。

 

「王国のように書籍として残っているものはありません。ただ口伝がありまして、それによるとだいたい千年以上は前だと言われています」


 どうやらこことはエントランスのような場所なのだろう。

 家一軒を使っているところを見ると、なかなか豪華である。

 

 中央にある鎧と刀に目がいくが、壁際にも色々と飾られていた。

 それらを眺めるおじさんだ。


「どうぞこちらに。あ、ここで靴を脱いでいただけますか? うちの里ではそうしていますので」


 奥へと続く仕切り。

 それはドアではなく、帷幕いばくであった。

 要するに垂れ幕で仕切っているだけなのだ。

 

 一段高くなっているところを見ると、こちらの部屋で靴を脱ぐのだろう。

 おじさんたちは歩きやすいスニーカーだ。


 懐かしいな、と思う。


 オリツが先に奥の家に行き、こちらをとサンダルに似た内履きを用意してくれる。

 

 そこは家でいうリビングなのだろう。

 あるいはダイニングも兼用しているのかもしれない。


 部屋の中央には石作りの卓が置かれている。

 その卓の周囲には椅子もあった。

 

 円形になった壁際に沿うように、木製の長椅子が置かれている。

 ほおん、と思うおじさんだ。

 

 テーブル側の椅子を勧められて、腰を下ろす。

 

「今、お茶をお持ちしますね」


 と、右側の部屋に姿を消すオリツだ。

 しばらくすると、お盆を手に戻ってきた。

 

「我が里の名物、モロシコ茶です。お口にあえばいいですが」


 トウモロコシ茶だ。

 香ばしい香りがしている。

 

「ああ、これはいいですわね」


 自然な甘みを楽しむおじさんだ。

 母親も気に入ったようである。

 

 トウモロコシ茶は、おじさんの前世だとお隣の国で人気だった。

 むくみや貧血にもいいとされるものだ。

 

 ノンカフェインなので妊婦さんでも安心である。

 侍女たちも思わずホッコリする味わいであった。

 

「さて、オリツ」

 

 おじさんがおもむろに口を開く。

 

「わたくし、もう少しこの里の初代について聞いてみたいですわ」


 十中八九はおじさんの予感は当たっているはずだ。

 ただ、やっぱり気になるのであった。

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