第681話 おじさんのわからせは大抵酷いことになる
蛇人の里である。
山の斜面と多少の拓けた場所に作られた小さな集落だ。
風光明媚な景色とも合わせ、どこかマチュピチュのようでもある。
そんな場所で、だ。
おじさんの魔力が天を衝く。
いや、果て無き天空でさえも覆い尽くそうとする魔力。
それはすべてを飲みこんでしまう濁流のようでもあった。
ちなみに蛇人たちは、全員が口から泡を吹いている。
おじさんの魔力にあてられたからだ。
父親と母親はトリスメギストスが結界を張って守っていた。
あの魔神は、おじさんのことを小娘と呼んだのだ。
そのことに気分を害したのである。
本来であれば、既に止めに入っている状況だ。
あの状態のおじさんが
だが――止める気がサラサラないトリスメギストスは、黙って事の成り行きを見守るであった。
「――よ、主殿に謝罪しろ」
かつての名はここでは剥奪されている。
呼べないのだ。
そのことに舌打ちするバベル。
「謝罪? この私が?」
さらにバベルの肩に指が食い込んでいく。
「いいから! お前は主殿のことを何も理解していない!」
「はん! 魔神――ともあろうものが!」
バベルの古き名が呼べない。
その事実に気づいた魔神である。
「どうでもいいですわ」
おじさんだ。
ぱちんと指を鳴らして、引き寄せを発動した。
結果、バベルが一瞬でおじさんの隣に移動する。
肩を押さえるバベルに治癒の魔法を発動するおじさんだ。
「今のは、魔法? ほおん」
魔神が端正な顔を歪めて、おじさんを見る。
そして実に好戦的な笑みをうかべた。
「たかが人の子が――」
魔神が口を開いた瞬間、おじさんは踏みこんでいた。
一瞬で距離を詰めて、魔神の腹に手をあてていた。
そのまま女神の空間に転移する。
「ここなら好き放題できますわ」
おじさんもまた好戦的な笑みを浮かべるのだ。
その凄絶な笑顔に、背すじがぞくりとする魔神である。
「わたくしはリー=アーリーチャー・カラセベド=クェワ。使い魔への文句はわたくしに言ってくださいな!」
「私は愛と戦い、あるいは豊穣と狩猟を司る。兄上を拐かした魔力を持つのが、このような小娘とは。嘆かわしい」
おじさんと同じように指を弾く魔神だ。
瞬間、無数の刃が出現しておじさんに襲いかかる。
だが、おじさんは微動だにすることはなかった。
すべてを結界で弾いてしまう。
「その程度ですの?」
かわいらしく首をこてんと傾げるおじさんだ。
「……私から兄上を、最愛の人を奪ったのです。この程度で済ませるはずがないでしょう!」
なんとなくだが、これまでの発言でおじさんはわかってしまった。
目の前の魔神が誰なのか。
恐らく、彼女は世界で初めてのヤンデレである。
その名をアナト。
ウガリット神話における
バアルと言えば、おじさんの使い魔であるランニコールその人でもある。
ああ――とおじさんは思った。
あの辺りは様々な神話が混在する地域でもあるのだ。
だから、
得心がいくおじさんだ。
しかし、先ほどのバベルに対する狼藉を許す気はない。
かつてはどうであれ、今はおじさんの使い魔だ。
それは家族と同じである。
ならば痛い目を見てもらう。
別名を大地母神アシュタルテ。
あるいはアフロディーテやイシスの原型ともされる。
だからなんなのだ、とおじさんは思う。
コンコンと地面をつま先で叩く。
次の瞬間、おじさんは動いていた。
虚と実をまぜた幽玄の動きだ。
その動きは戦いの神の目ですら欺いた。
魔神はおじさんの姿を見失う。
ただ、魔神に焦りはない。
なにをされたところで、人の子のすることなど知れている。
そう高をくくっていたからだ。
気づいたときには、ぴとりと背に手が当てられていた。
「かはっ……」
背後からの衝撃に、二歩、三歩と足が前にでる。
ずしん、と身体の奥に残る衝撃だ。
だが身を竦めるのではなく、反射的にバックブローで反撃する。
その迷いのなさが、血の気の多さを示していた。
だが、おじさんは既にいない。
空振りをして、大きく開いた魔神の無防備な腹。
今度はそこに、ぴとりと手が当てられる。
「ごふっ……」
身体がくの字に折れ曲がった。
「ううーん……ついてこれないのですか」
頭の上からおじさんの言葉が魔神に降りそそぐ。
その言葉を聞いて、魔神は切れた。
ぶち切れたのだ。
「たかが人の子が!」
魔神の全身から炎が噴きでる。
その炎ですらいなしてしまうおじさんだ。
「少し新しい技に付きあっていただきましょうか」
おじさんがニコリと微笑んだ。
動きが変わる。
円をベースにした歩法ではあるが、より踊りに近いものだ。
「いきますわよ!」
おじさんの動きが捉えられない魔神だ。
そのことに腹が立つ。
「舐めるな、小娘がっ! 兄様のために殺す!」
魔神の放つ魔法も、手刀も、刃もすべてを回避するおじさんだ。
当たりそうで当たらない。
紙一重。
だが、おじさんの表情には余裕があった。
「そろそろ頃合いですわね!」
魔神の攻撃を回避するおじさん。
同時に回し蹴りを繰りだす。
「ふん! そのような蹴りが……」
魔神が目を見開いた。
おじさんの蹴り足から魔法が放たれたのだから。
詠唱もトリガーワードもない。
いきなり魔法が放たれたのだ。
刃となった風が魔神を襲う。
同時に蹴撃が腹に入った。
「……なんだそれは?」
魔神は疑問に思うのだ。
だが、おじさんは答えない。
ニヤリと笑って、姿を消した。
次の瞬間、おじさんの姿は中空にあった。
くるりと回って、踵落としの体勢に入っている。
その蹴り足から轟雷が放たれた。
「なっん!」
怯んだ隙に、ごん、と頭部を蹴られる魔神である。
次の瞬間には、おじさんが懐に潜りこんでいた。
どん、という衝撃と同時に氷漬けにされる。
「ブリリアント! ですわね!」
ぱちんと指を弾くおじさんだ。
氷が砕け散る。
同時に膝をつく魔神であった。
「儀式魔法と格闘術を組み合わせた新術式。発動までに時間がかかるのは難点ですが、使い勝手がいいですわね!」
なにせ魔法を発動したいと思えば、発動できるのだ。
攻撃と同時に。
「ふざけるなっ! お前はいったい何者だっ! 我は神ぞ!」
「しりませんわよ、そんなこと。あなたがどこのどなた様だろうと関係ありませんの! わたくしの使い魔を傷つけたのですから、相応に痛い思いをしていただきますわよ!」
口元を隠し、おーほっほっほと哄笑するおじさんであった。
「はん! 使い魔だと? あの――を? ならば! 兄様も! 我が最愛の
激高する魔神。
その魔力がふくれあがっていく。
だが――おじさんは涼しい顔をしていた。
「その意気や良し! ですわね! かかってきなさい」
魔神の姿がかき消える。
一瞬で、おじさんの懐に入ってきたのだ。
刃よりも鋭い手刀は、左右から首を狙っている。
魔神の手刀を目で見てから、おじさんはふんすと息を吐く。
魔神の腕が交差する瞬間。
おじさんの足が下から蹴り上げて、両腕ごと弾いた。
魔神の両腕には黒より黒い球体が付与される。
その球体に腕がバキバキと音を立てて吸いこまれた。
「はあ……ん?」
おじさんが手刀で魔神の腕を両断する。
「今のは少しやりすぎました。さすがにブラックホールはいけませんわね。さて、続きをしますよ。回復はできますか?」
「なめるな! 両腕がなくとも人の子などにっ! 退くものかっ!」
やれやれと肩を落とすおじさんだ。
「人の子だの、神だの。関係ありませんわ! まだ折れないのなら、見せてあげましょう!」
どんと横蹴りを放って魔神との距離を作るおじさんだ。
魔神のお腹がべっこりとおじさんの足の形に凹んでいる。
「エ・チュ=ド・ズーゼ! 虚海に潜む無限の波紋よ、我が前に広がる次元の壁を貫き砕け!」
はああ、とおじさんが気合いを入れる。
「ロダド! アジュガ! フスカヤ! 三賢の言霊をもて封をとかん! 真なる宝珠、泥濘の石蛇、黒棺の王者!」
おじさんの膨大な魔力がバチチチと音を立てる。
さらにおじさんの背後の空間にヒビが入った。
空間が割れたのだ。
「我が手に宿る力、虚ろなる全てを消し去る光背の螺旋よ、今ここに解き放たれん!」
魔神は思う。
なんなのだ、と。
理解が及ばない。
そんなことは神であってもできやしない。
自然と足が震えた。
恐怖だ。
初めて覚えた恐怖である。
そのことに驚いて、魔神は立ち尽くす。
「いっきますわよう!」
おじさんの両腕になにやら輝く螺旋が巻きついている。
【
女神の空間が閃光に包まれるのであった。
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