第670話 おじさん姉妹げんかに巻きこまれる


 聖女エーリカ。

 その正体を知ったマニャミイは激怒した。

 かの無知横暴な姉を必ず倒さねばならぬ、と。

 

 がっと一歩踏みだす。

 

 もう、おじさんのことは目に入っていない。

 目標は少し離れたところにいる聖女だ。

 

「まったく。そういうところは似ていますのね」


 おじさんだった。

 禁呪を発動させる。

 

「マニャミィ。とまりなさい」


 瞬間、金縛りにでもあったようにマニャミイが動きをとめた。

 おじさんが少しだけ顔を寄せて言う。

 

「今はいけません。知られたくないのでしょう?」


 マニャミイが転生者であることは秘密なのだ。

 それはおじさんも聖女も同じである。

 

「あとで時間を作ります。ですから今は我慢なさい」


 マニャミイがコクリと頷いた。

 それを見て、おじさんも禁呪をとく。

 

「申し訳ありません。ちょっと頭に血が上ってしまいました」


 おじさんには素直に謝るマニャミイだ。


「いえ、かまいません。ヤイナとは別行動ができますか?」


 おじさんの言葉の意味がわかった上で、マニャミイは首を横に振った。

 

「では、こちらで機会を作りましょう。あなたはヤイナのもとへ。わたくしはエーリカを連れて行きますから」


「承知しました。お手数をおかけして恐縮です」


 おじさんに頭を下げるマニャミイである。

 気にするなと手を軽く振って、おじさんは聖女に近づく。

 

「エーリカ。少し移動しましょうか」


「ええと……なんかあったの? さっきあの子、大声だしてたけど」


「あちらでお話しますから」


 そう言って、おじさんは聖女を連れて、四阿あずまやからさらに離れた。

 

「エーリカ。先に言っておきますわね。マニャミイは妹さんでした」


「やっぱり! なんかよくよく見たらそんな感じがするもん!」


 聖女がホッとしたような表情になった。

 やはり心配はしていたのだろう。


「少しだけ確認しましたが、あちらはエーリカとちがって前世の記憶がしっかり残っているようですわね」


「ほおん。そうなんだ」


「あとで時間を作ります。二人で話してくるといいですわ」


「うん。わかった。ありがと、リー」


 おじさんも微笑みで返す。

 

「さて、どうしましょうか。お互いに微妙な空気になっても困りますわね。エーリカ、サロンに戻りますか?」


「そうね。その方がいいかしら」


 ちらりとヤイナを見る聖女だ。

 べつに彼女が悪いわけではない。

 ただ――転生した話をするのには都合が悪いのだ。

 

「では、わたくしがお相手をしておきますので」


 聖女と別れるおじさんだ。

 再び四阿あずまやに赴いて、腰を下ろす。

 

「エーリカは少し用があるので離席しますわ。ごめんなさいね」


 いえ、と恐縮してしまう二人だ。

 なんだかんだ言って、公爵家の令嬢たるおじさん。

 そして、神殿にも認められた聖女。

 

 この二人の威光は庶民には大きいのだ。

 特になにも知らないヤイナにとっては。

 

 しばらく歓談した後に、二人が席を立った。

 

「本日はお時間をいただき、ありがとうございました」


 マニャミイの言葉とともに、ヤイナも頭を下げる。

 

「いえ、こちらも楽しい時間を過ごせました」


「それでは失礼させていただきます」


 踵を返す二人だ。

 そんなマニャミイの耳元におじさんの声が聞こえた。

 

「迎えを寄越しますので、宿屋で一人になってくださいな」


 風の魔法を使ったのだ。

 おじさんの声がマニャミイにだけ聞こえた。

 歩きながら、ほんの少し首を縦に振るあたり、蛮族の妹は蛮族ではないようである。

 

 公爵家を辞したマニャミイとヤイナ。

 二人は貴族街を抜けて、ようやく大きな息を吐いた。

 

「ふぅ……リー様がすごすぎる」


 ヤイナの正直な感想であった。

 ただ美しいというだけではない。

 色んな意味ですごいと思ったのだ。

 

「そうね。本当に……うん、バカなことをしたわ」


「ん! 無謀だと思った。けど収穫はあった」


 すっかり元気になった二人である。


「収穫って?」


「私は将来、冒険者を引退したらカラセベド公爵家で雇ってもらう」


 ぷっと噴きだすマニャミイであった。

 よほど気に入ったのだろう。

 あの御方のことが。

 

 マニャミイだって思う。

 転生者と告げられたのが理由ではない。

 不思議なほどに惹きつけられるのだから。

 

 安心感とでもいえばいいのだろうか。

 そんな感覚を覚えていたのだ。

 

 まぁ緊張して挙動不審だった自覚はある。

 それにマニャミイにとっては別の意味でも収穫があった。

 

 こちらの世界に転生してから、ずっと探していた姉が見つかったのだ。

 

 姉には――ずっと迷惑をかけられてきた。

 それこそ物心つく頃から。

 

 だけど反面で憧れでもあったのだ。

 自由奔放で明るくて――それは自分とは正反対の姿である。

 

 だから良かったと、心の底から思うのだ。

 

 宿へと戻ったマニャミイである。

 今はもう自腹を切って安宿に泊まっているのだ。

 

 一緒にきたサムディオ公爵家領の冒険者たちは、先に帰っている。

 ヤイナとクルート、マニャミイのパーティは居残ったのだ。

 

 王都近郊の依頼を請けてみたいとクルートが言い出したのが大きい。

 ただマニャミイも都合が良かったのだ。

 

 だって、対校戦で演奏された音楽は前世のものだったから。

 もっと言えば、姉が好きだった音楽ばっかりだったのだ。

 だから確認をしたかったのである。

 

「ヤイナ、ごめん。私、ちょっと疲れちゃったから先に休むわね。クルートにも言っておいてくれる?」


「ん! わかった。あのバカには言っておく」


「今日は付いてきてくれてありがとう」


「ん……マニャミイの顔が明るくなってよかった」


 ちゃんと見るべきところは見ているヤイナだ。

 なんだかんだで幼なじみの異変には気づいていたのである。

 理由は理解していないが。

 

「ありがとね」


 そう告げて、マニャミイは先に部屋に戻った。

 宿の一階にある食堂にクルートがいたのは確認している。

 だからヤイナは階段を下りて、食堂へと足を運ぶのだった。

 

 ヤイナと二人部屋である。

 が、今はマニャミイしかいない。

 

 寝台に腰掛けて、マニャミイは大きく息を吐いた。

 

『娘。小生は使いである』


 ぞくりと背すじが冷たくなる。

 一気に冷や汗をかいてしまうほどの圧力だ。

 

「あ……はい」


 それだけを絞りだすのがやっとであった。

 下手に動けば、どうなるかわからない。

 だから、マニャミイはゴクリと唾を飲んだ。

 

『ふむ……こんなものか』


 空いている方の寝台がモコモコとふくらむ。

 そして、マニャミイそっくりのなにかが横になっていた。

 

『準備は整った。マスターをお待たせするのは小生の本意ではないのでな。悪いがとぶぞ』


「え?」


 次の瞬間。

 マニャミイは女神の空間にいた。

 

 おじさんの側には執事然としたランニコールがいた。

 二言、三言話したかと思うと、姿を消してしまう。

 

 未だに身体が震えている。

 なにがなんだか訳がわからないからだ。

 

「ようこそ、マニャミイ」


「ええと……リー様?」


「そうですわ。ここはまぁ説明するのが大変なので、わたくしが特別に用意した空間ですわ」


 真っ暗である。

 光源はステンドグラスを通ってくる光だけ。


 そのステンドグラスの下だ。

 応接セットがあり、そこに聖女がいた。

 

 焼き菓子を頬張っている。

 

 その阿呆な姿を見て、マニャミイは少し気が抜けた。

 同時に懐かしくも思うのだ。

 あれは、あの蛮族は姉である、と。

 

「エーリカ! そろそろ食べるのをおやめなさいな」


「もい!」


 口の中にまだお菓子が残ったまま喋っている。

 それをグビグビとお茶を飲み干して流しこむ聖女だ。

 ゴックンという音がマニャミイの耳にも届いた。

 

 あれが、姉だ。

 恥ずかしい姉だ。

 

「エーリカ。積もる話もあるでしょう。わたくしはしばらく席を外していますから、姉妹水入らずで話してくださいな。明日の朝には迎えにきますから」

 

「うん! ありがとね! リー!」


 気安い。

 なんて気安いのだろう。

 あの女神様のような人にむかって。

 

「お姉ちゃん! ちゃんとしてよ!」


「もう! 久しぶりだってのうるさいわね! あんたは!」


「ほおん……よくそんなことが言えるわね!」


 聖女の蛮行に火が点くマニャミイだ。

 プルプルと身体が震えていた。

 

「知ったこっちゃないわね!」


 ふふんと胸を張る聖女だ。

 それにカチンときたのだろう。

 

 一歩、前にでるマニャミイである。

 

「お姉ちゃん! 転生するときにも無理言ったじゃない!」


「覚えてないもんにいいい!」


「このっ! 考えなしっっっっ!」

 

 完全に帰るタイミングを失ってしまったおじさんであった。

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