第666話 おじさんの知らぬところで起きる一幕


 おじさん、ちょっと恥ずかしい思いをした。

 なにが黄金水だ、なにが聖水だ。

 思い返せば返すほど恥ずかしい。

 

 そんなおじさんを見た人間は思った。

 なんて可愛い生き物だと。

 こんなに可愛くていいのだろうか。

 

「うう……」


 クッションで顔を隠し、唸るおじさんだ。


「お嬢様、少しよろしいでしょうか」


 侍女である。

 こういうときこそお姉ちゃんの出番なのだ。


「ソニア様がぐずっておられるそうですわ。寝室へとお戻りいただけませんか?」


「うう……わかりました」


 侍女と一緒にサロンを出て行くおじさんだ。

 当然だが妹はぐずってなんかいない。

 今はスヤスヤと夢の中である。

 

「お嬢様、今日はもうお休みになった方がよろしいでしょう」


「……そうですわね」


 自室に入るおじさんだ。

 妹が寝ているのが見える。

 

「……ありがとう。サイラカーヤ」


「どういたしまして」


 自室に入っていくおじさんを見送る侍女だ。

 頭をあげて一言。

 

「……今日はとてもいいものが見れました」


 侍女はむふふと微笑むのであった。


 一方でサロンに残された面々である。

 おじさんが退出した後も、その衝撃は冷めていなかった。

 

「ちょ。なによ、あのかわいさ!」


 聖女が声をあげる。

 それに同意する全員であった。

 

「リー様があれほど取り乱すなんて、この先もう二度とお目にかかることがないかもしれませんわ!」


 貴重なものを見たとアルベルタ嬢が主張する。

 狂信者の会が深く、深く頷いた。

 

「とは言えなのです! エーリカ。その遊びはもう封印した方がいいのです」


 まともなことを言うパトリーシア嬢である。

 おじさんが恥ずかしい思いをした元凶をなくそうと提案したのだ。

 

「ちょ! こんなに楽しいのに!」


「楽しいのは間違いないのです! ただ……あの呼び名がいけないのです!」


「ううん……確かにパティの言葉に一理あるわね」


 なにげにちんちろりんは楽しい。

 サイコロを振るというシンプルなものだけど熱くなるのだ。

 やはり賭け事が好きな面々である。

 

「じゃあ! 変えたらいいんじゃないの?」


 ケルシーが首を傾げながら言った。

 

「ううーん。変えるねぇ」


 聖女が微笑んでから叫んだ。

 

「第一回チキチキしょんべん言い換え大会いいい!」


「ちょ! エーリカ!」


 パトリーシア嬢が口を開くももう遅い。

 

「さあ! 今日はですね。言い換えをみんなで楽しんでいきたいな、ということでございます」


 なんだかわからないが、ケルシーがパチパチと拍手をする。

 それにつられる薔薇乙女十字団ローゼンクロイツたちだ。


「では、ケルシーは飛ばしてアリィからどうぞ!」


 聖女に振られたアルベルタ嬢である。

 んーと考えてしまうのは、根が真面目であるからだろう。

 

「ええと……外れ?」


「いまいち! 面白くない!」


 いや面白いとか、そういう問題ではない。

 だが――その場は聖女が完全に作り上げている異空間だ。

 

「じゃあ、パティいったんさい!」


「おしっ……ダメなのです。言えないのです!」


「はい、ダメ。っていうか言い換えになってない! 次、キルスティぱいせん」


「ええ!? 私? ええと……その……お、おしょうす」


 顔を真っ赤にして両手で隠してしまうキルスティだ。

 

「っていうか、そこから離れなさいよ! 言い換えなんだから!」


 次の獲物を探すように、聖女が薔薇乙女十字団ローゼンクロイツの顔を見回していく。

 だが――全員が聖女から目をそらす。


 たった一人以外。

 そうケルシーだ。

 ケルシーだけが、はい、と手をあげていた。

 

「仕方ないわね! ケルシー、いったんさい!」


「はい! お漏らし!」


 なかなかの角度で突いてくるケルシーであった。

 ぶふーと噴きだす面々である。

 特にキルスティはツボに入ったようだ。

 

「いいわね、そういうのを待ってた!」


 聖女もうんうんと頷いている。

 これは言い換えになっているのだろうか。

 微妙な線である。

 

「はい、じゃあ盛り上がってきたところで次に行ってみよう!」


 聖女が声をかけた瞬間であった。

 

 聖女のかぶっているフードの額に獣の数字がうかびあがる。

 同時に、聖女の身体がガクガクと震え始めた。

 

 何事かと一気に警戒態勢に入る薔薇乙女十字団ローゼンクロイツである。

 

 が、それは杞憂に終わった。

 なぜなら神威の力が発動していたからである。

 

 神の気配を感じて、一斉に膝をつく面々だ。

 聖女の身体が大きく前後に震えた。

 

「エーリカ」


 ケルシーが空気を読まずに駆け寄ろうとする。

 が、近くにいたアルベルタ嬢がその腕をとった。

 

「ケルシー。いけません」


「でも……」


「問題ありません。あれはいずれかの……」


 アルベルタ嬢の言葉の途中で聖女の身体が光った。

 ビカーっと。

 

 膝から崩れ落ちる聖女だ。

 同時に神威の力の気配もなくなっていた。

 

「エーリカ!」


 ケルシーが駆け寄る。

 気を失っている聖女の肩を掴んで、前後に揺さぶった。


「ちょ、ケルシー。乱暴にしない方がいいのです」


 パトリーシア嬢がケルシーをとめる。

 そして自分の使い魔を喚んだ。

 

 アルラウネである。

 この使い魔は治癒魔法が使える。

 

「…………」


 聖女が目を覚ました。

 

「エーリカ!」


 全員から声がかかって、聖女が目をパチクリと動かす。

 そして――。

 

「ビッ・ガ・ヂュー!」


 自分の口からでた言葉に驚く聖女であった。

 

「ビッ・ガ・ヂュー!」


 心の底から息を吐く薔薇乙女十字団ローゼンクロイツだ。

 これはきっと神罰なのだろう。

 

 おじさんを辱めてしまった。

 

「あはははは!」


 指をさして笑うケルシーだ。

 自分だって呪いで喋れなくなっていたことがあるのに。

 そんなことは完全に棚にあげている。

 

「ビッ・ガ・ヂュー!」


 聖女が地団駄を踏んだ。

 フードを取ろうとする。

 

 そこで気づく。

 フードも取れなかったのだ。

 

 まさか――。

 その予感は当たっていた。

 着ぐるみを脱ぐこともできない。

 

「ビッ・ガ・ヂュー……」


 聖女が神罰。

 もはやよくわからないことになっている。

 そのことを理解して――皆は思った。

 

 助けて、リー様と。

 

 だが、おじさんはいない。

 今は妹を抱きしめ、ふて寝をしているのだ。

 

「ものすごくマズい状況になったわね」


 アルベルタ嬢がぼそりと呟いた。

 それはそうだろう。

 神罰を受ける聖女など前代未聞だ。

 

「どーしたらいいのです!」


 パトリーシア嬢が取り乱す。


「神殿に知られたら厄介かも……というかコントレラス侯爵家にだって知られたら……」


 キルスティが呟く。

 

 そのことをようやく理解した聖女だ。

 いや、もはや聖女と呼べないのかもしれない。

 

「ビッ・ガ・ヂュー!」


「エーリカ……」


 聖女の肩をぽんと叩くケルシーだ。

 

「もっかい言って。おもしろいから」


「ビッ・ガ・ヂュー」


 爆笑するケルシーだ。

 蛮族はやっぱり蛮族なのだろう。

 空気を読まない。

 

「ま、とりあえずエーリカは反省なさい」


「ビッ・ガ・ヂュー!」


 なにを言いたいのかわからない。

 が――まぁ表情から察するに聖女も反省しているのだろうか。

 

 いや、ちがう。

 ただ爆笑するケルシーにイラッときたのだろう。

 

「ビッ・ガ・ヂュー」


 耳元で囁き続ける聖女である。

 腹筋が崩壊しそうになるくらいに笑って、笑って。

 ケルシーは先ほどの自分の言葉どおりに、お漏らししたのだった。

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