第649話 おじさんの発想はやっぱり斜め上をいく
公爵家の地下にある実験室である。
おじさんは思わず叫んでしまった。
その声が残響となったときのことだ。
クルクルと玩具のハンマーの先端が宙を舞っていた。
からんからん、と音を立てて石畳の床の上に落ちる。
「あっ……」
その無常な音が侍女を正気に戻させた。
柄だけになったハンマーを持ったまま、ガバッと頭を下げる。
「も、申し訳ございません、お嬢様! つい、やってしまいました! この罰はなんなりと!」
と言うか、だ。
なぜ侍女のスイッチが入ったのか。
いきなり人が変わったように本気で叩いたのだから。
そこが気になるおじさんであった。
だから――口を開いた。
「サイラカーヤ。なにがあったのです」
これは遊具だ。
それは侍女とて理解している。
が――スイッチが入ってしまった。
その理由はシンプルである。
侍女はゴブリンが嫌いなのだ。
ただ、それだけの理由である。
冒険者時代からそうだったのだ。
どうにもゴブリンのあの姿が生理的に無理なのである。
べつにゴブリンに何かをされたわけではない。
そう――それだけの話である。
「なんというか、つい力が入ってしまいまして」
と、侍女はおじさんにゴブリンが無理な理由を説明する。
「なるほど……生理的に無理というのなら仕方ないですわね」
おじさんは思ったのだ。
前世にいた暑くなると出没する、黒くて早く動く虫を。
蛇蝎の如く忌み嫌われていたあの虫だ。
そういえば……こちらの世界ではあの虫を見ないな。
――まぁ今はそういう話ではない。
ゴブリンがアレに似た感情を思い起こさせるわけである。
さらに、おじさんは玩具といえどハンマーを持たせた。
それはもうご婦人にスリッパだと言えるだろう。
「ならば――こうしてみましょうか」
おじさんはゴブリンの人形をリアル寄りではなくしてしまう。
どことなくアニメチックな感じだ。
「うん、これならどうでしょう!」
人形をセットして、ハンマーを作り直す。
そして、ゲームをスタートさせる。
「死にさらせ、ごるあああ!」
やっぱりダメなようである。
侍女のスイッチが見事に入ってしまった。
こうなるとゴブリン叩きは諦めた方がいいのか。
というか、だ。
ゴブリンが嫌われすぎである。
「はうあ! 申し訳ございません! またやってしまいました! わざとでは、決してわざとではないのです!」
もはや涙目になって弁解する侍女である。
面くらいはしたが、おじさんは怒っていない。
なので侍女の頭をそっとなでる。
「サイラカーヤが無理なら仕方ないのです。ただ確認したいのですが、他の者でもそうなるのでしょうか?」
侍女一人がダメなのなら、このまま妹に遊ばせてもいい。
ただダメなら他の人形に変えてしまう必要がある。
「冒険者時代のことですが、ゴブリンが好きな者はいませんでしたわね。特に女性冒険者の多くは、生理的に受け付けないという者が多かったです」
ふむ、と考えるおじさんだ。
公爵家の使用人の中には冒険者出身も少なくない。
と、なればマズいか。
「ゴブリンがわかりやすかったのですが……なにか代わりになる魔物はいませんか?」
おじさんは自分が戦ったことがある魔物を思いだす。
ダンジョン講習ではゴブリンと、あとリッチらしき魔物がいた。
他には……地竜か天空龍、あるいは
コボルトもいたが、あれはダメだ。
わんわんおの頭に中年男性のだらしない身体がついていたから。
あんなものを弟妹の前にだすわけにはいかない。
サメの魔物に
いまいちだ。
というか
瞬殺したから。
「ううん……あんまり良さそうな魔物がいませ」
はうあ! とおじさんは声をあげた。
閃いてしまったのである。
「ゴブリンはゴブリンでいいのです! 要するに壊れなければいいのですわ!」
逆転の発想である。
壊されるのが問題なら、壊されなければいい。
そのために人形を変えるのではなく、人形とハンマーを強化する方向性に切り替えたのだ。
「そうと決まれば!」
アニメチックな感じのゴブリン人形を作るおじさんだ。
さらに人形に結界をかけてしまう。
「サイラカーヤ! 試してみてください!」
侍女が怖ず怖ずとゴブリン叩きの前に進んだ。
おじさんがスイッチを入れる。
「くったばりゃああああ!」
侍女のスイッチが入った。
猛烈な勢いで振り下ろされるハンマー。
――ばいいいぃぃぃんや。
侍女の振り下ろしたハンマーが弾かれてしまう。
「ちぃ! 小癪な!」
その間にゴブリン人形が洞窟に引っ込んでしまう。
別の洞窟からゴブリンが姿を見せる。
「こっちか! ンだらあああ!」
――――ばいいいぃぃぃんや。
「クソ! またか!」
その後も同じことの繰り返しである。
結果、ゴブリン叩きは壊れなかった。
台も人形も、ハンマーも。
ただ……点数はゼロのまま動いていない。
それはそうだ。
ゴブリンが叩かれて、点数が入るように作っていたのだから。
「……ぐぬぬ。失敗ですわ! すっかり失念していました!」
「お嬢様、ひとつよろしいですか」
「聞きましょう」
「ものすごくイライラがたまります! ぶっ叩けないのはよろしくないですわ!」
ぶんぶん、とハンマーを素振りする侍女だ。
なんだかんだで気に入っている。
ただ侍女が力いっぱい叩くと壊れるのだ。
いっそのこと人形を金属にしてしまう?
いや、それではダメだ。
怪我をしてしまうかもしれない。
あるいは金属製でも無理な可能性がある。
「まさかこんなことで
ゴブリン叩きで安パイかと思っていたのだ。
だが――そうではなかった。
では、どうするか。
ゴブリンほどではなく、ぶっ叩いても大丈夫ななにか。
ううーん。
頭を捻ってみるおじさんである。
なにかいい対象はないものだろうか。
この世界において魔物とは人間の天敵である。
つまり、そういうレベルで忌避感を持つことがあるのだろう。
だが、おじさんはちがう。
肉体的にはこの世界の人間だが、宿っている魂がちがうのだ。
ある意味で異物とも言えるだろう。
なので魔物への忌避感が少ないのだとも言える。
もちろん、おじさんとて魔物を殺すことに躊躇はない。
が――どこか根本的な部分での食い違いのようなものを感じるのだ。
となると、である。
ここは魔物という刺激物ではなく、もう少し刺激の少ない方で。
そこでピコンと閃くおじさんの頭脳だ。
前世では樽の中に入った海賊を剣で刺すというゲームもあった。
ならば敵役として、そうした者を作ればいい。
そこまで決まってしまえば、後はかんたんである。
おじさんは人形を手にして錬成魔法を発動した。
ついでに台の方のデザインも変えてしまう。
洞窟というのもおかしいから、ちょっとしたお屋敷っぽくする。
その玄関から顔をだすのが……。
「できましたわ!」
宣言するおじさんだ。
パチパチと拍手をする侍女である。
「今回は難易度を設定してみましたの。上の赤いのが通常難易度で下の青いのが難しくなったものですわ!」
「難しく……」
顎に手を置いて呟く侍女だ。
「そうですの。叩いてはいけない人形もでてくるのです!」
「もし叩いてしまったら、どうなるのでしょう」
「点数が減りますわ!」
胸を張って、自信満々のおじさんだ。
「……なるほど。お嬢様、では難しい方で試してもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
おじさんが青い方のボタンを押した。
少しして、ビーとスタート音が鳴る。
貴族のお屋敷から顔をだしたのは、学園長を模した人形だった。
ひょこっと姿を見せる。
「…………」
無言になる侍女だ。
姿を隠す学園長人形。
そして――キルスティを模した人形まででる。
これが叩いてはいけない人形か。
察しをつける侍女であった。
「お嬢様、いちおう確認いたしますが、この遊具はなんというお名前で?」
「学園長叩きですわ!」
あかーん。
侍女は思った。
だが――それはそれで面白そうでもある。
「もう一度、最初から試してもよろしいですか? こちらのキルスティ様を模した人形を叩いてはいけない、と」
コクンと頷くおじさんだ。
もう一度、ビーとスタート音が鳴った。
「よくもあのときはよくも! このっ!」
どん、と学園長人形を叩く侍女である。
「なにが課題を提出しろですか!」
力が入る侍女だが、壊れるまではいかない。
ちゃんと自制できている。
「小癪な! こちらと見せかけて、そうきますか! 外道め!」
うん。
これは成功かな、と思うおじさんであった。
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