第640話 おじさん筆頭薬師の度肝を抜く
賓客用サロンにどっかりと座る母親である。
侍女がテキパキとお茶の用意を調えた。
「お母様とボナッコルティ卿はお知り合いなのですか?」
おじさんが疑問を口にした。
筆頭薬師は椅子にも座らず、直立不動のままだ。
年齢で言えば、母親のひとつ下の世代になる。
学園ではちょうど入れ替わりだったのだ。
母親の卒業と筆頭薬師の入学は。
ただ……まぁ伝説の女帝の話は色濃く残っていた。
この代の学生会会長はおじさんの父親が務めている。
その脇を固めていたのが軍務卿と母親だ。
特に陰の学生会会長と呼ばれ、女帝と称される母親の話は、嘘だろというものがほとんどだった。
だが先輩たちは苦笑いをうかべるだけだったのだ。
そんな筆頭薬師と母親はどこで知り合ったのか。
「……そこのエバンスは私の妹を娶っているのよ」
おじさんの問いに母親がゆっくりと応えた
妹というところで引っかかるおじさんだ。
「お母様はラケーリヌ家の末妹と聞いていましたが?」
「ああ……そうね。うん、ラケーリヌ家の継承権を持つという意味で末妹なの。私の下には庶子の妹がいるのよ」
――庶子。
要するに正室以外の子どもということだ。
「ほおん。確かボナッコルティ卿は伯爵家のご当主だったはず。よくご結婚が認められましたわね」
おじさんの素直な感想だった。
べつに庶子を差別するわけではない。
ただ貴族という階級社会においては建前が重要な部分もある。
さすがに公爵家といっても庶子だ。
それが伯爵家の正室におさまるというのは珍しいと思ったのである。
「まぁ……その辺は色々とあったのよね?」
母親がお茶を口にしながら、筆頭薬師を見る。
「う……その節はヴェロニカ様に随分と御骨を折っていただきました」
たらり、と額から汗を流す筆頭薬師だ。
「よかったらお話を聞いてみたいですわ。無理にとは言いませんが」
おじさんが筆頭薬師に話しかける。
その顔を見て、ストンとソファに腰をおろした。
「話せば長くなるんだが……そも私はボナッコルティ家の三男でね。長兄と次兄がいるのだから、当主になることなどないと思っていたのだよ」
そこから筆頭薬師の話が始まった。
もともとボナッコルティ家は内務閥の貴族だ。
王国貴族にしては珍しく、剣や魔法ではなく知の力でもって貢献するというのが家訓になるらしい。
そんなボナッコルティ家の三男は、好きなことをしてきた。
中でも魔法薬の研究が性に合っていたそうだ。
で、長兄と次兄もそれを応援してくれていた。
兄弟の仲は悪くなかったのだ。
だが、筆頭薬師が学園に入学した頃になって大きく事情が変わる。
まず次兄が事故で亡くなってしまったのだ。
領地から王都へとむかう途中に、土砂崩れにあったのである。
急な雨からの土砂崩れ。
回避するのは難しかっただろう。
それから三年後のことである。
今度は長兄が病にかかってしまった。
学園の最終学年でありながら、既に魔法薬師として頭角を現していた筆頭薬師だ。
もちろん尽くせるだけの手は尽くした。
だが、その甲斐もなく長兄が亡くなってしまう。
結果として当主のお鉢が回ってきたそうだ。
「心からお悔やみを申し上げますわ」
おじさんは筆頭薬師に頭を下げる。
「その御言葉ありがたく。長兄と次兄も泉下で喜んでいるでしょう」
筆頭薬師もそこでお茶を含んだ。
ホッとひと息である。
「アヴェラ――私が妻と知り合ったのは学園生のときだ。長兄と次兄の件で寄親であるラケーリヌ家へも出入りをしていたから。そこで知り合ったんだ」
聞けば筆頭薬師と同じ年齢。
そして見目麗しい御令嬢だ。
庶子とかどうでも良かった。
手順をすっ飛ばして求婚してしまうくらいには、筆頭薬師にとってドストライクだったのだ。
まぁ色々と揉めた。
揉めたが、最終的には丸く収まったのだ。
それは母親が妹の味方についたのが大きかっただろう。
当時の当主に対しても一歩も退かなかったのだから。
いや、それどこか武力を背景にした威圧を行なったほどだ。
結果として筆頭薬師は意中の人と結ばれることができた。
まぁその代償として、今でも頭が上がらないが。
「ほおん。ボナッコルティ卿も燃えるような恋をしたわけですか」
おじさんの素直な感想であった。
だからといって、羨ましいとかそういう話ではない。
恋愛面では疎すぎるおじさんだ。
純粋に物語のような感覚で話を聞いていただけである。
「そうだな」
否定はしない筆頭薬師だ。
からかわれているわけではないと思ったから、素直に肯定できた。
「で、エバンス。どんな頼み事をもってきたのよ?」
母親である。
こちらに興味があって、わざわざ出張ってきたのだから。
「では言葉を飾らずに。妊婦用の栄養剤――あれを王宮魔法薬として扱いたいのです」
「ほおん」
と、目を細める母親だ。
続きを言え、と目線で促す。
「現在、王国では貴族の間で子がたくさんできていまして。どうにも効果の高い精力剤が出回っているようです」
ぎくり、と胸が高鳴るおじさんだ。
その精力剤の出所はまちがいなくおじさんである。
あの千年大蛇のジャーキーだ。
加えて、虎の子となる心臓と肝のやつもある。
あれでベビーブームが起こっているのだ。
ちなみに千年大蛇のジャーキーを売りまくっているのは父親だ。
「子ができるのはいいことなのですが、さすがに数が多くて体調を崩したとなっても我らも手が回らない状況なのです。そこで王妃陛下に妊婦用の栄養剤のことを御教示いただきまして。外務卿閣下とも相談の上、罷り越しました」
「……そういうこと」
言いながら、ニヤニヤが止まらない母親だ。
もはや公爵家の陰謀ではないかと疑われてもおかしくない。
きっかけを作ったのが千年大蛇のジャーキーなのだ。
そして妊婦用の栄養剤まで公爵家で扱っている。
もちろんだが、おじさんはそんなことを考えていたわけではない。
たまたまそうなっただけだ。
千年大蛇が獲れすぎたからジャーキーにした。
魔法薬の素材とするには勿体なかっただけだ。
妊婦用の栄養剤にしたって心配だったから作っただけである。
決してそれで利を得ようとは考えていなかった。
「むふ。いいでしょう。では条件を詰めたいのだけど、その前にエバンスにも確認をとってもらわないと」
母親の顔がいきいきとしたものに変わった。
おじさんにちらりと視線を送る。
その意を汲んで、おじさんは栄養剤をとりだした。
「これが……栄養剤ですか」
「エバンス、とりあえず飲んでみなさいな」
「私が? その……問題はないのでしょうか?」
当然の疑問を口にする筆頭薬師だ。
そこにおじさんが口を挟む。
「問題ありません。成分的に妊婦が飲んでもお腹の子に影響がでないように調整しているだけですから」
なるほど、と頷いてひと息に飲んでしまう筆頭薬師だ。
「……おいしい」
「でしょう?」
満足げに母親が言う。
「この栄養剤は特別製ですの。王蜜水桃を使っていますから」
「はああああ!?」
おじさんの言葉に衝撃をうける筆頭薬師である。
もちろん王蜜水桃のことは知っているのだ。
知っているからこそのリアクションだったと言えるだろう。
超がつく希少な果物であり、魔法薬の素材にもなるものだから。
「リーちゃん、何本かエバンスに持たせてあげられるかしら?」
「まだ在庫がありますので、五本くらいなら大丈夫ですわ」
ポンポンと栄養剤を机にならべるおじさんだ。
そのことが信じられない筆頭薬師である。
「アヴェラに持って帰りなさい。私からの贈り物だからお代は気にしないでいいわ」
察しのいい母親である。
ということは、だ。
筆頭薬師もまた千年大蛇のジャーキーの犠牲者であったということだろう。
「……なるほど」
と、さらに五本の栄養剤をならべるおじさんだ。
「こちらはわたくしから、ということで」
もはや目を点にするしかない筆頭薬師であった。
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