第638話 おじさんは父親を謀ることを覚えてしまったのかい?
カラセベド公爵家の厨房である。
コック服姿のおじさんが姿を見せた。
後ろに侍女を従えて。
「はう! お嬢様!」
料理長が作業を置いて、すっ飛んでくる。
厨房の中の料理人たちも興味津々だ。
「料理長、少し厨房の端っこをお借りしますわね」
「ええと……お嬢様、なにかお作りになるのですか?」
料理長の問いに、おじさんはニコッと微笑んだ。
「ちょっと漁村に行って、お魚を仕入れてきましたの!」
ぱちん、と指を鳴らすおじさんだ。
宝珠次元庫から侍女が魚の入った木箱を取りだす。
「うおおお!」
料理長が叫んだ。
「お好きなのを使ってくださいな」
言いながら、おじさんはちょうどよさげな鮭を選ぶ。
そこで、んん? となった。
木箱の中身を確認していなかったのだ。
「か、カワハギまであるじゃないですか!」
見た目はそっくりである。
正確にはうまづらはぎに似た魚だ。
おじさんの前世では高級魚である。
「……これはやるしかありませんわね」
おじさん、実はカワハギを捌くこともできる。
なにせ一時期は釣った魚で口を糊していたのだから。
念のために、使える使い魔を喚んで確認だ。
『うむ。この魚に毒性はない。食用も可能である』
この一言が聞ければ、もう安心である。
おじさんは早速とばかりに捌きにかかった。
「お嬢様、見学をさせていただいてもよろしいでしょうか」
料理長である。
おじさんは快く頷いた。
「いいですか。この魚はまずこのように頭を落とします」
すこんと頭を落とすおじさんだ。
引っぱって頭側についた肝もしっかりと取る。
「この黒いのが苦玉と呼ばれるものです。これを潰してしまうと、ニガ二ガで食べられませんので注意してくださいな」
それから、とドンドン捌いていくおじさんだ。
もちろんカワハギの皮を剥ぐ作業も丁寧に解説する。
最終的に身を切り離して、薄皮をとって小骨をとって終了だ。
とってもいい感じの白身である。
カワハギと言えば、肝だ。
血合いや血管を丁寧に取り除いていくおじさんである。
「ここの処理を怠ってしまうと、生臭くなってしまうので注意してくださいな」
きれいになった肝を茹でるおじさんだ。
生でいくこともできるが、寄生虫が怖い。
なので、おじさんは茹でる派なのであった。
ついでに先ほどの薄皮も茹でておくのも忘れない。
茹でた肝を丁寧に裏ごししていく。
そこへおじさん特製の醤油をたらして肝醤油の完成だ。
今度は切り身にかかるおじさんである。
しっかりと薄造りを作って、皿に盛っていく。
「むふ……これは美味しそうですわ!」
カワハギの薄造りの完成であった。
「こちらは氷室で冷やしておいてくださいな」
料理人に指示をだすおじさんだ。
まだ何匹か残っているカワハギは料理長に任せてしまう。
「失敗しても構いません。また仕入れてくればいいのですから」
おじさんの一言に胸の中がいっぱいになる料理長であった。
「さて、お次はこの鮭にとりかかりますか」
おじさんの頭の中には幾つかのメニューが並んでいた。
フライにしても良し、焼いても良し、幅広く利用できるのが鮭である。
塩引き鮭が好きなおじさんだが、石狩鍋やちゃんちゃん焼きも好きだ。
他にもグラタンやシチューなんかも好きである。
和洋問わずに利用できるのだ。
おじさんは手に取った鮭を一気に三枚へとおろしていく。
「筋子もしっかり入ってますわね!」
『うむ。それも毒性はないと見えておる』
先回りをするトリスメギストスである。
それに興が乗ったおじさんは、料理を作っていく。
四十度ほどの塩水で筋子を洗いながら、ほぐす。
血合いや筋が残らないように。
あと、寄生虫がいないかの確認を怠らない。
念のために浄化の魔法まで使うおじさんだ。
食中毒などというものは絶対にだしたくない。
オレンジ味の強い、つぶつぶができあがった。
いったん水切りをしてから、少し時間をおいて味つけをしていく。
おじさんは醤油漬けも好きだが、味が濃縮される味噌漬けも好きだったりする。
ただまぁ今回は醤油漬けでいこうと決めた。
「……いくらは大人向けでしょうか。まぁ軽く味つけだけはしておきますか。本来なら少し置いた方がいいのですが……」
天下無双の錬成魔法を発動するおじさんだ。
醤油とみりんの調味液を吸ったいくらのできあがりである。
さて、ここまでやったのならとおじさんは思う。
和洋織り交ぜて、料理を作っていくのであった。
そして最後におじさんは父親用の最終兵器まで錬成してしまう。
「料理長、あとは任せてもよろしいですか?」
「はい! お嬢様のご指示のとおりに!」
そんなやりとりをして厨房をでるおじさんであった。
時間的にはそろそろサロンよりも食堂かと思う。
そこで錬成魔法で服をドレスに変えてしまうおじさんだ。
「お嬢様、本当にあの卵をお食べになるのですか?」
侍女である。
ちょっと心配だったのだ。
なにせ魚卵なんて食べたことがないのだから。
さらに魔物と噂される魚のものである。
「大丈夫です。トリちゃんがきちんと見てくれましたから」
そういう問題ではないような気がする侍女だ。
ただまぁここはおじさんへの信仰心が試されるところだと思う。
我こそはと思う侍女は、ひとつ腹を括ったのだった。
食堂への扉を侍女が開く。
父親も母親も揃っている。
他にも弟妹たちに加えて、ケルシーとオリツの姿も見えた。
「リー! なにやってたの!」
ケルシーだ。
おじさんの近くに寄ってきて、グルグルと周りを回る。
「ちょっとお料理を」
「お父様、お帰りなさいませ。後でお話がありますが、まずは料理を楽しんでいただきたいですわ」
ケルシーの頭をひとなでして、おじさんは父親に言う。
「ハハハ……なんだろう。怖いね」
ちょっと胃の辺りがキュッと音を立てる父親であった。
「まぁ! お父様ったら!」
おほほほと上機嫌のおじさんである。
「失礼いたします」
料理長自らが運んできたようである。
それもそうか。
今日はおじさんが仕入れてきた魚を使った料理なのだから。
父親と母親の前にはカワハギのお造りが置かれた。
ガラス製の綺麗な器である。
こちらは大人組のみだ。
お子様組にはちらし寿司が置かれている。
鮭フレークとイクラと錦糸卵がのったヤツだ。
じゅるりとヨダレを隠せないケルシーであった。
「リー様が自ら仕入れてこられた魚を使った前菜になります。こちらの肝醤油をつけてお召し上がりください」
「んん?」
生のお魚である。
それを見て、父親は料理長とおじさんを順番に見た。
大丈夫なのかい? と。
問題はない。
そう意思をこめて、しっかり頷くおじさんだ。
「すっごく、おいしいわ!」
先に手をつけたのは母親だった。
適度な噛み応えと上品な甘みのある白身だ。
肝醤油の濃厚さがまたあうのである。
「はぁ……これはおいしいね!」
母親の様子を見て、父親も恐る恐るであるが口に含んだ。
その瞬間に漏れた感想である。
「むっふっふっふ!」
おじさんも大満足だ。
「さらにお父様にはこちら!」
どん、と酒瓶をだすおじさんである。
「お母様には申し訳ありませんが、こちらはお米から作ったお酒ですの!」
そうなのだ。
和食を食べるのなら酒好きの父親は絶対に飲みたくなると、おじさんは踏んだのである。
「なにそれ! ズルいわ!」
母親が抗議の声をあげるもおじさんは華麗にスルーした。
どれだけごねられても妊婦にアルコールは御法度だ。
半ば実験がてらではあったが、おじさんは長粒種から日本酒を錬成してみたのである。
これがなかなかどうしておいしいのだ。
独特な香りこそ発酵の過程で失われてしまった。
しかし、甘みがしっかりとあって後口がすっきり。
とても飲みやすい日本酒ができあがった。
ちなみにおじさんは知らないが、沖縄の泡盛は長粒種を使って作られている。
「ほほう! それはいいね!」
父親の目が輝いた。
――勝ったと確信するおじさんである。
おじさん手ずから杯に注ぐ。
水のような無色透明の清酒である。
備前焼っぽいお猪口まで作っているのだから、おじさんは用意周到にすぎた。
おじさんの予想どおりに、父親は目を細めて楽しんでいる。
濃厚な肝醤油をつけたカワハギのお造りを食べ、きゅっと日本酒でしめるのだ。
マズい訳がない。
もはや手がとまらない状態の父親だ。
そんな父親を恨めしそうにみる母親である。
おじさんはほくそ笑んでいた。
漁村で起きた面倒事は父親にすべて丸投げするつもりであったのだから。
しめしめ、と思うのだ。
そして母親は腹いせに味方になってくれるだろう。
むふふ。
悪い表情をするおじさんであった。
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