第589話 おじさん魔本の封印にチャレンジする


 女神の空間から公爵家のタウンハウスに戻ったおじさんである。

 侍女に聖女のことを任せて、私室へと足をむけた。

 

 お嬢様としては、やはり着替えておきたかったのだ。

 清浄化の魔法を使って身ぎれいにした後で、いつものように侍女たちが選んだ服を着せられるおじさんであった。

 

「お母様たちはサロンにいらっしゃるの?」


 おじさん付きの侍女が答える。


「はい。皆さん、お揃いですわ」


「承知しました。トリちゃん、行きますわよ」


『心得た』


 使い魔と侍女を引き連れて移動するおじさんだ。

 

「ただいま戻りました」


 サロンに入って、おじさんは母親に挨拶をする。

 母親を中心にして、皆が揃っていた。

 ケルシーにオリツ、弟妹たちも揃っている。

 

 妹がおじさんにむかって、テテテと走ってきて抱きついた。

 

「ねーさま。おかえりなさい」


 ニパッと微笑む妹の頭をなでるおじさんだ。

 そのままヒョイと抱きあげてしまう。

 

 日常の中に戻ってきたという気持ちになってしまう。

 そんなおじさんを温かく迎え入れてくれる家族の存在。

 空いているソファに腰をおろし、雑談に耽るおじさんであった。

 

 夕食後のことである。

 おじさんは父親と母親、そして使い魔を伴って場所を移す。

 件の魔本についてだ。

 

 さすがに弟妹たちや、オリツにケルシーといった面子を連れて話をすることはできない。

 封印を解いたとして、その余波がどうなるのかわからないからだ。

 

 父親と母親なら安心できる。

 この三人でとなると、建国王からもらった魔道具の謎を解いたのを思いだすおじさんだった。

 

「さて、やりますか! トリちゃん、お願いしますわ」


 来賓用のサロンに腰を落ちつけたおじさんたち。

 

『うむ。まずは……』


 と、トリスメギストスが預かっていた魔本を空間からとりだして、テーブルの上に置く。

 

『おさらいであるな。昨日、御母堂と一緒にこの魔本の封印を解こうとした。が、我と御母堂では封印を解くことができなかった……』


 ふう……と母親が重い息を吐く。

 

「そうなのよねぇ。思いつく限りの術式を試してみたけれど、まったく歯が立たなかったわ。こんなの初めてよ」


 ちょっとイラッときている母親である。

 そのことを敏感に感じとる父親だ。

 

「ヴェロニカでも無理だったのかい?」


「……腹立たしいことにね!」


 おっと。

 これは危険ですよ、と父親は内心で思う。

 でも表情にはおくびにも出さないところが勇者なのだ。

 

 こういうときは期待をこめて娘をみる。

 規格外の娘の力に頼るのだ。

 

「ふむ……お母様とトリちゃんがそこまで試してダメだったとなると……」


 嫌な予感がするおじさんだ。

 聖女のことがあったからか。

 これもひょっとして転生者がらみでは、という考えがよぎったのである。

 

「ちょっと拝見しますわよ」


 おじさんは魔本を手に取る。

 古い本だ。


 厚みは十センチくらいある。

 かなり分厚い。

 

 それに表紙の素材はなんだろう。

 なんだかざらざらとした肌触りの素材だ。

 

 表紙に表題となる古代文字は書かれていない。

 その代わりに丸の中に五芒星が描かれている。

 

 ただし五芒星の向きが逆だ。

 一つの角が上を向いているのではなく、二つの角が上を向いている。

 

 逆五芒星とでも言えばいいのだろうか。

 五芒星の三角を作る部分には、文字らしき記号がある。

 

 ただし記号は四つだ。

 丸の下にきている一つの角の部分が空白である。

 

 んーと考えこむおじさんだ。

 どこかで見たことがあるような気がするのである。

 この記号。

 

『トリちゃん』


 おじさんは声にださず念話で使い魔に語りかけた。


『なにか心当たりがあるのか主よ』

 

 念話で返してくる空気が読める使い魔だ。

 そのことに満足しつつ、おじさんは続ける。

 

『わたくし、この表紙に刻まれている記号? どこかで見たことがあると思うのです』


『……なるほど。主の前の記憶か』


『その記憶、トリちゃんが見ることはできますか?』


 ――そう。

 おじさんはトリスメギストスに記憶を確認してもらいたかったのである。


『それは……やろうと思えばできるのだがな。だが、無理だ。恐らくは主上による封印がなされておる』


 おじさんが自分で思いだす分にはかまわない。

 だが、外部から干渉することはできないということだろう。

 

『なるほど……では、自分でなんとかするしかありませんわね』


『で、あるな』


 使い魔との念話を終わらせて、おじさんは表紙を指でなぞる。

 このもどかしさ。

 喉元まで出かかっているのに、でてこない。

 

 どこかで見たはずなのに……。

 

「こういうときは取り組み方を変えてみましょうか」


 おじさんは魔本を封印する術式を表出させる。

 おうふ……。

 

「なんだ? この術式……」


 父親が声をあげた。

 それもそうだろう。

 一般的な魔文字による術式ではないのだ。

 

「そうなのよ。まったく意味がわからないでしょう」


 母親も父親に同意した。

 

 そして、おじさんはと言うと、その術式が理解できた。

 いや内容がという意味ではない。

 だって、そこにあったのは前世で見た数式だったのだから。

 

 この世界にも数字はある。

 が、おじさんの前世のようなアラビア数字とは似ていない。

 さらに四則演算における記号の形もちがう。

 

 世界がちがうのだから、当たり前のことだ。

 

 だが、おじさんには読みとける。

 馴染んだアラビア数字と記号だから。

 

 ただ……おじさんは数学に弱かった。

 いや弱いというのは正確ではない。

 

 そもそも、おじさんは実質的に中卒だ。

 高校に行くような余裕もなく働いてきた。

 

 勤務先の社長の厚意で、夜間高校に通ったりと苦労してきたのである。

 一応、高校卒業の資格は持っているが……まぁ正直なところ自信はない。

 

 おじさんの勘は当たっていた。

 この魔本を制作したのは転生者である。

 封印術式がアラビア数字を使ったものであることで、確定したとも言えるだろう。

 

『主よ、どうだ? なんとかなりそうか』


 変わらず念話で話してくるトリスメギストス。

 

『トリちゃん、これ計算式ですわね』


『なに!? 計算式だと?』


 おじさんは封印術式を見ながら言う。

 

『魔文字を使った封印術式ではありませんの。なのでいくらそちらから取り組んでも解くことはできませんわね』


『なるほど……で、主は解けるのか』


 やっぱりそうくるよなぁと思うおじさんだ。

 まぁこちらの世界でも数学はある。

 それはしっかりと学んでいるおじさんだ。


『いえ……すべてがわかるわけではありません』


 たぶん、高等数学の分野だからだ。

 だっておじさんが見たこともない記号が使われている。


『まったく! 意地が悪いですわ!』


 おじさんにもできることと、できないことがある。

 だが、こういうところで如実にでてしまうとは思わなかった。

 

『仕方あるまい。封印を施すということは、それだけ危険なもの、あるいは見られたくないものがあるのだからな』


 ド正論でおじさんを諭すトリスメギストスだ。

 

「リーちゃんでも無理そうかい?」


 父親が問う。

 その問いに対して、おじさんは首肯した。

 

 なんだか負けを認めるようで悔しい。


 絶対に解いてやるという気持ちはある。

 だが、知らない数学の記号まで使われていてはお手上げだ。

 

 なんとかならないものだろうか。

 

「そう……リーちゃんでも無理か。ヴェロニカとトリスメギストス殿の知識でも無理……さすがラケーリヌ家で長年保管されてきた魔本だね」


 父親の言葉に母親が続いた。

 

「……なにかとっかかりがあればいいんだけど」


「お父様、お母様、少しこちらの魔本を預かってもよろしいですか?」


 おじさんが両親に許可を求める。


「もともとリーちゃんがもらったものだから好きにしていいわよ。でも、解けそうだったら声をかけてね」


 母親の言葉に父親まで頷く。

 

「じゃあ、魔本のことはいったん終わりにしよう。リーちゃん、明後日の決勝戦はどうなんだい?」


 父親が酒杯を傾けながら、おじさんに聞く。

 母親はお酒ではなく、ハーブティーを手にしている。

 妊婦だから、とおじさんが用意したものだ。

 

「問題ありませんわ!」


 父親の問いに力強く答えるおじさんだ。

 ゆったりとサロンで寛ぎながら、おじさんと両親は水入らずで話をするのであった。

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