第585話 おじさんは聖女を心配する


 聖女が目を覚ますまで、さほど時間はかからなかった。

 ふわぁとあくびをする暢気な聖女である。

 

「エーリカ、身体に不調はありませんか?」


「うん……大丈夫だと思う」


 にかっと笑う聖女である。

 そんな聖女を見て、おじさんも微笑み返す。

 

「では、帰りましょうか」


「そうね……あるぇ」


 奇声をあげる聖女だ。

 おじさんはどうかしたのかと視線をむけた。

 

「そう言えば……なんでここに居るんだっけ?」


 んん? どこまで記憶を消した?

 肝心なところ以外も消してしまったのかと疑問を抱くおじさんである。

 

「ああ! たしかキルスティが勇者でアタシが……あるぇ?」


 どうにも聖女は混乱しているようだ。

 おじさんは苦笑いをうかべるしかない。

 

 念のために女神の癒しを使っておく。

 状態異常を解除する魔法だから。

 

「はばばばば! あ! ああ! 思いだした!」


 聖女が再び大きな声をだした。

 

「エーリカ……」


「そうよ! 確かにそうだった! リーのことを話してたんだった!」


 いいぞ、と思うおじさんだ。

 

「うんうん! リーの、リーの……パンツの色だっけ?」


「そんな話はしていませんわ!」


 あるぇと首を傾げる聖女を連れて、おじさんは演奏用の舞台に戻るのであった。

 

「リー様!」


 戻ってきたおじさんにアルベルタ嬢が駆け寄ってくる。

 なにかあったのかと訝しむおじさんだ。

 

「なにかありましたか?」


「それが……先ほどから学園長が駄々を捏ねていまして」


 ちらりと視線をやるアルベルタ嬢だ。

 確かに演奏用舞台の上で、ギターを構えている学園長がいる。

 今はケルシーと盛り上がっているようだ。

 

「ああ――ゴージツ先生が審判をしてくださっていますからね。抑える者がいなくなったのでしょう」


 おじさんの推測は当たっていた。

 これ幸いと学園長はギターを持って参戦してきたのである。

 

「ごめんなさい……うちの曾祖父おじい様が」


 面目なさそうなキルスティだ。

 さて、とおじさんは思う。

 

「学園長!」


「戻ったか、リー!」


 おじさんを見て笑顔を作る学園長である。

 

「ねぇねぇ学園長が試合終わったら、お菓子をごちそうしてくれるんだってー!」


 ケルシーである。

 学園長の撒いた餌に食いついたようだ。

 だぼはぜクラスの釣りやすさである。

 

「まぁよろしいでしょう。参加するのはいいですが、きちんとパティの指示に従ってくださいな」


「わかっておる、わかっておる」


 ほっほっほと上機嫌な学園長であった。

 なんだかんだで演奏するのが好きなのだろう。

 いや、大人しくしている方が苦手というべきか。

 

「エーリカは大丈夫ですか? 休んでいたもいいですわよ」


 まだ混乱しているであろう聖女に声をかけるおじさんだ。


「うん……ちょっと休んでる」


 あら? 意外と素直ですわね。

 おじさんは聖女の顔を見る。

 

 特に顔色が悪いということもない。

 しばらく休憩したら大丈夫だろう。

 

 舞台の隅に歩いて行く聖女だ。

 演奏が終わっても体調が悪いようなら、何かしらの手を打つ必要があるだろう。

 

「では、演奏を始めましょうか!」


 おじさんの号令に、全員が首肯した。


 一方で舞台の上である。

 既に大将であるクルートと、副将となるアンバータの戦いは始まっていた。

 

 カラセベド公爵家領の副将は女性冒険者だ。

 群青色の髪をツーブロックにしているお洒落さんである。

 なかなか攻めた髪型だと言えるだろう。

 

 アンバータの本職は斥候である。

 短刀を武器としているが、特殊効果のある道具も使う。

 この道具の使い方が巧みなのだ。

 

 さらに初級までとは言え、魔法も使いこなしている。

 総合的に完成度が高い斥候だと言えるだろう。

 

 意表をつくような攻撃に翻弄されるクルートだ。

 だが、致命傷になるような攻撃は必ず避けるか、ガードをしている。

 

 肉を切らせて骨を断つ。

 それはアンバータもまた理解している。

 だから焦ることはない。

 

 今の状況だと有利なのは自分の方だから。

 いくら致命傷は防いでいるといっても、だ。

 身体の末端は傷ついている。

 

 そこから綻びがでるはずだと冷静に状況を分析していた。

 

「くぅ……的確に攻めてくるわね!」


 そんな言葉を漏らしたのはマニャミィだ。

 

「ん……かなりの巧者。基礎がしっかりしてるから地力もある」


 マニャミィに対して返答するヤイナである。

 彼女はちょっと嬉しかった。

 この対校戦、どこか心在らずなマニャミィだ。

 

 その彼女が、だ。

 きちんと観戦をして感想を漏らしている。

 

 ヤイナはマニャミィの事情に深く踏みこむ気はない。

 だが、対校戦という重要な戦いに集中しきれていない親友のことを心配する気持ちも少なからずあったのだ。

 

「え? そうくるの?」


「今の切り替えはスゴい。あんな発想はなかった」


 劣勢になるクルートよりも、状況の分析をするヤイナだ。

 彼女の分析によれば、六対四でクルートの分が悪い。

 

 若干、相手の方が有利である。

 ただ時間が経つほど、相手に天秤が傾いていくだろうと考えていた。


「ダメ、それはまだ早い!」


 ヤイナが叫ぶ。

 クルートの方が先に焦れてしまったのだ。

 

 防御主体の構えから攻撃主体の構えへ。

 このままだとジリ貧だと考えたのだろう。


「ううん。確かに早いわね。もうちょっと後でも」


 クルートが強引に突進していく。

 ある程度の被害は承知の上である。

 

 剣士であるクルートは、さほど魔法が得意ではないのだ。

 だから距離を詰めなければ決定的な機会は訪れない。

 

「おらあああ! 負けられねえんだよおおお!」


 裂帛の気合いでもって距離を詰めるクルート。

 その身体に極細の糸がまとわりつく。

 

 対するアンバータは距離を適切に保ちながら、クルートの動きを阻害する戦術をとっていた。

 冷静である。

 二手、三手先まで読んでいるかのような動きだ。

 

「だらっしゃああああ!」


 動きを阻害されながらも、クルートはアンバータに近づいた。

 その瞬間である。

 

 身体能力を最大限に強化。

 身体を拘束する糸を引きちぎろうとする。

 

「ご苦労様」


 アンバータがニィと笑った。

 その瞬間、クルートの目の前で光が炸裂する。

 単純な目くらましであった。

 

 冒険者の間では、よく使われている魔道具のひとつだ。

 魔物ですら至近距離でやられると、しばらくは回復できない。

 それが炸裂したのである。

 

「……うが」


「あんた……同世代の中じゃいちばん強かったよ。でも相性がよくなかったね」


 アンバータがクルートの耳元で言う。

 クルートが言葉の意味を理解したのと同時だった。

 

「わあああああ!」


 アンバータが叫ぶ。

 その声は魔力で増幅したものだった。

 拡声の魔法を応用したのだ。

 

 ばたり、と意識を失って倒れるクルート。

 

「勝者、アンバータ!」


 ゴージツが裁定をくだした。

 この瞬間、サムディオ公爵家領の冒険者選抜は敗退が決定したのであった。

 

「やっぱり……勇者は自称……」


 ヤイナの声にマニャミィは反応しなかった。

 いや、反応できなかったのである。

 

 演奏を聞くために、聴力を強化していたのだから。

 アンバータの音による攻撃をもろに食らってしまったのだ。

 つまり、マニャミィもまた気絶していたのだった。

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