第584話 おじさんこの世界のことをちょっとだけ知る


 演奏用の舞台である。

 おじさんイヤーは地獄耳。

 しっかりと舞台のやりとりも確認していた。

 

「……勇者ですか」


 おじさんは首を傾げる。

 この世界において、勇者という存在は知られている。

 

 一部の創作物の中では扱われている存在だからだ。

 御伽噺の中で勇者と称される者がいるのである。

 

 ただ詳しいことはわからない。

 だって勇者が魔物を倒したくらいのことしかないから。

 

 聖女の方がこちらでは有名だ。

 神殿というある意味で特殊な機関に属するのだから。

 名前も知られている。

 

 ――そう。

 よくよく考えてみれば、だ。

 聖女という称号があるのだから、勇者という称号があってもおかしくはないのだろう。

 

 あの青年が本当に勇者なのか。

 あるいは自称勇者なのか。

 

 今はちょうど戦いの切れ目で演奏もストップしている。


「エーリカ! ちょっといいですか!」


 声をかけるおじさんだ。

 キラキラと光る聖女とケルシーがやってくる。

 

「なに、どうしたの?」


「今、あの舞台に立っている者が言ったのです。自分は勇者だと。なにかご存じですか?」


 聖女とケルシーの二人が舞台上の青年を見る。

 明るい茶色の髪の毛、生意気そうな顔つき。

 いかにも古き良き時代の主人公といった風体である。

 

「……勇者ねぇ」


 聖女が黙りこむ。

 

「はいはい! 勇者って御伽噺にでてくるアレでしょ。なんか強い人!」


 小並感にあふれるケルシーだ。

 つい頭をなでてしまうおじさんであった。

 こういうのに弱いのだ。

 

「ねぇリー。確かに勇者って言ったのね?」


 聖女が念押ししてくる。

 ケルシーの頭をなでながら答えるおじさんだ。


「ええ、言いましたわ」


「……なるほどねぇ」


 聖女は再び黙りこんでしまう。

 そんな聖女を不思議そうな目で見るケルシーだ。


「リー。ちょっと二人だけで話せる?」


「かまいませんが……」


 そんな大きな話なのかと思うおじさんである。

 同時にケルシーを見る。

 ケルシーはよくわかっていない表情だ。

 

「ケルシー、少しここで待っていてくださいな」


 ただ、ケルシーにしても空気を読んだのだろう。

 こくん、と首肯する。

 

 おじさんと聖女。

 この二人は他の人たちはちがう繋がりがある。

 そんなことを漠然とケルシーは思っていた。

 

 だから、素直に引いたとも言えるのだ。

 

「アリィ、パティ。わたくしとエーリカは少し席を外しますわね!」


「承知しました」


 アルベルタ嬢からの返答に頷いてから、おじさんは聖女を連れて女神の空間に転移するのであった。

 

「ほへえ……」


 女神の空間。

 以前、聖女とケルシー、キルスティの三人を放りこんだことがある。

 が、そのときのことは覚えていないのだろう。

 

 キョロキョロとする聖女におじさんが声をかける。

 

「エーリカ、ここなら誰にも聞かれませんわ」


 うむ、と偉そうに頷く聖女だ。

 

「ええとねーどこから話したらいいんだろう? んー」


 悩む聖女を見て、おじさんは言った。

 

「最初からでいいですわ。エーリカの知っていることを教えてくださいな」


 聖女はその言葉に頷いて語った。

 

 聖女はこの世界と似た世界・・・・のことを知っている。

 それは前世で遊んでいたゲームだという話から始めた。

 

 初代のラスボスが、王都を襲ったあの怪物だと。

 そして怪物を倒すのは、聖女と勇者であったと言うのだ。

 ただし、ゲームだとあのボスが出現するのは数年後のことである。

 

 学園での卒業が迫る時期にでてくるのだそうだ。

 だからこの世界ではかなりズレている。

 

 そんな考察も挟みながら、聖女は語る。

 初代にでてくる勇者はこの国の王太子でもあったのだ。

 あそこにいる冒険者は、聖女の知る限りでは二作目のキャラクターになる。

 

 彼は勇者に憧れる青年である。

 つまり自称勇者ということになるのだ。

 だが、勇者として行動するうちに実力をつけ、最終的には神に認められる。

 

 そんな話らしい。

 そして二作目に登場する聖女は、同じパーティーメンバーなのだそうだ。

 

「ちなみに!」


 聖女が指を立てる。

 

「初代との時間軸は被っていないのよ。初代から数年後って設定なの。つまり――この世界はゲームと似ているようでいて、やっぱり別物だと思った方がいいわね」


「では、もしゲームと同じならあの者は自称勇者ということになりますわね」


「そうね。でも、さっきも言ったけど似てるようでちょっとちがうからね。自称と断定するのは難しいかな」


 確かにそうだ。

 ただ、自称と本物でどうちがうのか。

 その点がわからないおじさんである。

 

「まぁあれよ、物語としては盛り上がる場面よね。ラスボスを前にして一度は負けるんだけど、神に認められて本物の勇者になるの。ゲーム的にはよくあるパワーアップ演出ね」


 そこに異論を挟む気はないおじさんだ。

 

「つまり……あの冒険者はどちらにしても、それなりの強さを持っているということですか。直近でなにか大きな敵が出現するようなイベントはないのです?」


 そちらの方がおじさんにとっては重要だ。

 薔薇乙女十字団ローゼンクロイツには教えていないが、蛇神の信奉者たちクー=ライ・シースが蠢動している。

 それに関わるのかという話だ。

 

「そうねー。そもそも対校戦そのものがイベントだしね。ここで優勝するってのがストーリーの流れ。で、実力があるってことで貴族に目をつけられて云々かんぬん」


 はう、と聖女が声をあげた。

 

「大事なことを思いだしたわ! 勇者はね、キルスティと婚約するのよ!」


「はあ?」


「もちろんゲームでの話だけどね。公爵家の令嬢と婚約して、幼なじみの聖女がいて。まぁどっちにするんだいって話になるのよ。ここで選択できるってのも当時は話題になったものよ」


 うんうんと首を縦にふる聖女だ。

 

「アタシはキルスティ派だったけど! だってアイテムとかお金とかいっぱいくれるんだもん!」


 なかなか意見の割れそうなところである。

 この話は余り長く続けない方がいい、そう判断したおじさんだ。


「ちなみにですが……わたくしはゲームではどんな存在でしたの?」


 ちょっとした好奇心だった。

 自分はどんな存在だったのか。

 確かめたかった。

 

「ううん。これは言っていいのかわからないんだけど……」


「焦らさないで教えてくださいな」


 おじさんが聖女を急かした。


「そうね。リーって存在は居ないのよね」


「へ?」


 余りにも予想外の答えに、おじさんは間抜けな声をだした。

 

「もちろんカラセベド公爵家は存在するわ。リーのご両親や弟妹たちもね」


 聖女がそこで、少しだけ間を開けた。


「あくまでもこれはアタシの考えだけどね。リーってばこの世界における……がががっが」


 突然、神威の波動が周囲に満ちる。

 そして聖女の身体が小刻みに前後に揺れた。

 

『すまぬな……愛し子よ。これ以上は禁忌に触れる事項だ。この娘の記憶も消しておく』


 低い男性の声である。

 おじさんは訝しそうに聖女を見た。


『ただこれだけは覚えておいてほしい。主上はそなたのことを愛しておられる。心の底からな。だから、そなたは先ほど聞いた話など気にせずともよい。何事にも囚われることなく自由に生きよ、それが主上の望みでもある』


「承知しましたわ。わたくしが何者か、なんの目的でこちらへ転生させられたのか。女神様のお考えを知りたくはありますが、禁忌となるのならば追求いたしませんわ。お約束します」


 ぺこりと頭を下げるおじさんだ。


『うむ……すまぬがよろしく頼む』


 神威の波動が薄れていく。

 そこへ待ったをかけるおじさんだ。


「ああ、お待ちを。一言だけ女神様にお伝えいただきたいですわ。わたくしは楽しくやっています、と」


 それは笑い声なのだろうか。

 よくわからないが、楽しそうだという波動が伝わってくる。

 

『承知した。必ず主上にお伝えしよう』


 そう残して神威の波動が完全に消えてしまう。

 聖女の身体が膝から崩れ落ちるのを受けとめるおじさんだ。

 

 聖女は気を失っていた。


「少しここに居ますか」


 呟いて、ステンドグラスに目をやった。

 美しき少女と神の邂逅がモチーフなのだろう。

 

 なんとなく。

 本当になんとなく、おじさんは膝をつき祈る。

 

 自分が何者か。

 なんの役割を担わされているのか。

 そんなことはどうでもいい。

 

 おじさんは思うのだ。

 二度目の人生はとことん楽しんでやる、と。

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