第581話 おじさんのいない世界の中心で婚約候補者たちはアイを叫ぶ


 少しだけ時を戻そう。

 自分の元婚約候補者たちを引き連れたルルエラである。

 彼女は憤っていた。

 

 勝手知ったる学園である。

 彼女はおじさんを見送った後、人気のない校舎裏へと彼らを誘っていたのだ。

 

 そのことを不審にも思わない元婚約候補者たち。

 ルルエラは旧校舎の前へと足を進める。

 噴水のある場所だ。

 

 小雨がぱらついている。

 足下は少しぬかるんでいた。

 

 噴水の前でルルエラは元婚約候補者たちの方に身をむける。

 その手には羽根扇があった。

 ポンポンと羽根扇を持っていない方の手を打っている。

 

「さて、あなたたち……」


 ここにきて元候補者たちは、ようやく気づいた。

 彼女は怒っているのだと。


「……覚悟はできていますのよね? よくもリー様の前で恥をかかせてくれましたわね。その罪は万死に値しますわ」


 少しずつ羽根扇にこめられる力が強くなっている。

 手を打つ音の大きさで理解する元候補者たちだ。

 

 自分たちがなにをしたのか。

 そのことに気づいて、ゴクリと喉を鳴らす。


「ち、ちがうのです! ルルエラ様!」


 五人の元候補者たちの誰かが言った。

 それに続く四人も異口同音に声をあげる。

 

 元候補者たちの戯れ言を、スッと手をあげて止めるルルエラであった。

 その手の平は赤くなっている。

 

「言い訳など不要ですわ。あなたたちには相応の責任をとっていただきますので」


 ルルエラの魔力が膨れ上がる。

 その気配を感じて、元候補者たちは一斉に背を向けた。

 何も告げることなく走りだす。

 

「この私から逃げられると思っているのですか?」


 クン、と羽根扇を跳ね上げるルルエラであった。

 土の壁が地面からせり上がり、旧校舎への出入り口である回廊の入口を閉ざしてしまう。

 

「さて、どうしてくれましょうか?」


 ルルエラの目が光る。

 そのことに初めて命の危機を感じる元候補者たちであった。

 

 時を戻して、演奏用の舞台である。

 そこに姿を見せたのはオリツであった。

 

「リー様、先ほどの方がいらっしゃっていますが?」


 イザベラ嬢である。

 おじさんにお伺いを立てているのだ。

 どうするのだ、と。

 

「皆にも紹介しておきます。彼女は王都冒険者選抜の一員であったオリツです。このたび彼女からの訴えがあり、しばらくはわたくしが預かることになりましたの」


 おじさんが言葉を切ったタイミングで、薔薇乙女十字団ローゼンクロイツにむかって頭を下げるオリツだ。

 

「皆さん、少しの間よろしくお願いいたします」


 きれいな所作での礼であった。

 それを見たイザベラ嬢は満足する。

 蛮族ではないと判断したからだ。

 

「オリツちゃんね!」


 物怖じしないケルシーが絡みにいく。

 

「ワタシはケルシー! 見てのとおりエルフよ、よろしくね」


 と挨拶を交わしている。

 ニッコニコの笑顔を見せられて、オリツは少し困惑気味だ。

 コミュ力お化けのケルシーなのだ。

 

リツちゃんか!」


 聖女だ。

 でも、オリツのアクセントがちがう。

 

 オリツ自身も含めて、平板で発音していたのだ。

 つまりアクセントをどこにも置かない。

 

 だが、聖女はオの上にアクセントを置いた。

 それだけで随分と和風の名前になるものである。

 

「ちょっとエーリカ」


 アルベルタ嬢が注意をする。

 初対面の相手だ。

 特に名前の発音には注意をしたい。

 

 それは相手に敬意を払うことになるから。

 敢えてアクセントを変えるのは失礼だと言われても仕方ない。

 

 だが、アルベルタ嬢の懸念は杞憂に終わった。

 なぜならオリツが目を丸くして聖女を見ていたのだから。

 

「あなたは……なぜ」


「ふふーん。わたしは聖女エーリカ!」


 なぜか胸を張る聖女だ。

 

「まるっとお見通しだってばよ!」


 聖女からすれば、だ。

 前世の記憶があったから、そう言っただけである。

 なにせ平板で発音するオリツよりも、オにアクセントを置く方が馴染むのだから。

 

「……そうですか。私も里では巫女の見習いをしておりますのでよしなにお願いします」


「まっかせておきなさい!」


 なぜかオリツに上から目線の聖女だ。

 

「リー様、大丈夫でしょうか?」


 心配になったアルベルタ嬢がおじさんに声をかけた。

 

「まぁ……いいでしょう。今のところは何の問題もなさそうですし。ただ少し確かめておきたいことがありますわね」


 おじさんがオリツに声をかける。

 

「エーリカの発音が正しいのですか?」


 おじさんの言葉にオリツが頷いた。

 

「里ではこちらの発音が正しいのです。ただ外では変に聞こえるからと当代の御子様から助言をいただきまして、発音を変えていました」


 なるほどと理解するおじさんだ。

 

「承知しました。わたくしたちは発音がちがうことくらいで何かを思うことはありません。むしろ早くわかってよかったですわ。これからはリツで統一します。皆もお願いしますわね」


 はい、と元気よく返事をする薔薇乙女十字団ローゼンクロイツたちであった。

 

 一通りのメンバーがオリツと挨拶をかわす。

 そのタイミングでルルエラが姿を見せる。

 

 静静とおじさんの前に進みでるルルエラだ。

 おじさんの前にくると、片膝をついてしまう。

 

「リー様、先ほどは失礼いたしました。無礼者たちには教育を施しておきましたのでご報告に」


「お立ちになってくださいな。ルルエラさん」


 ルルエラを立ち上がらせるおじさんだ。

 

「わたくしたちは演奏をしますので、そちらで見学をなさっていてくださいな。オリツ、あなたも見ておくといいです。そう言えば、得意な楽器はありますか?」


「私は弦楽器を主に」


 さすがに大貴族の令嬢である。

 ルルエラはきちんと基礎を押さえていた。

 

「楽器ですか……村では太鼓を叩くことがありましたが」


 ちらりと魔楽器に目をやるオリツだ。

 だが、そこには自分が見慣れた太鼓はない。

 

「承知しました。では、今日のところは見学ということで」


 二人はおじさんの言葉に首肯した。

 

「パティ! 曲の準備は整っていますか?」


「当然なのです!」


「エーリカ! ケルシー! 勝手なことをしたらわかっていますわね!」


 はい、と元気よく両手をあげる蛮族一号と二号である。

 その様子ではわかっていそうにないが……。


「では、パティ。任せます、指示を」


「はいなのです!」


 こうして対校戦の二日目は第二試合へと移っていくのである。

 

 ルルエラの婚約候補者たちは、首だけを残して土中に埋まっていた。


「なぁ……」

 

 誰かが言う。

 

「……わかってる」


 誰かが答える。

 

「雨……やまないと死ぬんじゃねえ?」


 別の誰かが問う。


「バカ……そんなことはわかってるんだから言うなよ」


 別の誰かが答える。


「じゃあ、どうするんだよ」


 この言葉を最後に五人は口を閉ざした。

 少しだけ間を開けて、思いきり息を吸う。

 

「だれかーたすけてくださーい!」


 誰も居ない旧校舎の前でそんな声が響くのであった。

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