第579話 おじさん次なる展開に巻きこまれる


 闘技場の舞台袖である。

 舞台を下りたキルスティは学園長に頭を下げた。

 

曾祖父おじい様、申し訳ありません」


 学園長は禿頭をつるりと撫でながら彼女を見る。

 

「ふむ……なぜ臆したのか。そこを考えよ。頂を目指すのならじゃがな」


 挑発的な口調である。

 その言葉にキルスティは思う。

 まだ自分は見捨てられてはいない、と。

 

「もちろんですわ! 私もサムディオ公爵家に連なる者ですもの!」


 力強い言葉に呵々と大笑する学園長であった。


 そこで舞台上の結界が色を変える。

 おじさんが真っ黒にしたのだ。

 

「こうも簡単に結界にまで干渉されるとは……なんちゅうかあれじゃのう。ま、がんばれ」


 学園長も少し呆れ気味である。

 おじさんが実力がどんどん加速していくのだから。


 一方で舞台上である。

 

「では、仕切り直して参ります!」


 白衣と緋袴の巫女衣装となったオリツが猛る。

 先ほどよりも大きくなった魔力が奔流のごとく走った。

 

 爆発的な加速力でもってオリツがおじさんに迫る。

 おじさんは微動だにしない。

 余裕をもったままだ。

 

 次は真正面から攻めることはしない。

 側面から後方へと高速で移動するオリツだ。

 その速度は男性講師の目では捉えられないほどである。

 

 背後から勢いをのせた回し蹴り。

 おじさんは前をむいたままだ。

 

 それでも見えているかのように、その足に手をかけた。

 瞬間、オリツの蹴撃の軌道がずれる。

 

 おじさんの横っ腹を狙っていたのが、頭の上を空振りしてしまうほどに。

 だが、そこで諦めるほど素直ではない。

 

 蹴りを空ぶった勢いを利用してくるりと身体を回す。

 勢いを殺さずに、もう一度同じ攻撃を繰り出した。

 

 今度はおじさんの手がピタリとオリツの足をとめてしまう。

 それは不思議な感覚だった。


 当たったはずなのに感触がない。

 完全に力が散らされている。

 なんの手応えも感じないのだ。

 

「ううん。そうですわね。こうしましょうか!」


 おじさんがパチンと指を弾いた。

 するとおじさんを中心として直径一メートルほどの円となった光が浮かびあがる。

 

「わたくし、この円の外へだしてみなさいな」


 涼やかな声でおじさんが言った。

 言葉の意味を理解した瞬間、オリツの頭に血が上る。

 

 単純な力比べをすれば、絶対に勝てる。

 バカにするな、と。

 

 側面から、後方から、真正面から。

 

 オリツはおじさんを攻め立てる。

 自身の体術のすべてを使って。

 

 だが、おじさんには届かない。

 なぜ力が散らされるのか。

 そのことも理解できない。

 

 一方でおじさんは思っていた。

 オリツの攻撃は一撃が重い。

 敢えて比較するのなら、祖父に近いスタイルだろう。

 

 重量級の攻撃を間断なく続けてくる。

 ただし祖父のような隙のない連撃というわけではない。

 だが、一撃の重さだけなら彼女の方が上であろう。

 

 おじさんは思いだす。

 祖父と手合わせをしたときのことを。

 

 祖父は言っていた。

 流れを見極めろ、と。

 一発一発の拳や蹴りに惑わされるな、と。

 

 その教えをおじさんは忠実に守っていた。

 どこかに注目するのではなく、全体をぼんやりと見る。

 

 侍女との毎日の手合わせで、おじさんは成果を感じていた。

 力の流れを見極める能力も合わせることで、おじさん流の観の目を習得しつつあったのだ。

 

 観の目とは武道における基本である。

 俯瞰で観察し、洞察し、予見するといったものだ。

 

「右掌底からの左手刀。左鉤突きから右膝。左拳は囮で本命は右の蹴撃……ふむ。頭突きですか」


 おじさんは知らず知らずのうちに呟いていた。

 その言葉はすべて、オリツが行動を起こす前に。

 

 行動のすべてが読まれ、的確に対処されてしまう。

 どれだけ一撃に膂力をこめようとも無意味だ。

 すべて力が散らされてしまうのだから。

 

「…………」


 背筋が凍る思いだ。

 こんな思いをしたことは一度もない。

 オリツは気がつけば下がっていた。

 

「どうしましたの? もう終わりですか?」


 悪意はないのだろうか。

 けろりとした顔で言うおじさんだ。

 

「……攻撃はなされないのでしょうか?」


 オリツがおじさんに聞く。

 

「あら? 気づいていませんでしたの? 自分の身体を見てごらんなさい」


 改めてオリツが自分の身体に目を落とす。

 そこにはぼんやりと光る点が無数についていた。

 

「あなたの攻撃にあわせていたのですが、気がついていなかったのですね」


 ああ――と胸中で嘆息するオリツだ。

 この御方は本物だと。

 

「もう少しわかりやすくいきましょうか」


 おじさんの四肢に魔力がまとわりつく。

 カラセベド公爵家の相伝である魔纏だ。

 わかりやすく今回は風をまとわせている。

 

「少し踏ん張るのですよ」


 半歩退いて、腰を落とす。

 そのままおじさんが中段突きをくりだす。

 

 二重の螺旋となって颶風が真っ直ぐにオリツを襲う。

 回避する間もない。

 

 両腕を顔の前で十字に組む。

 片足を後ろに退いて、やや前傾の姿勢で待ち構えるオリツだ。

 

 二重螺旋の颶風がオリツの身体を飲みこむ。

 耐えるとか耐えられないの話ではない。


 一瞬にして、オリツの身体は颶風に巻きこまれて結界まで飛ばされてしまう。

 結界からずるりと身体がズレ落ちて、倒れこむ。 

 

 

「かなり調整しましたのに」


 自分と手をグッパッと握ったり開いたりするおじさんだ。


「なぁーちょっといいかー」


 男性講師である。

 

「ん? どうかいたしましたか?」


「今のどう見たって中級の魔法じゃないんだが、なんで使えたんだー?」


「ああ――あれは魔法以前のものとでも言いますか。ただの魔力をそのまま射出しただけなので条件に引っかからなかったのでしょう」


「……ただの魔力」


 おじさんが何を言っているのか、いまいち理解しかねる男性講師であった。

 

「ってかあっちのオリツだっけー? 大丈夫なのかー?」


「もう治癒の魔法をかけていますから。さっきのに驚いて気を失ってしまったようですわね」


 ダメージで気絶したんじゃないのかとは言わない男性講師である。

 

「鬼人族。初めて見ましたけれど、かわいらしいところもあるんですのね」


 おじさんがポツリと言った。

 

「かわいらしい-?」


「あの先ほどの詠唱ですか? あれの前に見せないようにしてくれって言ったではありませんか。あれはきっと詠唱を見られたくなかったのですわ。恥ずかしくて」


 まじかる・らぶりー・きゅんきゅんきゅん。

 それを思いだして、ついにやけてしまう男性講師だ。

 あれにはビックリした。

 

「いやー。でも、そんな雰囲気はなかったぞー」


 男性講師と雑談を交わすおじさんだ。

 そこへオリツが立ち上がってきた。

 

「気がついたようですわね」


 オリツが首肯する。

 そして口を開いた。


「あの……先ほどの詠唱。確かに恥ずかしいとは思いますが、あれは鬼人族に伝わるものでして。余り大っぴらにするものでもないのです」


「そうですの」


「あ。治癒までしていただいてありがとうございます」


「お気になさらず。では、もう一度やりますか?」


 おじさんがクイクイと指を揃えて曲げ伸ばしする。

 どこかのカンフースターのような動きだ。


「いえ、もうあなた様の御力は十分に理解できましたので、本題に入らせていただきます」


「本題?」


 オリツがその場に膝をついた。

 

「私は闇の大精霊様の願いでこちらへと参りました。是非とも我が里へと足を運んでいただきたいのです。そして闇の大精霊様にお会いしていただけないでしょうか?」


 きゅううと男性講師の胃が痛みを訴える。

 これってオレが聞いていい話じゃないと。

 

「闇の大精霊様ですか。構いませんが……すぐにそちらに行くことはできませんわよ。対校戦もありますので」


「もちろん理解しております。すぐにとは言いませんが、できれば早い内に」


「承知しました。それにしても闇の大精霊様ですか」


 おじさんは思った。

 大精霊との縁も深い。

 

 既に水と風と光の三人と縁を結んでいるのだから。

 今度もまた名前をつけてほしいと言われるだろう。

 

 そのためには名前を考えておかないといけない。

 

「いいでしょう。オリツと言いましたね。あなた、今日から我が家に宿泊なさい」


「えっ?」


 そんな畏れ多いとは言えないオリツだ。

 なんたって無礼なことをいくつもしたのだから。


 その程度の常識は持ち合わせている。

 彼女は蛮族ではないのだから。


「驚くようなことでもないでしょう。鬼人族の里にお邪魔するのなら、あなたに案内をしていただかないといけないのですから。王領選抜の冒険者組合の方は……先生、お願いしてもいいですか?」


「お、おうー」


 胃がきゅううと痛む。

 なんでオレばっかり……そんなことを思う男性講師であった。

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