第578話 おじさん鬼人族のオリツと対峙する


 王国内における幻の存在、鬼人族のオリツ。

 女性にしては巨躯であり、涼やかな美貌の持ち主である。

 

 そんな彼女と対峙するキルスティ。

 手合わせをすると言ったものの、同じ舞台に立ち、目の前にいるオリツを見て戦慄した。

 

 ――自分では相手にならない。

 

 そう確信したのだ。

 だが、今さら退くことはできない。

 

 皆にも言ったのだから。

 

 なんとか自分の心を奮い立たせるキルスティだ。

 そんな自分と対峙する相手を見て、オリツは少しだけ同情的な表情を見せた。

 

 ――さて、どうするか。

 

 オリツが考えるのは、そのことだけである。

 目の前の敵は敵たり得ない。

 

 だからといって、舐めるような真似もしたくないのだ。

 相手は貴族。

 それも大貴族の令嬢である。

 

 権力的な意味でオリツは恐れているわけではない。

 どこまでやればいいのかを迷っているのだ。

 

 彼女が見せた矜持には応えたい。

 だが、この姿を見せた以上は……。

 

「よろしいでしょう」


 おじさんであった。

 短距離転移で移動してきたのだ。

 キルスティの隣で舞台上でオリツと対峙している。

 

 その姿にオリツは息を呑む。

 美しい。

 それ以上に、どこか落ちつかない。

 

 そわそわとしたような気分になる。

 おじさんを前にして尻の座りが悪いのだ。

 

「キルスティ先輩。申し訳ありませんが、この場はわたくしに譲ってくださいな」


「リーさん?」


 驚きの声をあげるキルスティだ。

 突然のことにとまどっているのが表情からわかる。

 

「是非」


 おじさんが短くキルスティに告げた。

 その言葉に頷いてしまう。


 ただただ彼女の頭の中にあったのは実力不足であることだ。

 確かに以前と比べれば強くなったのだろう。

 

 だが、それはまったく足りていないのだ。

 そのことがハッキリとわかった。

 

 自分がその地点にたどりつけるかはわからない。

 

 頂は遠く、遙か彼方。

 おじさんはともかくとして、オリツだ。

 

 オリツのいる場所まではたどりついてみせる。

 正直に言えば、悔しい。

 そして、不甲斐ない自分に腹が立つ。

 

 複雑な思いを抱きながら、キルスティは頷いたのだった。

 

「では、あとはお任せしました」


 それだけを残して、キルスティは舞台を下りた。

 下りるしかできなかったのだ。

 

 シャルワールとヴィルの二人がキルスティを見ている。

 そんな二人に対して胸を張る。

 顔をあげて、ニコリと微笑む。

 

「……私の見せ場は決勝戦で作ってもらいましょう」


 精一杯の軽口であった。


 おじさんは、そんなキルスティに頭を下げる。

 きれいな所作で。

 おじさんなりの敬意であった。

 

「さて……オリツと言いましたか」


 おじさんが鬼人の女性に目をむける。

 

「わたくしに何かあるのなら、わたくしに言いなさい」


 そう言ってから、少しだけ魔力を解放する。

 ビリビリとした魔力が渦を巻くようにして、天を衝く。

 

「わたくしの門は誰に対しても閉ざしておりませんので」


 オリツはその涼しげな顔を歪ませていた。

 おじさんを怒らせていたことに気づいたからである。

 

 自分の失策だ。

 そう。

 最初からおじさんに言えばよかったのだ。

 

 対校戦という措置をとらずとも、話す機会を作ることくらいはできただろうから。


「……申し訳のないことをしてしまいました。あとで先ほどの彼女に謝る機会がほしいです」


「その話は後ほど。まずは手合わせを。あなたが望んでいたことなのでしょう?」


 おじさんの言葉に頷くオリツだ。

 目の前にいるおじさんにむかって、一礼する。


「では、お相手を仕ります」


 爆発的な踏みこみだった。

 おじさんとの距離は五メートル以上あっただろう。

 それを一足で間合いに入ってくる。

 

 遠間から牽制の前蹴りを放つ。

 が、それは槍のような鋭さがあった。

 

 重量感とスピード感のある攻撃だ。

 もはや牽制ではなく、必殺の一撃のようにも見える。

 

 だが、相手はおじさんである。

 ふっと微笑みながら、スッと右腕を伸ばす。

 

 絶妙なタイミングで。

 オリツの足が伸びきるか、伸びきらないか。

 その瞬間を見極めたのだ。

 

 おじさんの手の平がオリツの足にぶつかる。

 その瞬間に、オリツの身体は後方に吹き飛んでいた。

 

 なにが起こったのか。

 それすら理解できないオリツだ。

 おじさんはただ腕を前に伸ばしただけである。

 

 だが、あの一瞬で膝に強烈な痛みが走った。

 さらに自分が蹴った衝撃が、そのまま返ってきたような錯覚さえある。

 

「ちょ、まだなんも言ってないー」


 男性講師が間に入ってくる。

 が、それも野暮だと思ったのだろう。

 二人の表情を見て、すぐさま退く男性講師だ。

 

「膂力と速度はそれなりですが、油断がすぎますわね」


 おじさんが評価をくだす。

 そのことにオリツは思った。

 

 ひょっとして、とんでもない人を相手にしているんじゃ、と。

 

 魔力の量が桁違いに多いことはわかる。

 だが、あの細身の身体でなぜ自分の攻撃を弾けるのだ。

 

 オリツの知らない術理があるのだとしても、である。

 それでもあんな風になるものだろうか。

 

 いいや――今は考えても仕方ない。

 そう割り切って、オリツは立ち上がった。

 

「厚かましいお願いをしてもよろしいでしょうか?」


 おじさんに対して頭を下げる。

 

「言ってごらんなさい」


「この舞台上を外から見えなくすることはできますか?」


「見せたくないものがあるということでしょうか。かまいませんよね? バーマン先生」


 おじさんの問いにとまどう男性講師だ。

 

「え? そりゃべつに構わないけど。ここの結界の術式に干渉して……」


 男性講師の言葉が言い終わらないうちに、闘技場全体が黒いドームで覆われてしまう。

 さらに結界の天井部分に大きな光球が出現し、周囲を照らしているではないか。

 

「まぁこんなものでしょう」


 おじさんの言葉に男性講師はうなだれた。

 まぁそんなものだ。

 おじさんなのだから。

 

「ありがとうございます。これよりは鬼人族に伝わる秘伝を使いますので、余人に見られたくはありませんでした」


「なるほど」


「あなた様を相手に手を抜くことなど叶いません。それは先ほど理解できましたので」


 ああーと男性講師は天を仰いだ。

 オレ、巻きこまれてるという表情である。

 

「では、秘伝を使わせていただきます」


 おじさん、実はちょっとワクワクしていた。

 さっきの一撃が彼女の本気だとしたら拍子抜けもいいところである。

 

 ――もう少しやってもらわないと。

 そんな期待に満ちた目でオリツを見るおじさんだ。

 

 一方のオリツはとても真剣な表情になっている。

 はあああと魔力を昂ぶらせていく。

 

 そして――口を開いた。

 

「まじかる・らぶりー・きゅんきゅんきゅん」


 手でハートを作っているオリツだ。

 そのハートは左右に動かしながら腰も動かす。


「まじかる・らぶりー・きゅんきゅんきゅん。あなたのはーとにらぶ注入!」


 ぶふーと噴きだしたのは男性講師だった。

 いや真面目な話じゃなかったの? と。

 

 おじさんは、ただオリツのことを見ていた。

 魔力が高まり、オリツの身体がペカーと光る。

 

 次の瞬間。

 オリツは巫女装束になっていた。

 

 白衣しらぎぬに緋袴。

 立派な巫女さんである。

 

 それと先ほどよりも角が大きくなっていた。

 

「ふぅ……久しぶりにこの姿に戻れました。こちらの方が落ちつきますわ」


「衣装が替わりましたわね。それが秘伝の効果なのですか?」


「これは……魔闘衣と呼ばれるものです。お望みなら後ほど説明させていただきます」


「……約束ですわよ」


 おじさんの言葉にコクリと首肯するオリツであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る