第575話 おじさんは先輩たちにトラウマを与えていた


 ヴィル=ギハ・ギューロ。

 ギューロ侯爵家の嫡男である。

 ただし、末っ子長男というやつだ。

 

 ヴィルの上には三人の姉がいる。

 眉目秀麗な男の子だったヴィルは姉たちの玩具だった。

 

 着せ替えさせられたことは数知れず。

 時には女装だってさせられた。

 

 それでも家族仲は悪くない。

 が、姉には逆らえないサガを抱えている。

 

 ただまぁ女性に慣れるという意味では姉たちの存在は大きかっただろう。


 学業も優秀で、武術や魔法もこなす優等生。

 無論、才能もあっただろうが、ヴィル自身は天才ではないことを重々承知している。

 

 侯爵家の嫡男としての自覚は幼い頃からあった。

 その立場上、努力を欠かしてこなかったと言えるだろう。


 優秀な成績で学園に入ってもそれは変わらなかった。

 当然のように学生会に選ばれ、副会長の座にもついた。

 

 そこで出会ったのがキルスティとシャルワールだ。

 

 そして――卒業を迎える年になって爆弾がやってきた。

 おじさんである。

 

 最初はおじさんも自分と同じタイプかと思っていた。

 キルスティという前例があったから。

 

 だが、それはとんだ思いちがいだったのだ。

 

 おじさんは規格外だった。

 いや、規格外という言葉が当てはまるかもわからない。

 なにかこう理不尽だと思ったのだ。

 

 ヴィルが全力で駆け抜ける距離を、一歩踏み出しただけで追いついてくる。

 次の一歩で置き去りにされてしまう。

 

 これほどまでに残酷なことがあるだろうか。

 だが、そのことを悲観的に捉えることはなかった。

 なぜなら余りにも自分と違いすぎたから。

 

 もはや笑うしかない。

 そんなおじさんが合宿の最終日に言った。

 

「さて、最後に皆さんには覚えておいていただきたいことがありますの」


 パチンと指を鳴らして、中央にある五番闘技場の結界を黒くして中が見えなくするおじさんだ。

 

「そうですわね。準備ができ次第、相談役の御三方から一人ずつ闘技場にあがってきてくださいな」


 そう残して自分は闘技場の中に入ってしまう。

 

 残された面々は意味がわからなかった。

 が、とりあえずとキルスティが結界の中に入る。

 

 次の瞬間、キルスティは闘技場の外にだされていた。

 しかも完全に気絶している。

 

 中でなにがあったのか。

 それを推測する間もなく、シャルワールが舞台へ。

 キルスティよりも若干長くはあったが、同じく舞台の外に放り出されてしまう。

 

 ……自分の番か。

 

 嫌な予感を思いつつ、ヴィルは闘技場へ上がろうとした。

 が、片足を闘技場にかけた時点で動けなくなってしまう。

 

 本能が中に入ることを拒絶していた。

 

 身体が震える。

 嫌な汗がでる。

 

 それでも、とヴィルはどうにか心を奮い立たせた。

 後輩たちの前で情けない姿は見せられない、と。

 

 そして結界の中である。

 

 おじさんはいた。

 だが、ふだんと変わった様子は見当たらない。

 相も変わらぬ超絶美少女っぷりである。

 

「ヴィル先輩は少し感受性が高いのかもしれませんわね」


 おじさんが言う。

 それに対して、どう返答していいのかわからないヴィルだ。

 

「殺気というものを体験していただきたいのですわ。ここでの実戦訓練で唯一養えないもの。それが本気で命を取りにくる相手の気迫です」


 おじさんは続ける。


「この結界の中では怪我を負ったり、死んだりすることはありません。それは訓練には良いのですが、どうしたって実戦とは異なるものです」


 なので――とおじさんが指を立てる。

 

「今から殺気を見せておきます。必ずやヴィル先輩たちの役に立つはずですから」


 ――瞬間。

 ヴィルは膝をついていた。

 

 ――怖い。

 なにが怖いのか。

 理解できないことが怖い。

 

 会長はただ立っているだけだ。

 表情も微笑みをうかべたまま。

 

 息が荒くなる。

 

 ヴィルは幻視していた。

 ヒタヒタと確実に背後に忍び寄るなにかを。

 

 それは絶対的な死を具現化した存在であろう。

 なにをどうしたって逃げられない。

 

 そいつが迫ってくる。

 ゆっくりだが確実に。

 

 ずるりずるりと何かを引きずるような足音まで聞こえる。

 幻聴だ。

 そんなものはいない。

 

 頭の隅にそんな考えはあった。

 だが――実際に聞こえてしまう。

 

 歯がカチカチと音を立てる。

 身体の震えが大きくなって、とまらない。

 もはや立つこともできないだろう。

 

 血の気が引いていく。

 冷や汗が流れている。

 

 そして、ヴィルの背後。

 すぐ側にまで近寄ってくるなにか。

 絶対に後ろを見てはいけない。

 

 生臭い息が耳にかかった。

 心臓がぎゅうと絞まる。

 怖気がとまらない。

 

 ああ――もうダメだ。

 

 ヴィルは気がつくと舞台の袖に転送されていた。

 自分を覗く、シャルワールとキルスティ。

 

「二人とも……無事でしたか?」


「お、おう……お前こそどうなんだよ?」


 顔を思いきりしかめるシャルワール。

 キルスティも同様であった。

 

「私は……あれ? 記憶がない?」


 ――手合わせをした?

 いや、なにかがちがうような気もする。

 

 そんなヴィルを見て、シャルワールは頭を掻いた。

 キルスティは実に気の毒そうな顔をしている。

 

「うん……まぁあれだ。気にするな」


「そ、そうよ。気にしない方がいいんだけど、いいんだけど……」


 口ごもってしまうキルスティ。

 

「ふむ。特に問題はなさそうでおじゃるな」


 相談役三人の様子を見て、呟くバベルだ。

 念のためにとおじさんに配置されていたのである。

 

「あの……少しお聞きしてもよろしいかしら?」


 キルスティである。


「麻呂にか? まぁ答えられることなら答えてやろうぞ」


「リーさんのあれ、本気ですわよね?」


 キルスティの問いに、バベルは一瞬だけ呆けたような表情を作ったあとに、腹を抱えて笑った。

 

「ほほほ。あれが主殿の本気だと? そんなわけなかろう。主殿が本気であれば、既にそなたたちなど疾うに自裁しておるよ」


「……自裁ですか」


「なぜ、そなたたちが揃って気を失って転送されたのか。あれは主殿が魔法をお使いになったからであるぞ。あの程度、主殿からすればお遊びのようなもの」


 三人は無言になった。

 誰も口を開けない。

 

「まぁ気にせぬことでおじゃるな。そなたたちの物差しでは主殿ははかれんよ。だからこそ――」


「ちょ。ケルシー!」


 見れば、ケルシーが泡を吹いている。


「ふむ。そなたら無事のようでおじゃるからな。麻呂はあちらの娘の様子を見てこよう」


 立ち去るバベルの背を見つめる三人だ。

 いったい、何をどうしたら、あんなことになるのか。

 

 ああ――思いだした。

 そうか、そうなのか。

 

「おるらぁ!」


 ヴィルに迫る冒険者である。

 顔をあげて、ヴィルはその姿を見た。

 そして――笑ったのだ。

 

 おかしい。

 ちゃんちゃらおかしい。

 

 殺気?

 なにを言っているのだか。

 

 殺気とはあんなものじゃない。

 本物を体験したのだから理解できる。

 

 なにをわかったようなことを。

 ふふ……本当におかしい。

 

「なに笑ってやがんだ!」


 すまない。

 決して侮るわけじゃないんだ。

 ただ……会長と比較すると……。

 

 ふふ……。

 

 やっぱり笑いがこみあげてくるヴィルであった。



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