第568話 おじさん着々と外堀が埋まっていることに気づかない


 ニュクス=ドルファ・ペリッシエル。

 薔薇乙女十字団ローゼンクロイツの腹黒担当である。

 あるいは狂信者の会のメンバー。

 

 豪奢なお嬢様といった外見のため、聖女からは悪役令嬢だと言われていたりもするが、ここでは割愛しておこう。

 

 ニュクス嬢もまたおじさんに一目惚れをした勢である。

 ただし彼女は頭がいい。

 故に薔薇乙女十字団ローゼンクロイツの中で、不足する部分を見つけ、そこに自らの役割を見いだしているのだ。

 

 が、ことおじさんに限っては別人になってしまう。

 かつては王太子を排除するにはどうするかを、本気で考えていたこともあるほどだ。

 

 そんな彼女の前に無礼者たちが現れた。

 十把一絡げにして語られるような取るに足らぬ者たち。

 ラケーリヌ家の貴族学園の生徒である。

 

 それが喧しく騒ぎ立てたのだ。

 彼女にとって、それはおじさんを侮辱したのと同義である。

 いや、おじさんとの時間を邪魔されたと感じたのだ。

 

 切れるには十分な理由であった。

 

 一方でラケーリヌ家の貴族学園の男子たちは思う。

 なんだ、このやべーやつらは、と。

 

 ニュクス嬢・イザベラ嬢・アルベルタ嬢である。

 いずれ劣らぬ狂信者たち。

 美貌の三人だが、今はそんなことは問題ではない。

 

 貴族学園の男子たちは選択を迫られた。

 とりあえず意味がわからないが、口を押さえて頷く。

 そうしたのは五人中の二人である。

 

 残りの三人はよくわからない女子に咎められたことに対して、イラッときていたのだ。

 

 血気盛んな年頃ということもあるだろう。

 加えて、求婚中の相手の目の前で、である。

 

 だから、文句を言おうとした。

 残る三人の内の一人が口を開こうとした瞬間である。

 パクパクと口を幾度か開いて、閉じて、どさりと倒れた。

 

「な……!?」


「私、既に通告しましたわよね。口を開いても殺す、動いても殺す、と。本気ですわよ」


 ニュクス嬢の冷たい声であった。

 文句を言おうとした三人の内、残るは二人。

 その二人は完全に戦意を消失した。

 

 いや、本当はまだ腹の虫は収まらない。

 いらだちをぶつけたい。

 が、ニュクス嬢の言葉に呑まれていたのである。

 

 残った男子生徒たちは、全員が嫌な汗をかいていた。


 進むことはできない。

 退くこともできない。

 

 それをした瞬間に得体の知れない攻撃で倒されてしまう。

 進退窮まったという状況である。

 

 薔薇乙女十字団ローゼンクロイツたちは動かない。

 狂信者の会が怒っているのだから。


 少なからず彼女たちも、かの男子生徒を邪魔に思ったのだ。

 だから動かない。

 でも、視線で圧をかけていく。

 

 緊張が高まる。

 一触即発の空気だ。

 なにかきっかけがあれば、やられる。

 

 そう男子生徒たちが考えたときである。

 ルルエラもまた息を呑んでいた。

 

 ルルエラに責があるとは思わない。

 しかし、この生徒たちを引き連れてきたのは事実だ。

 遠因となった責任は認めるが、この場を納めるにはどうすればいいのか、と思案する。

 

 そこへ――パチンと指を鳴らす音が響いた。


「ニュクス。そこまでにしておきなさいな」


 涼やかで軽やかなおじさんの声が響く。

 同時に、倒れていた男性生徒が咳きこみ、ぜひーぜひーと呼吸を荒げはじめる。

 

「承知いたしました」


 おじさんに一礼して退がるニュクス嬢だ。

 

「ルルエラ様。見学なさるのは結構。ですが、こういった揉めごとは勘弁してほしいですわ」


「申し訳ありません。よく言い聞かせておきます」


「それがよろしいでしょう」


 ニコリとした微笑みを漏らすおじさんだ。

 

「では、わたくしたちはこれで。行きますわよ」


 はい、と薔薇乙女十字団ローゼンクロイツが唱和する。

 その一矢乱れぬ統率された動きは見事につきる。

 ちょっと戸惑いながら、ついて行く相談役の三人たち。

 

 それを見送るルルエラは頭を下げている。

 男子生徒たちは呆然としていた。

 

 彼らはまだ理解していない。

 おじさんの前で恥をかかされたとルルエラが思っていることを。

 

 一方で闘技場へとむかうおじさんたちだ。

 その途中でおじさんが声をかける。

 

「ニュクス、先ほどの魔法はお見事でした。いい具合に魔力の隠蔽ができていましたね」


「お褒めにあずかり光栄ですわ」


 おじさんに褒められたのが嬉しいのだろう。

 ニュクス嬢が滅多に見せない、満面の笑みになった。

 

「ねぇねぇ、エーリカ」


 ケルシーだ。

 隣を歩く聖女に声をかけている。

 

「どうしたのよ?」


「さっきの魔法ってなに?」


「ああ――あれはね。伝説の暗殺魔法なのよ」


「ええ! なにそれ!」


 良い反応をするケルシーである。

 聖女はそれを見て、よからぬことを考えた。

 

「かつてこの国には伝説と呼ばれた暗殺魔法を使う二つの流派があったの。ひとつを北神派、もうひとつを南神派といってね。その二つの流派は、自分たちこそがいちばんだって言って争うことになったの」


 ふむふむ、と頷くケルシーである。

 それはわかるわ、と呟くほどにはのめりこんでいるようだ。

 

「それはもう酷い戦いだったわ。お互いに使うのは必殺の魔法なのよ。戦えば必ずどちらかが――死ぬ。だけどその戦いは長く続かなかったのよ」


 なんで! と興味津々のケルシーだ。

 

「それはね、北神派と南神派のトップが結婚して、二つの流派をひとつにしようとしたからなの! お互いの流派のいいところを一つにして、生まれたのが――」


「エーリカ、また嘘をついているのです!」


 パトリーシア嬢である。


「ちょっといいところで邪魔しないでよ!」


 落ちを言えなかった聖女が文句を言う。


「え? 嘘なの?」


 ケルシーが途惑っている。

 まったく嘘だとは思っていなかったようだ。

 

「嘘なのです。さっきニュクスが使っていたのは風の魔法なのです」


「ええ? 嘘だー。だってワタシ知らないよ?」


 真実を告げているパトリーシア嬢の方を嘘だと言うケルシー。

 さすがに蛮族であった。


「ケルシー、風の魔法には空気を操作――ああ、ごめんなさい。ケルシーにわかるように説明できないわね」


 使い手であるニュクス嬢が割って入るも説明を諦める。

 酸素がどうだのという説明をしたところでわかるわけがない。

 なんたってケルシーは蛮族なのだから。

 

「まったく! こう言えばいいのよ。ケルシー、さっきの魔法はニュクスが空気を毒にしたの。だから倒れたのよ」


「毒! なんで毒になるのよ!」


 今度は聖女が詰まってしまう。

 言われてみればそうだ。

 

 ふつうに呼吸をしているのだから。

 その理屈を説明することはできる。

 

 だが、それを理解できるのはこの場だとおじさんくらいだ。

 聖女が持つ前世の知識を言わざるを得ないのだから。

 

 黙りこんだ聖女である。

 それを見かねたおじさんが口をはさんだ。


「ケルシーは水の中で息ができないでしょう?」


「できない!」


 自信満々に叫ぶケルシーだ。

 クレープを補給したから元気なのだろう。

 

「ニュクスはあの男子の顔の周りを風の結界で覆って、水の中にいるのと同じような状態を作ったのですわ」


「はえええ! スゴい! 教えて、ワタシにも教えて!」


 ケルシーがニュクスの隣に移動して、その腕を掴んだ。

 純粋な賞賛というのは、何よりも嬉しい場合がある。

 

 ニュクス嬢はついケルシーの頭をなでていた。

 満面の笑みのままで。

 

「リー様。先ほどの者たち、念のためにこちらでも探りを入れておきます」


 アルベルタ嬢とイザベラ嬢が、おじさんに耳打ちする。

 

「そうですわね……お願いしますわ。ですが無理はしなくても大丈夫ですわよ。あの程度の者たちならルルエラ様が押さえてくれるでしょう」


 おじさんの答えに引き下がるアルベルタ嬢たち。

 

 そんなやりとりを見ていた相談役の三人である。

 

「なぁ……うちの会長、貫禄ついてきてないか?」


 シャルワールだ。

 おじさんを見て、唸るような声をだしている。


「最初からそうだったとも言えるんじゃないですか?」


 ヴィルが所感を述べた。

 こちらはおじさんなら、然も当然であるという感じだ。

 

「いや、あのルルエラ先輩を黙らせたんだぜ?」


「それを言うなら、元会長であるキルスティも同じでしょう? 同じ公爵家の令嬢ですら歯牙にもかけない……いえ、会長からすれば同じなのでしょうね。身分の大小などお気になさらない」


 ヴィルの推論は正鵠を得ていると言えるだろう。

 それはおじさんの中の人の影響が大きい。

 

 身分を廃された社会を経験しているのだ。

 だから誰に対しても同じく接する。

 

 無論、立ち位置の上下があり、礼節をもった対応もするのだ。

 だが学園ではそれを好まない。


 学生同士という括りで見ているから。

 度を超したものにはお仕置きをするが……。

 

「まぁでも雰囲気があるのは事実ね。どう言葉にしていいのかわからないけど……自然と人の目を集めちゃう。それは外見だけの話じゃなくて……やっぱり雰囲気としか言えないわね」


 自分の言葉に苦笑するキルスティだ。

 言語化するのは難しい。

 

 そう――おじさんの持つ雰囲気。

 カリスマとでも言えばいいのだろうか。


 奇妙な安心感があるのだ。

 なぜそんなことを感じるのかわからない。

 だけど、キルスティは思う。

 

 間違いなく自分たちの世代は、おじさんが中心になると。

 王太子が廃嫡になったことで、王位継承の問題がでてきた。

 

 だが、そんなことは些細・・なことなのである。

 だって、おじさんが居るのだから。

 

 本来なら王位を継承する者がいなくては、国が荒れると不安に思っても仕方がない。

 だが、おじさんが居れば、なんら問題がないと思っているのだから不思議だ。

 

 キルスティからすれば、年下の女の子にそんなことを考える。

 それでも自分がおかしいとも思わない。

 おじさんを知れば、誰もがそう判断すると自信があるから。

 

 仮におじさんが女王となるのなら、喜んで傅くだろう。

 だが女王とならなくてもいい。

 だって、もう実質的にキルスティにとっては、自らが戴く絶対不可侵の女王なのだから。


 それがおかしくて、やっぱりキルスティは笑うのだ。

 今度は苦笑ではなく、朗笑で。

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