第564話 おじさん宰相の期待以上に応えてしまう


 引きつづきラケーリヌ家である。

 おじさんはサロンに通されていた。

 

 宰相、長男、ルルエラ、メイユェとラケーリヌ家の面々に囲まれるも臆することがない。

 おじさんからすれば親戚であるのだから当然だろう。

 

 サロンのソファに腰掛け、だされたお茶を含む。

 いい茶葉を使っている。

 香りが芳醇だ。

 

 おじさんが飲んだことがないお茶であった。

 いや前世では似たものを飲んだことがある。

 ジャスミンティーだ。

 

 仄かに香るフローラルな香り。

 スッキリとした後口。

 美味であった。

 

 主にメイユェからおじさんに質問が飛ぶ。

 その内容の多くが、母親についてだ。

 やはり美容については気になるのだろう。

 

 ひとしきり談笑が終わったところで、おじさんはルルエラに対して口を開いた。

 

「さて、ルルエラ様。先ほどのお話ですが……」


 行儀見習いとしてカラセベド公爵家へ行くというものだ。

 母親はバッサリと切り捨てたが、おじさんは少しばかり手助けをしておこうと考えたのである。

 

「当家では行儀見習いをとっておりませんので、お母様はああ仰ったのですわ。当家に出入りをしたければ、弟子入りという形をとった方がよろしいかと思います」


 おじさんの言葉に、消沈していたルルエラの顔が上がった。

 その表情には少しばかりの期待が見える。

 

「ただし、お母様に弟子入りするのは大変ですわよ。正直なところルルエラ様の実力では、基準の下限に引っかかるかどうかという微妙なところなのですから」


 ルルエラに対する評価を聞いて、顔をしかめたのは長男だ。

 ラケーリヌ家で最も魔法に対して造詣が深いのがルルエラになる。

 

 そのルルエラでさえ、下限の当落選上でしかないという。

 いや、恐らくは本来なら下限にすら届いていないはずだ。

 そういう口ぶりだったから。

 

「ルルエラ! あなた、そんなことを!」


 先に声をあげたのはメイユェである。


「リー様、私はこれでも魔法の腕には自信がありましたのよ」


 母親であるメイユェを無視するルルエラだ。

 その瞳は真っ直ぐにおじさんを見ている。

 

「……ですが私ごときでは、どこにも届いていませんでしたのね……」


 俯くルルエラだ。

 悔しいのか、それとも絶望しているのか。

 

 宰相が思わず声をかけようとした。

 が、おじさんの方が早く口を開く。


「そうですわね。確かにルルエラ様は一般的な魔導師と比較すれば優秀でしょう。ですが、まだ壁を越えられてはいませんわ。なぜなのか、お考えになられたことはありますか?」


 おじさんの問いにルルエラは少しだけ黙考した。

 そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「努力が足りない、才能が足りない……のかしら」


「ちがいますわ! そのような些末なことはどうでもいいのです。ルルエラ様、心の底からこいねがうことこそが魔法の本質ですのよ。人ではなせぬ奇跡を起こすことこそ、魔法の本懐」


 おじさんが少しだけ魔力を開放する。

 

「魔法とはこいねがう力。奇跡を具現化するための手段ですわ。であるのなら! 努力や才能などを言い訳にしている暇などありません! ただ前へ。足りないのなら埋めればいいのです!」


 どどーんと宣言するおじさんである。

 その姿は神々しかった、少なくともルルエラにとって。

 

 ――女神さま。

 

 ルルエラにとって、それは天からの啓示に等しかった。

 努力や才能などは関係ない。

 足りないのなら埋めればいいのだ。

 

 そうだ。

 今までだって、そうやって前に進んできたのだ。

 ルルエラ自身がそれを証明してきたではないか。

 

 ならば――できる。

 壁でも何でも越えてやろうじゃないの。

 そうやって生きてきたのだから。

 

 ルルエラがスッと立ち上がった。

 少し歩いて、おじさんの前で跪く。

 

「私、大切なことを忘れておりましたわ」


 ルルエラが頭をたれる。

 

「リー様に感謝と敬意を」


「はげみなさい」


 そう言って、椅子に座ったままルルエラの肩に手を置くおじさんであった。

 

 小さく嗚咽を漏らすルルエラ。

 その頭をそっとなでるおじさんであった。

 

 というか、どうしていいのかわからなかっただけである。

 まさか、そんなに感謝されるとは思ってもいなかったのだ。

 

 助けを求めようとして周囲を見る。

 

 宰相はハンカチで目尻をおさえていた。

 メイユェも同じくである。

 長男はなんだか生暖かい目でこちらを見ていた。

 

 いい話だなーとか思っているのだろうか。

 おじさんは困った。

 

 困って、困って、どうしようもなくなったのである。

 だから宰相に話を振った。

 

「閣下、そう言えば先ほど王妃様からの頼み事があるとかないとか仰ってましたわね?」


 しっかりと空気を読んだ宰相が答えてくれる。


「ああ、そうなんだ。アヴリルから言づてがあってね。ドライヤーとかいったかな、魔道具の専売許可が下りたというのがひとつだね」


 ああ、ドライヤーの魔道具か。

 あれも大好評だと聞いている。


 おじさんが王妃に贈ったものは特別製だ。

 ドライヤーの本体に加えて、特製ヘアオイルとアタッチメント付きなのである。


「承知しました。王妃様にお礼を言っておきませんと。他にもなにかあるのですか?」


「ああ、リーの家で作っている甘味がほしいっていうのと、あとはあれだね……栄養補給剤だったかな、あれも追加してほしいと言ってたよ」


 なるほど。

 妊婦さん用の栄養補給剤か。

 

 おじさん、トリスメギストスと作っていたのだ。

 お腹の子に悪い影響がでない範囲で栄養を補給できるものを。

 

 はう! おじさんは思った。

 お母様の分も作らなくては、と。

 

 母親が知れば、まだ早いわよと笑うだろう。

 だが、おじさんにとっては一大事なのだ。

 

「はい! リーちゃん! アヴィちゃんの言ってることが気になるわ!」


 メイユェである。

 さすがに王妃とも親しい付き合いをしている彼女だ。

 アヴィという愛称で呼んでいる。


「あら? メイユェ様はご存じないのですか?」


 この話の流れはマズい。

 いち早く察知した宰相である。

 

「ああ、リー。私は少し書斎で取ってくるものがあるから席を外すよ」


 席を立とうとした宰相の腕が、万力のごとき力で掴まれる。

 ハッとしてみるとメイユェであった。

 

 宰相の方を見ずに、腕だけを掴んでいる。

 

「リーちゃん、よければ続けてちょうだいな?」


 お、おう……と思うおじさんだ。

 多少、面くらいはしたものの平常運転を続ける。

 

「こちら我が家の温泉で使っているドライヤーという髪を乾かす魔道具なのですが」


 ごとりと実物をテーブルの上に置くおじさんだ。

 宝珠次元庫の中に入れて、幾つか持ち歩いているのである。

 

「お母様だけではなく使用人たちからも大変好評でして……」


 アメスベルタ王国内では長髪の女性が多い。

 特に貴族の女性に限れば、ほとんどが該当するだろう。

 だから髪を乾かすのも一苦労なのである。

 

「ほおん……髪を乾かす……我が家の温泉……つかぬことを聞きますが、リーちゃん。うちのロムルスはそちらの温泉にお邪魔したことは?」


 宰相は思った。

 黙っててくれ、と。

 

 あれは最高の癒しなのだ、と。

 王城から転移で跳べることは内緒なのだ。

 

 切実なる思いをこめておじさんを見る。

 そして、二人の目は一瞬だが確かに合ったのだ。

 

「……さて、そこまでは知りませんわ」


 おじさんは空気を読んだのである。

 それは今回の件で、少なくともラケーリヌ家に迷惑をかけたと思っているからだ。

 

「こちらのドライヤーですが、実は宰相閣下からご依頼されていたものですのよ」


 と、おじさんはドライヤーを手に取った。

 その瞬間、サンドブラストの魔法を小さく発動する。

 

 ラケーリヌ家の誰にも気づかれないように。

 それでも一瞬で持ち手の部分に、メイユェへ愛をこめて、と刻んでしまった。


「こちらをご覧くださいな」


 たったいま刻印したばかりの文字を見せるおじさんだ。

 

「はう! あなた!」


 メイユェが宰相の腕を引き、自分の胸にかき抱いた。


「あ、あはははー。じ、実はそういうことなんだよ。ちょっと驚かせたくてね……はは」


 宰相は思った。

 やりすぎだよ、と。


 でも、おじさんに感謝したのだ。

 さすがリーちゃん、期待以上のことをしてくれる、と。

 

 一方で、おじさんへの借りがドンドン積み上がっていく。

 そのことを思わずにはいられない宰相だ。

 

「父上、リーに渡すものがあるのなら書斎へ行かれては?」


 長男の言葉に従って、サロンを一時退室する宰相だ。

 なんとか逃げ切ったという思いが胸をみたす。

 

 そのまま書斎へと足をむけた。

 実は口実ではなく、本当におじさんに渡すものがあったのだ。

 

 本家から取り寄せていた魔本である。

 遠い昔、ラケーリヌ家で封印されていたものだ。

 これと合わせて、ラケーリヌ領内にある迷宮の探索許可証がおじさんへの報酬となっている。

 

 きちんとおじさんの父親にも話をとおしているところが、他の面々とのちがいだろう。

 魔本など渡す人によっては、報酬になどならない。

 むしろ揉めごとの種になるものだ。

 

 だが、おじさんであるのなら安心だ。

 そういうものに興味があると、外務卿であるおじさんの父親からも確認をとっていた。

 

 おじさんに渡すものの用意を終えて、サロンへとむかう。

 その扉の前で宰相は足をとめた。

 

「ええ! そんなステキな場所があるの!」


「当家自慢の温泉ですわよ。是非とも一度いらしてくださいな」


「行く! 絶対に行くわ! っていうかアヴィちゃんとヴィーちゃんはズルいわよ!」


 どうにも不穏な会話が聞こえてきたからである。

 妹二人とメイユェが出会ったら、バレるのは必至だ。


 さらに言えば、おじさんとメイユェだけではない。

 長男とルルエラも同様である。

 

「お父様ったら! こんなに美味しい甘味を独り占めにしていたっていうのね!」


「うむ。このどら焼きだったか。これを内緒にしていたのは酷いだろう」


 扉の前で伸ばしていた手を引っこめる宰相である。

 どうしよう。

 入るべきか、入らざるべきか。

 それが問題だ。

 

 人生の難問に直面した宰相である。

 期待以上のことをしてくれる姪っ子だが、その力はここで発揮してほしくなかった、と切実に思うのであった。

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