第561話 おじさんまたひとつ禁呪を習得してしまう


 その日、ラケーリヌ家に凶報が届いた。

 ヴェロニカ様、帰還する。

 

 吉報。

 それは吉報なのだ。

 だが、ラケーリヌ家で働く一部の人間にとっては凶報だった。

 

 もちろんおじさんの母親のことを知らない人間もいる。

 既に家をでて十年以上の月日が経過しているのだから。

 

 その後に雇われた人間は知らないのだ。

 カラセベド公爵家に嫁いだお嬢様が娘を伴って里帰りをする。

 それだけの話だ。

 

 雲の上の身分の人だけに緊張はするだろう。

 だが、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

 なにせラケーリヌ家もまた公爵家の一角を担うのだ。

 それなりに国の重鎮と呼ばれるお客様は多いのだから。

 

 だが――古参の者たちはちがう。

 ラケーリヌ家の中でも突出した異端。


 いやちがう。

 彼のお嬢様は最も貴族らしい貴族なのだ。

 故に複数の人間が胃痛を訴えた。

 

 報せを受けた家令は暫くの間、立ったまま白目をむいたそうである。

 

 そんなラケーリヌ家の騒動など知らないおじさんと母親である。

 おじさん特製の馬車でラケーリヌ家にむかっていた。

 

 一見して馬車の荷室には見えない。

 まるで邸宅の一室であるかのような室内である。

 

 お気に入りのソファーに腰掛ける母親とおじさんだ。

 ラケーリヌ家の長男とルルエラもいるが、どうにもこの状況を飲みこめないでいるのだ。

 

 なにせまったく揺れもせず、本格的にくつろげるのだから。


 二人の間に置かれているテーブル。

 その上の飲み物が一切こぼれていない。

 これが馬車の中だと信じられないのだ。

 

「では一度も実家には戻っていないのですか?」


 おじさんが対面に座る母親に質問をした。


「そうねぇ……スランと一緒になってからは初めてね」


 母親は顎に指を当てて答える。


「そういえば、お母様のお祖父様とお祖母様にお会いしたことがありませんわ」


「一度だけ会っているわね。リーちゃんが生まれたときに顔を見にきたのよ。うちのお義父様とお義母様と同じで、領地の運営に関わっているから、あまり顔を見る機会がないと思うわ」


 ということは本日も不在なのか。

 いかにおじさんと言えど、乳児の頃の記憶はほとんどない。


「……なるほど」


「と言うか、うちはリーちゃんのお陰でアレ・・が好き放題使えるのも大きいわね」

 

 転移陣のことである。

 領地と王都の距離でも一瞬で行き来できるのだ。

 そのメリットは計り知れないほど大きい。

 

 逆に言えば、一気に領地にまで踏みこまれる危険性もある。

 が、おじさんの家を相手にそんなことができる者はいない。

 

「あの……よろしいでしょうか?」


 母と娘の会話に割って入る長男だ。

 なにか、と二人に視線で告げられる。

 

 その瞬間に、うっと言葉に詰まってしまう。

 まるで蛇に睨まれたカエルである。

 嫌な汗が一気に背中を濡らすのがわかった。

 

 おじさんと母親。

 気づかないうちに長男はこの二人に苦手意識を植え付けられていた。


「い゙っ」


 長男の尻をつねりあげるルルエラだ。

 しっかりなさいということだろう。

 

「この馬車は……馬車でよろしいのかな? どちらにむかっているのか確認したいのですが?」


 二人は麻痺した身体を魔法で宙に浮かせられ、そのまま馬車まで運ばれた。

 侍女と従僕の手により、馬車内の簡易ベッドに安置されていたのである。

 

 その後、母親を拾ったおじさんの魔法によって回復させられたのだ。

 つまり身体は動かせなかったが、意識がなかったわけではないのである。

 

 ただ状況が飲みこめないのだ。

 

「ラケーリヌ家のタウンハウスに向かっていますわ」


 おじさんがこともなげに答えた。

 

「そんなっ!」


 声をあげたのはルルエラである。

 

「本日はお引き取りをお願いしますわ」


 静かなおじさんの声であった。

 異論を口にしよう、とルルエラは思ったのだ。

 

 だが、できない。

 なにかに気圧されて、できなかったのである。

 

「だらしないわねぇ。ラケーリヌ家の者として情けないわ」


 長男とルルエラ。

 二人を観察していた母親が口を開いた。

 

「今、私とリーちゃんのどちらが圧をかけたかもわかっていないのでしょう? まるでダメね」

 

 ――まるでダメ。

 

 そんな辛辣な評価を受けたのは、二人とも初めてだ。

 少なくとも自分たちは、この国で上から数えた方が早い位置にいると思っていたのだから。

 

「この先が思いやられるわねぇ……お兄様も何を考えていらっしゃるのか。次期当主がこのザマでは心配だわ」


 ほう、と息を吐く母親だ。

 おじさんもその隣でかすかに頷いていた。

 

「そ、そんなにダメでしょうか!」


 ルルエラである。

 奇妙な圧力を魔力ではねのけたのだ。

 

 そんな姪っ子をじろりと見る母親である。

 おもむろに口を開く。

 

「跪きなさいな!」


 ルルエラと長男は即座に跪いていた。

 いや、跪かされていたのである。

 

 それは呪言と呼ばれる禁呪のひとつだ。

 魔力を言葉にのせて発することで言霊で縛る。


 もちろん誰にでも効果があるわけではない。

 ただ使い方によっては人を思うままに操ることができる。

 故に禁呪に指定されているのだ。


「ね。これでわかったでしょう?」


 母親の次の言葉で、長男とルルエラの呪縛がとけた。

 屈辱とでも言えばいいのだろうか。

 

 いや、ちがう。

 少なくともルルエラはそう思った。

 

「あなたたちは弱い。知識も足りない。なにも成せていない。まずはそのことを認めなさい」


 そのとおりだ。

 いい気になっていた自分を反省する。

 学園を首席で卒業しようが、そんなことは関係ないのだ。

 

 ルルエラは不甲斐ない自分に腹を立てていた。

 なにが……リー様のお側にだ。

 そんな資格があるのか。

 

「落ちついてくださいな!」


 おじさんである。

 ルルエラの魔力が荒ぶっているのを見て声をかけたのだ。

 

 しかも母親の呪言を見よう見まねで使ったのである。

 その言霊に縛られて、気分が落ちつくルルエラだ。

 副次的に長男まで落ちついてしまったのはご愛敬だろう。

 

「うん。今のはいい使い方ね」

 

 母親と娘がにこやかに笑いあう。

 

「でもね、リーちゃん。これは禁呪だからなるべく使っちゃダメよ」


「承知しました。みだりに使うことはいたしませんわ」


 これはいい魔法を教えてもらったと思うおじさんだ。

 思わず、にんまりといった笑みを浮かべてしまう。

 

 せっかく落ちついた長男だが、このやりとりで理解した。

 今、この娘は母親の禁呪を見て真似たのだ、と。

 

 一度見ただけで――禁呪をものにしてしまったのだ。

 

 もはや言葉がでない。

 理解が追いつかないのだ。

 そのことに恐怖を覚える。

 

 しかも、この二人はなんと言った?

 なるべく使っちゃダメ、みだりに使いません、だ。

 絶対に使わないんじゃないのか。

 

「あ、お母様。この焼き菓子が美味しいですわよ」


 サクッとした口当たり。

 口の中に広がるほどよい甘み。

 さらに香ばしいナッツの香りがする。


「あら、本当ね。料理長に言っておいて」


 荷室に控えている侍女に言う母親だ。

 静かに頭を下げる侍女であった。

 

 チート持ちのおじさんと母親。

 その二人の会話を聞いて、長男はさらに思う。

 

 もはや格の違いではないと。

 生き物として、なにかが違っているのだ。

 

 だって禁呪の話と焼き菓子の話で会話の熱量が変わらないのだから。

 この二人にとっては、それは日常の話なのである。

 

 日常会話で禁呪がどうのという。

 それはもはや想像の埒外でしかない。

 

 長男の思考は正鵠を得ていた。

 

 母親にとってはいつものことだ。

 今さら驚くようなことでもなんでもない。


 と言うか、幼少期の頃から娘をそうやって育ててきた。 

 むしろ母親の方も楽しんでいたのだ。

 一度、見せればたいていのことはできるようになるのだから。

 

 母親だっておじさんと似たようなものだった。

 だから理解できるのだ。

 まどろっこしいことは必要ない。

 見せればいいだけ。

 

 そのときだ。

 母親の腰にあるポーチからシンシャの震えた。

 

『ヴェロニカ! ヴェロニカ!』


 その声は宰相のものであった。

 

「お兄様? 何用ですの?」


『いや、先ほどうちの者から連絡をうけてね。ヴェロニカが里帰りをするって。で、スランに借り受けて連絡をしている』


「ほおん、それがなにか?」


『いや、かまわないんだよ。なんの問題もない。ただ私も戻るからそれまでは居てくれないか?』


「かまいませんが……なんなのですか?」


『先日、リーちゃんがうちの揉めごとに協力してくれただろう? その礼についてスランとも話していたんだ。で、渡したいものがあってね。あと、アヴリルからも頼まれているものがあるんだよ』


「なるほど。まぁいいでしょう。そうそう、お兄様」


『なにかな』


「甥っ子と姪っ子がだらしないですわよ。少し教育しておきましょうか?」


『ははは……それは……そのなんだ。二人に聞いてくれないか?』


「承知しました。では、お待ちしておりますわ」


 シンシャを戻す母親だ。


 長男は思った。

 え? 教育ってなんのこと、と。

 嫌な予感がとまらない。

 

 戦慄とともに長男は妹であるルルエラを見た。

 こちらは目を輝かせているではないか。

 

 ああ――うん。

 このとき長男は色々と悟ったそうである。

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