第558話 おじさんルルエラのことをひとつ理解する


 学生会室になんとも微妙な空気が流れていた。

 おじさんの足下で床をドンドンと叩くケルシー。

 

 彼女の姿を見て、多くの者が思っていたのだ。

 どうしたらいいんだ、と。

 

 ケルシーの弱点を言うのは簡単だ。

 だが、初歩の初歩。

 基礎中の基礎である欠点を指摘してもいいのか。

 

 それはさすがにケルシーにとって残酷なのでは、と思うのだ。

 

 ケルシーはアホの子ではない……たぶん。

 不器用なだけなのだ。

 

 それが薔薇乙女十字団ローゼンクロイツの総意だった。

 聖女を除いて。

 

 聖女は既にクレープをパクついている。

 その顔は蛮族のごとき笑みであった。

 

 ちなみにケルシーの特訓に付きあっていたクロリンダは、うちのお嬢様は最高にアホ可愛い、と思っている。

 だから絶対に手のことを指摘しないのであった。

 

「ケルシー……」


 おじさんが声をかける。

 どうにも痛ましい姿を見て、ほだされてしまったのだ。

 

「……クレープ、食べますか?」


「食べる!」


 即答して立ち上がるケルシーだ。

 その顔はニンマリとしている。

 

 じゃんけんで負けたこととは別腹のようだ。

 

 余り深く考えなくてもいいのかしらん。

 そうおじさんが思ったときのことである。

 

「あなた、ケルシーと言うのね」


 ルルエラであった。

 おじさんからクレープを受けとったケルシーが向き直る。

 

「そうだけど……なに?」


 ちょっと訝しい顔を見せるケルシーだ。

 小さく息を吐いて、ルルエラは言った。

 

「あなた、なぜ自分が負けるのか気づいていませんの?」


 ずばりと確信をつくルルエラである。

 おじさんを含め、学生会室の全員が息を呑む。

 

 切りこんでいくルルエラの姿は勇ましき者であった。

 蛮勇なのか、あるいは知勇なのか。

 

「え? じゃんけんって勝ったり負けたりするものでしょ?」


「あなた、勝ったことがないでしょうに」


「な、ななななな!」


 図星を突かれたケルシーが顔色をなくした。

 同時に反論もできなかったのだ。

 だって、そのとおりだったのだから。


「いいですか! あなたは戦う前から負けているのです」


「な、なんだってえええ!」


 どきりとするおじさんたちだ。

 言うんだ……言ってしまうんだ、と固唾を呑む。


「本当に気づいていませんの?」


「な、なんのことだってばよ!」


 ケルシーは思った。

 

 じゃんけんとは運の勝負である。

 と、同時に読み合いの勝負でもあるのだ、と。

 だから自分は相手の手を読むことに全精力を傾けてきた。

 

 それが間違っていたのか、と。

 だとすれば自分が日夜行なってきた特訓はなんなのだ。


 まるで意味がなかったというのか。

 それだけは認められない。

 いや、認めたくないのだ。

 

「あなたはこう考えているのでしょう。じゃんけんとは読み合いの勝負である、と」


 ルルエラの言葉に頷くケルシーである。

 そこは否定されたくないのだ。


「ですが! じゃんけんの要諦とはそのようなところにはありませんのよ」


 ルルエラがどおんと宣言した。

 ケルシーに指を突きつけて。


「なんだってー! っていうか要諦ってなに?」


 せっかく決めたのに、ずこーとなるルルエラである。

 ケルシーに難しい言葉は使ってはいけないのだ。

 頭から煙がでてしまうのだから。

 

「要諦っていうのは、大事なこと、肝心な部分という意味ですわよ、ケルシー」


 文学系少女であるジリヤ嬢が解説をした。

 なるほど、と頷くケルシーだ。

 

「ってことは! じゃんけんで読み合いは大事じゃないってことでいいの?」


 その質問に皆が首肯して見せた。

 自分の考えが正しかったことにケルシーも満足する。

 だから――。

 

「なんだってー!」


 もう一度、やり直したのである。

 ルルエラはホンの少しだけ驚いていた。

 

 今の短いやりとりを見て、理解したのだろう。

 コホンと咳払いをしてケルシーに告げる。

 

「あなたはじゃんけんというものをはき違えているのです。今のままであれば、常勝無敗ならぬ無勝必敗で終わります」


 やっぱりなにも理解していなかったようである。

 ケルシーの頭の中は、疑問符でいっぱいになっていた。


「要するに勝てないってことなのです」


 見かねたパトリーシア嬢がケルシーに告げる。


「なんだってー! 失礼しちゃうわ!」


 もうさっきから同じ言葉しか繰りかえしていないケルシーだ。

 

「あなた、人の手を読むといっても何ができると言うのです」


 ルルエラの言葉にケルシーの思考がとまる。

 なにを言われているのか、よく理解できなかったからだ。


「ケルシー、とりあえずクレープを食べるのです。甘い物を補給しておくのです」


 パトリーシア嬢の助言に従って、はむりとクレープを食べるケルシーだ。

 とろけるような表情になって、頭が回りだす。

 

「端的に言えば、ケルシー。あなたは墓穴を掘っているのです」


 ルルエラが再びケルシーを指さした。

 だが、ケルシーは聞いていない。

 クレープに夢中だ。

 

「あの……ルルエラ先輩」


 見かねたキルスティが割って入った。

 

「なんですの? キルスティ」


「ケルシーは聖樹国の出身なので、できるだけかんたんな言葉でお願いします」


 と、キルスティがケルシーの耳を指さす。

 今日のケルシーは髪をおろしていた。


 だから髪に隠れてわかりにくかったのだろう。

 笹穂の形状をした耳を見て、ルルエラも納得した。

 

「承知しました。これは私が悪かったですわね。ついいつもの調子で話してしまいました。反省します」


 素直に口にするルルエラだ。

 キルスティが言った遠回しな言葉を理解したのだろう。


「ケルシー、そろそろ食べるのをやめるのです」


「えー! あと一口だけ!」


「ばっか、あんた先輩のありがたい御言葉なのよ。ちゃんと聞いてなさいって」


 と、横から聖女がケルシーのクレープを取り上げてしまう。

 

「エーリカ、食べちゃダメなんだからね!」


「そこまで落ちちゃいないわよ!」


 自分のことを知らない後輩たち。

 その後輩たちの自由さにルルエラは不安を覚えてしまう。

 大丈夫なのか、と。

 

「ケルシー、聞きなさいな」


 ルルエラが強引に話を戻す。

 

「くどくどと説明をしても意味がないことはわかりました。だから、結論だけを伝えますわね」


 最初からそうしろとは言わないケルシーだ。

 その辺はちゃんと教育されている。

 

「ケルシー!」


 ビシっっと指さすルルエラだ。

 それがちょっと嫌だなとケルシーは思った。

 指はささないでほしい。

 

「あなたは勝つことよりも負けないことを考えています。そんな心意気では勝てる勝負も勝てませんわ。絶対に勝つと口にはしていても、頭の中は相手のことばかり。そのようなことでは勝てませんのよ!」


 ん? とおじさんは思った。

 それって精神論では。

 

 あれ? ひょっとしてルルエラは気づいていないのか。

 

「勝つというのなら相手のことなどどうでもいいのですわ。己が信じる最強の手をもって、勝負に挑むのです。その結果、負けてしまったとしも悔やむことはありません。それこそが貴族の気概というものです! 覚えておきなさい!」


 はい、と大きく返事をするケルシーである。

 先ほどの言葉よりもわかりやすかったのだろう。

 というか脳筋理論は蛮族に馴染むのだ。

 

「以上ですわ。さぁその甘味をお食べなさい」


 はい、と再びいい返事をするケルシーであった。

 

 おじさんは思った。

 この人、天然なんだ、と。

 

 いい人なのだとは思う。

 後輩を導く先輩の正しい姿なのだろう。

 

 だが、その言葉の本質がズレていた。

 学生会の面々は勇者が現れたと思ったのである。

 

 ケルシーに面と向かって欠点を指摘する勇者が。

 だが、その勇者は蛮勇を振るう者ではなく、知勇をもった者でもなかったのだ。

 

「まぁ! とっても美味しいですわね!」


「でしょ、でしょ! この果物が美味しいの! ちょっとコリッとした食感が楽しいでしょ!」


「本当ですわね!」

 

 和気藹々とケルシーと和んでいる偽勇者ルルエラ。


 彼女とて今日が初めてのじゃんけんである。

 いきなりケルシーの欠点を指摘しろというのは難しい。

 

 そこに期待してしまう方が悪いのだ。

 

 おじさんはなんとも言えない空気を飲みこむ。

 そして言った。

 

「では、クレープは提供する料理として決定してよろしいですか?」


 そう――すべてをなかったことで処理したのであった。

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