第548話 おじさんの預かり知らぬところで爆弾が落ちる
ラケーリヌ家のタウンハウスである。
吶喊していく宰相の後ろ姿を眺めるおじさんだ。
ふだんは迷惑をかける周囲の尻拭いに奔走する宰相である。
どちらからと言うと、苦労人であるのは間違いない。
その宰相がはしゃいでいる。
おじさんは全身で喜びを表す宰相が微笑ましい。
やはり偶には、こうして弛めることも重要なのだ。
同時に自分を見つめる視線にも気づいていた。
門のむこう側にいる深緑の髪色をした御令嬢だ。
ヘビの魔物と戦う宰相と長男をそっちのけになっている。
目を大きく見開いたまま、おじさんを見つめているのだ。
あまり気を取られているのはよろしくない。
そこでおじさんは短距離転移で御令嬢の隣に移動する。
「お初にお目にかかりますわ。わたくしはリー=アーリーチャー・カラセベド=クェワと申します。ご尊名を伺ってもよろしいですか?」
いきなり転移してきたおじさんに、ルルエラは驚いてしまう。
しかし優雅なカーテシーを見せられて平常心を取り戻した。
「ご丁寧にありがとうございます。私はルルエラ=リスタ・ラケーリヌ=ピタルーガと申します。お噂はかねがね耳にしております」
ルルエラもまたおじさんにカーテシーで返す。
ここだけ場違いだ。
夜会もかくやという状況になってしまっている。
「ルルエラあ! 援護しろ!」
長男からの檄が飛ぶ。
しかし、ルルエラの耳には届いていないようだ。
間近にいる超絶美少女に釘づけなのだから。
「あの……先ほどからお声がかかっているようですけど?」
さすがに心配になるおじさんだ。
吶喊していった宰相は魔法を使わずに杖に魔力をまとわせて、槍のようにして戦っている。
長男から魔法は喰われると情報をもらったのだろう。
それでも魔法を使う機会をうかがっているところはさすがだ。
「いいのです。そのような些末なことよりも、今はあなたのことを知る方が重要ですわ」
手にした羽根扇で顔を半分隠しながら言うルルエラだ。
おじさんは彼女の意図を図りかねる。
なにを言っているんだ、という状況だ。
「ルルエラああ! なにしてる!」
「お兄様、うるさいですわ!」
「うるさいってなんだ、バカ!」
「うるさいものはうるさいのです! お黙りになってくださいな!」
同時にルルエラが羽根扇を振るった。
その勢いで火弾が長男へむかって飛んでいく。
「どわあああ! 狙うならむこうだろうが!」
長男が火弾を回避しながら文句を言う。
なんだかんだで余裕があるじゃないか。
おじさんはもう帰ろうかな、と思っている。
なんとかなりそうだし。
それよりも学園の闘技場でなにかあったら……。
いや大丈夫かと思い直した。
父親と母親がいるのだ。
滅多なことでは心配する必要がないだろう。
「だらっしゃあああああ!」
気合いとともに宰相の持つス・ピルバーンが巨大な黒ヘビの首を落とした。
近接戦闘でもなかなかの実力があるのだ。
「うおおおお!」
黒ヘビの首が地面に落ちた。
それを見た騎士隊から声があがる。
「リーさんとお呼びしてもよろしいかしら?」
「かまいませんわ、ルルエラさん」
どこかモジモジとした姿のルルエラだ。
なにを聞こうか、なにを話そうか迷っている感じがする。
「ラケーリヌを舐めるなよ、馬鹿野郎!」
宰相である。
随分と興奮しているようだ。
地面に落ちた巨大な黒ヘビの頭。
その上で杖を掲げ、鬨の声をあげる。
意気軒昂。
よろしいことだ。
だが、おじさんの神眼には見えていた。
――まだ黒ヘビは死んでいない。
「閣下! そこから退いてくださいな!」
ルルエラを無視する形で、おじさんが鋭い声を飛ばした。
その声に呼応するように宰相が跳び退る。
長男と騎士隊もまた警戒の態勢をとった。
瞬間。
本体側の首の切断面がぶくぶくと泡を立てる。
流れでる毒々しくも鮮やかな紫色の血液が沸騰しているようだ。
ぐにぐにと切断面の筋肉が蠢く。
透明な液体が噴出したかと思うと、そこに首が生えていた。
しかも双頭になっている。
地面に元の首は転がったまま。
こちらの首はもう動かなさそうだ。
おじさんの目にも魔力が消え去っているのが確認できる。
「リー! どういうことかわかるかい?」
宰相からの声におじさんは一瞬だけ考えて答える。
「魔力が続く限りは再生するようですわね」
「ふむ……長期戦は望むところではないな。負ける要素はないが面倒だ。リー! なんとかできるかい?」
「ちょ! 父上!」
「かまわない。責任は私がとる」
宰相にそう言い切られてしまっては長男に返す言葉はない。
「よろしいのですか?」
おじさんが確認をとった。
「ああ! 持久戦に持ちこむのが賊どもの狙いかもしれないからね。片してくれるかい?」
即答する宰相の言葉に頷く。
「え? リーさん? 大丈夫なの?」
ルルエラはおじさんを思った。
心配だったのだ。
「ええ、問題などなにひとつありません!」
パチン、とおじさんが指をスナップさせた。
その瞬間である。
巨大な黒ヘビの眼前に蝿がいた。
小さな蝿である。
だが、その数が異常だ。
巨大な黒ヘビの身体に蝿が群がった。
黒ヘビがのたうつ。
だが、蝿の膜が黒ヘビから離れることはない。
「往生際の悪い……」
おじさんが再度、パチンと指を鳴らす。
地面から無数の鎖が出現して、巨大なヘビを完全に縫い止めてしまった。
蝿はヘビを喰らう。
同時に卵を産みつけ、幼虫が身体の中を食い破る。
かなりグロテスクだ。
だが、幸いにして蝿の膜によって外からは見えないのが救いだったろう。
ものの数分。
蝿はいつの間にか一匹もいなくなっていた。
後に残されたのは巨大なヘビの骨だけである。
加えて、大きな宝珠がひとつ。
「閣下、よろしいですか?」
おじさんがカーテシーをキメる。
その姿に宰相が満足そうに頷いた。
「ご苦労様。リー、そちらの宝珠は持って帰るといい」
「御言葉に甘えてもよろしいですか?」
「もちろんだとも」
宝珠を引き寄せの魔法で転移させ、宝珠次元庫に仕舞うおじさんだ。
べつに報酬などなくても構わない。
だが、なんの報酬もないとなれば宰相の面子が立たないのだ。
だから、素直に受けとったおじさんである。
ついでに働いてくれた使い魔に念話で声をかけておく。
『ランニコール、ご苦労様でした』
『労われるようなことはしておりません。あの程度の些事はいつでもお申し付けくださいませ』
使い魔の気配が消えた。
おじさんは宰相にむかって、微笑をたたえてみせる。
「では閣下、わたくしは陛下に報告してまいります。ルルエラさん、またお会いできる機会を楽しみにしております」
「助かったよ、リー。陛下にはこちらから使いをだしておくので学園に戻りなさい。まだ試合は続いているのだろう?」
宰相の言葉に頷くおじさんだ。
ニコリと微笑みを残して、短距離転移で去っていく。
「……あれがヴェロニカ様の娘か」
「ヴェロニカの娘とは思えないくらい良い子だろう?」
長男の呟きに宰相が返す。
その答えに詰まる長男であった。
魔力を吸収し、再生するという厄介な魔物を相手に、だ。
なんら手こずることもなく倒してしまった。
本人は造作もないという顔で、だ。
意味がわからない。
わからないことは恐怖である。
禁呪だなんだという方がまだわかりやすい。
だが、なんなのだ。
あの蝿は。
まるで理解ができない。
「父上! お兄様!」
長男の思考はルルエラの声で中断することになった。
「よく帰ってきたね、ルルエラ」
宰相が和やかに娘に対して笑顔を見せた。
「そんなことはどうでもいいのです!」
長男は思った。
ルルエラの顔が興奮している。
こういうのはよくない兆候なのだ。
「私、リー様のもとに嫁ぎますから!」
「はあああああん!?」
ルルエラの落とした特大の爆弾に、宰相と長男は同時に声をあげるのであった。
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