第545話 おじさんの知らないところで幕は上がる


 ラケーリヌ公爵家のタウンハウスである。

 その一室で治療を受けていた学生が死んだ――。

 

 だが、その死体が起き上がった。

 不気味な声をあげながら。

 

「アンデッド……というわけでもなさそうですね」


 ラケーリヌ家専属の治癒師が言う。

 

「ボグヌッツァ! お前、お前……生きとったんかあ! よかった、これで責任をとらずにすむ!」


 引率してきた講師との温度差が激しい。

 

「バカなことを言っている場合ではないです。この場はあなたに任せてもいいですか? 私は応援を呼んできますから」


 げーげっげと声をあげて、起き上がった男子生徒。

 その目は虚ろであり、明らかに死んでいると言えるだろう。

 

「な!? 応援って、ボグヌッツァをどうにかするんですか!」


 引率の講師が駆けだそうとする治癒師を引き止める。


「いい加減、正気に戻りなさい。あの子は既に死んでいます。そして何者かに……あぶない!」


 男子生徒に背をむけていた引率の講師にむかって、男子生徒の身体を突き破ってヘビが襲いかかったのだ。

 

 講師を突き飛ばす治癒師。

 だが、治癒師がヘビに噛まれてしまった。

 

「いいですか、あなたが連絡をなさい! こちらの家令でも護衛の騎士でも誰でもいいですから!」


「え? え? ボグヌッツァ……。治癒師殿!」


 未だに正常な判断ができていない引率の講師だ。

 

「行け! あなたもまた貴族でしょう! さっさと動きなさい!」


 切迫した治癒師の声に背すじを伸ばす引率の講師であった。

 

「承知しました! 伝えてきます!」


 ダッと走りだす講師だ。

 その背中にむかって、ヘビが襲いかかる。

 

「やらせません!」


 治癒師が自らの身体を使って講師を守る。

 直接的な戦闘力は高くないが、治癒なら自信があるのだ。

 

 噛まれればすぐに自身に対して解毒のための魔法を発動する。

 他人に対して発動するよりも、自身にかける方が楽なのだ。

 

 ――持久戦。

 

 治癒師は敵を撃退する自信はない。

 だが、護衛の騎士がくるまでの間は耐えてみせる。

 

「ぐぅ……」


 自らの身体に噛みついたヘビに対して、過度の治癒魔法を発動する。

 治癒魔法も度合いを強めれば毒となるのだ。

 

 最後の切り札とも言える手段。

 ぼとり、とその場に落ちて動かなくなるヘビ。

 

 とりあえずこの方法でしばらくはしのげそうだと思う治癒師であった。

 

 一方で引率の講師である。

 彼は部屋をでて廊下を走っていた。

 

 ラケーリヌ家のタウンハウスは大きい。

 正門に対して、コの字の形の建物がある。

 

 引率の講師がいるのは、書き順でいう始点の場所だ。

 正門から見れば、左に見える建物の先端になる。

 

 ここは宿舎だと聞いていた。

 邸に起居する使用人や来客があったときに使われる。

 今回のように緊急時の応対に利用される建物だ。

 

 タウンハウスの機能は中央の建物にある。

 護衛の騎士たちや使用人たちも、この時間ならそこに集中して人を配しているはずだ。

 

 そう判断した引率の講師は走っていた。

 時折、後ろを振り返る。

 

 誰も追ってきていない。

 ということは、あの治癒師が足止めをしているのだ。

 

 そのことに少しの安堵を抱きつつ走る。

 走って、走って、本館まであと少しというところだ。

 

 そこで本来なら居ないはずのものが床を這っていた。

 ヘビである。

 

 大きさは五十センチほど。

 鎌首をもたげている。

 

 講師の頭には先ほどの光景が蘇っていた。

 ボグヌッツァの身体を突き破ってでてきたのだ。

 ヘビが。

 

 なら、このヘビが無関係だとは考えられない。

 

 走りながら講師は風弾をヘビに飛ばす。

 手持ちの武器はない。

 

 タウンハウスに入るときに預けたからだ。

 ならば魔法で吹き飛ばす。

 

 ヘビが、がぱあと口を開く。

 そのまま風弾を飲みこんでしまう。

 

 直後、ヘビの身体が大きくなった。

 一メートルほどになっている。

 

「……吸収したのか?」


 足をとめて様子を見る引率の講師だ。

 

「厄介な……」


 ちらりと状況を確認する。

 一本道の廊下だ。

 

 宿舎だけに各部屋につながるドアが複数見える。

 反対側には窓。

 

 素手での格闘にはあまり自信はない。

 目の前にいるヘビには魔法は通用しそうにないだろう。

 

 なら、どうする。

 

 一瞬だが、引率の講師は躊躇した。

 ここは二階だ。

 

 窓を突き破って外にでる。

 それが最善のような気がしたが、やはり寄親となる公爵家のタウンハウスだ。

 

 そこの窓を破る?

 いや、責任が……など考えてしまったのだ。

 

 その一瞬の躊躇を見抜いたかのようにヘビが近づいていた。

 講師が知るヘビの移動速度ではない。

 

 かなりの速度で近づいてきたのだ。

 一瞬の判断の遅れ、それがまた後手に回らざるを得ない状況を作り出していた。

 

 後ずさる講師だが、さらにヘビは近づいてくる。

 

 そこで引率の講師は覚悟を決めた。

 窓を突き破って逃げる。

 

 足を踏ん張って窓にむかって方向転換をした。

 そのまま全力で体当たりをする。

 

 ――ばいぃいぃいぃん。

 

 講師の身体は弾力のある感触に包まれ、弾かれた。

 そのまま廊下に転がってしまう。

 

「なんだ……と?」


 わけがわからない引率の講師であった。

 その瞬間にヘビが絡みつく。

 

「ぐわああ」


 巨大な万力で全身を締めつけられるような感覚。

 

「クソ……対校戦が終わったら結婚するだぞ!」


 もがく。

 あがく。

 

 だが、ヘビの身体はゆるむことがなかった。

 どころか、引率の講師の目の前で、がぱあと口を開いている。


「ちくしょう……」



 一方でラケーリヌ家のタウンハウス本館である。

 

「なにが起こっている!」


 タウンハウスに残っていた長男である。

 宰相の息子だ。

 

「若様! 現在、宿泊棟が何者かによって隔離されているようです」


 さすがに時期公爵家の当主だ。

 微塵も動揺したところを見せない。

 そのことに頼もしさを覚えるラケーリヌ家の家令だ。


「ふん! このラケーリヌにケンカを売ってきたバカがいるということだな! 宿泊棟には何人残っている?」


「現状、確認できたのは三名。先ほど運びこまれてきた学園の生徒と引率の講師、そしてうちの専属治癒師になります」


「賊の姿は確認できていないんだな? ならば宿泊棟にいる可能性が高いか」


 家令が頷く。


「騎士隊の突入準備は?」


「五分ほどで可能かと」


「急がせろ、準備ができしだいに突入しろ、こちらに許可をとる必要はない。父上には報せたのか?」


 長男の指示を聞いて、控えていた従僕の一人が走る。


「はい。既に使いの者を走らせております」


 家令の言葉に頷く長男だ。


「いいか、うちにケンカを売ったこと末代まで後悔させてやれ!」


 ハッとその場にいた長男以外の者たちが短く返答する。

 その声にはやる気がみなぎっていた。

 

「オレもでるか!」


 やる気に充ちているのは長男も一緒だ。

 その答えに家令はわずかに笑みを浮かべながら、首を横に振るのであった。

 

 が、その瞬間に邸の外から轟音が聞こえた。

 

 大気を震わせるような大きな音だ。

 すわ襲撃かと、長男も玄関から外にでる。

 

 そこにいたのは妹であった。

 

「あら? お兄様? ご機嫌うるわしゅう」


 深緑色の髪。

 ヘーゼルの瞳。

 

 一見すれば深窓の令嬢。

 羽根扇を持ち、優雅にその場に立っている。

 

「お前はなにをやっているんだ、ルルエラ」


「なにって……賊を潰そうとしただけですわ」


 幼児がやるように、こてんと首を傾げる。

 それが似合う美女であった。

 

 対する長男は思っていた。

 たぶん宿泊棟ごといこうとしたのだ、と。


「で、あの音か」


 頭を抱えたくなる。

 なぜこのタイミングでいるのだ。

 最悪のヤツが。

 

 そこで思いだす。

 自分が呼びつけたことを。

 対校戦の時期には王都にこいと言ったのだ。

 

「ですが……なかなか厄介な結界を張っているようですわね」


 涼しげな声をだすルルエラ。

 なにを考えているのかわからない微笑をうかべている。

 

 そのことに不安しか抱けないラケーリヌ家長男であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る