第525話 おじさん真なる妖精女王としての姿を見せる


 たった一日、されど一日。

 ケルシーは消耗していた。

 いや、消耗しすぎていたのである。

 

 夕食の席に姿を見せたケルシー。

 

 頬はげっそりと削げ、目はくぼんでいる。

 心なしか髪の毛もパサパサになっていた。

 なんだか肌には吹き出物ができている。

 

 もそもそと元気なく食事を食べる。

 その表情はいつもの豊かなものではなく、死んでいた。

 

 それほどまでにケルシーにとって呪いは大きかったのだ。

 喋れないということが、どういうことなのか。

 身をもって知ったケルシーであった。

 

 朝はまだ良かった。

 元気が残っていたのだ。

 

 だからケルシーはおじさんの心配をよそに、学園と登校した。

 おじさんは別件でやることがあったので、一緒には登校していない。

 

 だが、クロリンダにはしっかりと様子を見ておくように、と告げておいたのだ。

 無理そうなら家に戻していい、とも。

 

 もちろん学園でのケルシーは注目の的であった。

 おでこには緑色の痣があるのだから。

 それはもう学園に在籍する中二病患者たちを刺激したのである。

 

 結局、あれは覚醒したエルフの紋章だという意見が主流派を占めることになった。

 実際には話せなくなっただけなのだが……。

 

 知らないということは妄想を刺激するのである。

 ケルシーがエルフを超えたエルフになったのだ、と。

 

 一方で聖女を初めとする薔薇乙女十字団ローゼンクロイツは、ケルシーが静かなことに違和感を覚えていた。

 なにせ話せないのだから仕方ない。

 

 クロリンダが軽く説明をすると、さもありなんと納得されてしまう始末であった。

 それでも薔薇乙女十字団ローゼンクロイツは仲間を見捨てることはしないのだ。

 

 あれやこれやとケルシーとコミュニケーションを取ろうとした。

 が、ケルシーにとってはそれがストレスであったのだ。

 

 いつもならすぐに意思の疎通が図れる。

 だが、今はどれだけ口を開こうとしても動かない。

 

 それがケルシーの精神をガリガリと削っていった。

 いつものような元気がない。

 ないどころか、病人のような表情になっていく。

 

 そんなケルシーを見かねて聖女が動いた。

 

「ケルシー、ちょっとこれつけて」


 宝珠次元庫から聖女が取りだしたのはパペットだった。

 かんたんに言えば、手袋状のぬいぐるみである。

 

 聖女はおじさんに言って、作ってもらっていたのだ。

 今度の打ち上げでやる一発ネタのために。

 

 左手に牛さん、右手にカエルさん。

 よくわからないケルシーである。

 

「さぁケルシー。喋ってごらんなさい。牛さんとカエルさんになった気持ちで!」


 聖女はこう考えていた。

 口が開けないのなら、腹話術をすればいいじゃない、と。

 

「んんんんん! んんんんんん!」


 よくわからないケルシーはとにかく抗議した。

 だが、それも言葉にはならないが。

 

 聖女がヤレヤレといった表情でケルシーに言う。

 

「ちょっと貸してごらんなさい。こうやるのよ」


 と、ケルシーの右手にあったカエルさんを自分の手にはめる。

 内部で指を動かして、パペットの口をパクパクと動かす。

 

「やぁケルシー。いったいどうしちまったんだい?」


 側で見ていた薔薇乙女十字団ローゼンクロイツたちから、おおーと声があがった。

 意外と聖女は腹話術が上手かったのである。

 

「おっと自己紹介をしていなかったね。オレはカエルくん。そう、カエルの国の王様なんだぜ!」


 小器用にパペットの腕も動かす聖女だ。

 その見事な腹話術にケルシーは目を輝かせた。


「さぁキミの左手にいる牛くんが喋りたそうにしているぜ」


 いいタイミングで聖女がネタ振りをする。


「んんんんん! んんんんん!」


 もちろんケルシーに腹話術などできるわけはない。

 きぃいいいとなったケルシーは、牛くんを遠くに投げ捨てた。

 

「ああああ!! なんてことするのよ!」


 聖女が牛くんを追いかけていく。

 

 そんなこんながあってケルシーはたった一日で大きく消耗してしまったのであった。

 

 公爵家に帰ってきたケルシーは見る影もなかった。

 

 頬はげっそりと削げ、目はくぼんでいる。

 心なしか髪の毛もパサパサになっていた。

 なんだか肌には吹き出物ができている。


 その姿を見て、公爵家の使用人たちはうわぁと思った。

 呪いというのは怖いのものだ、と。

 

 夕食も終わり、深夜である。

 朝方は曇天模様であったが、今は少し雲が残っている程度だ。

 

 月は叢雲。

 少しだけ月明かりが漏れているような夜天であった。

 

 落ちこみまくなったケルシーは自室にいた。

 いつもならすんなり眠るケルシーである。

 だが、今日ばかりは寝付けなかったのだ。

 

 まんじりともしない夜が過ぎていく。

 寝台の上で横になって目を閉じていても、いっこうに眠くならないどころか、頭が冴えてしまうのだ。

 

 お腹すいたなぁとか、呪いがとけないかなぁとか。

 そんな他愛のないことを考えているだけなのに。

 

 ケルシーは寝台の上で身を起こした。

 トイレに行きたくなったのだ。

 

 ケルシーの部屋にもトイレは備えつけられている。

 お手洗いをすませて、サイドテーブルにある水差しから水を一杯。

 

 あくびがでた。

 眠れるかも、とケルシーが考えたときである。

 

 ケルシーの部屋にある窓から光が差しこんできた。

 薄いカーテン越しに差しこむ光、そこには影が映っていたのである。

 

 背中に蝶の羽を生やした影だ。

 

「んんん!」


 ケルシーは目を見開く。

 それはエルフに伝わる御伽噺。

 真なる妖精女王のことだと直感的に思ったのだ。

 

 窓を開けて、外を見る。

 

 ケルシーの部屋からは庭にある木が見えるのだ。

 その木の頂点にいた。

 

 ドレス姿に蝶の羽を生やした真なる妖精女王が。

 月を背にしているから顔は影になっていてわからない。

 

 だけど、それは御伽噺で聞いていたとおりの姿だった。

 

「んんん! んんんんんんんん!」


 ケルシーは叫んだ。

 心の限り。

 だが、それは言葉にならない。

 

『あなたが聖樹の怒りをかった者ですね?』


 優しい声だった。

 だが、優しいだけではなく威厳もある。

 頭の中に響く声に驚くケルシーだ。

 

『真なる妖精女王様っ!』


 念話である。

 心で思ったことが声になるのだ。

 

『あなたはなぜ呪いをかけられたのか理解していますか?』


『はい! 約束を破ったからです!』


 ケルシーが挙手をしながら念話で話す。


『反省していますか?』


『はい。とっても反省しています! もう話せないってのが辛くて辛くて。もう二度としません!』


『そうですか。では、その言葉を信じましょう。くれぐれも心に留めておくように』


『ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!』

 

『わたくしのことはくれぐれも内密に。真なる妖精女王ティターニアとの約束ですよ』


『はい! わかってます! 誰にも言いません!』


 ケルシーの言葉に、真なる妖精女王ティターニアは頷いたように見えた。


『では、呪いをといてあげましょう。明日の朝、目が覚めたときには話せるようになっています』


『いいいいやっっふううぅうう!』


 小躍りするケルシー。

 そんなケルシーを見て、真なる妖精女王は苦笑をうかべながら姿を消すのであった。

 

 翌朝のことである。


 朝、真っ先に姿見に走って呪いの紋章が消えているのかを確認したのだ。

 真なる妖精女王の言葉どおり、緑色の痣はなくなっていた。

 

 しゃべれることを確信して、ケルシーは叫んだ。

 

「やったどーーーー!」


「迷惑だから叫ばない!」


 朝からクロリンダに怒られつつも絶好調なケルシーだった。

 

 朝食の席でもニコニコとしている。

 そして、昨日一日話せなかった分を取り戻すかのように、ベラベラと愚にもつかないことを話していた。

 

「ケルシー、話せるようになってよかったですわね」


「うん! 呪いとけたんだもんね!」


「そう。ですが、どうして呪いがとけたんです?」


「それはね! ふふーん、聞いて聞いて。ねぇリーってば真なる妖精女王って知ってる?」


 ……ダメだ、こりゃ。

 

 おじさんと侍女、クロリンダは思わず目に手をあてて、天を仰いだのであった。

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