第524話 おじさん口の軽いエルフの少女を戒める
風の大精霊であるヴァーユとの話を終え、タウンハウスに戻ってくるおじさんである。
元妖精女王が逐電したのだということを両親に告げたのだが、あまりピンとこないようであった。
ただし元女王の件でおじさんが対応することはない。
そう告げると納得したようである。
その日の深夜。
怪しい人影が公爵家のタウンハウスをうろついていた。
その数は三つ。
「御子様、本当にやるのですか」
三つの影の中で最も長身な者が言う。
その影は長身でスレンダー。
笹穂型の耳をピクピクとさせていた。
「当たり前です。しかしこれは彼女の将来を思ってのこと。彼女はいずれ氏族、いえ聖樹国の中でも重要な座につくのでしょう? それがあのような口の軽い者ではいけません」
最も身長の低い影が答えた。
それでも百七十センチを超えているのだが。
「あなたはごちゃごちゃ言わずに、お嬢様に従っていればいいのです。お嬢様は常に正しいのですから」
中間の身長の影が
「まぁ……そうですね。確かにあのとき、うちのお嬢様は調子にのってました。あれでは戒めを受けても仕方ありません。では、打ち合わせどおりにいきましょう」
「勘違いをしてはいけませんわよ。これはあくまでも今後のことを考えてのこと。お願いしていたことをバラされたわけではありません。ええ、そうですとも。決してちがうのです!」
始原の女神やら、絶対神やら、ビッグバン神やら。
バモイドオキシンがでてこなかったからいいものの。
おいそれとは口にしてほしくないのだ。
「お嬢様、お静かに」
つい言葉に力がこもってしまった低身長の影である。
中間の身長の影が注意した。
そのことに首肯で応じる低身長の影だった。
「もちろんですよう。あ、それと約束のお酒ですが……」
「もちろん手配しております。事と次第によっては成功報酬を倍にしてもかまいません」
「ふふふ……うちのお嬢様に天誅を! 私が許しますわ」
長身の影は完全にお嬢様を売ることにしたようだ。
「……べつにあなたに許しを乞う必要はありません」
中間の身長の影がぼそりと呟く。
「そこは
「しっ……着きましたわ。ここからはより隠密行動で行きますわよ」
そこはケルシーの部屋である。
怪しい人影たちはコソコソとケルシーの部屋に入り、ちょっとした細工をしたのであった。
翌朝のことだ。
曇天模様の空。
どことなく湿度が高く、空気がじめっとしている。
朝と夜は肌寒くなる日が多い。
ケルシーは厚手の掛け布団にくるまって眠っている。
鼾はかいていないが、寝息が荒い。
「……お嬢様! お嬢様!」
クロリンダである。
ケルシーを起こしにきたのだ。
「ん! んん……んんんん……ん?」
ケルシーは怪訝な表情になった。
そうなのだ。
いつものように朝の挨拶をと思ったが、言葉にならない。
「んん! んんんんんんんんん!」
ちょっと! どういうことなのよ! と言いたいらしい。
だがクロリンダは表情を変えなかった。
その代わりに大きな息をひとつ吐く。
「お嬢様……鏡を見てくださいな」
「ん? んんん!」
勢いよく飛び起きて、寝台から下りるケルシーだ。
その足で姿見の前まで行く。
「んんー!! んんんんんっんんん!」
ケルシーは目を大きく見開いて表情を変えた。
だって額に緑色の痣がうかんでいたのだから。
その痣は聖樹をイメージしているようだ。
おでこが真っ赤になるくらいに袖口で擦るケルシーだ。
だが、とれるわけがない。
「んん! んんんんん!」
ケルシーがクロリンダを振り返る。
ニヤニヤとしていたクロリンダは、その瞬間に表情を引き締めた。
「こほん。お嬢様……その痣のことおわかりですよね」
「んんんんん!」
顔を真っ赤にしているケルシーだ。
たぶん知らないわっと叫んだのだろう。
だが、言葉にはなっていない。
「それは聖樹の呪いです。我ら聖樹を信仰するエルフなら常識ですよね?」
「んんん?」
ケルシーの表情を読んで、なんとなく対応できるクロリンダ。
さすがに付き合いの長い二人だけはある。
「そう、呪いです。調子にのったエルフを戒めるための呪いです。ですが……よかったですわね?」
「んんんんんん!」
よくないわよ、と言いたいケルシーだ。
「だって痣の色が緑ですわよ? それが黒ならお嬢様は死んでますけど?」
「ん!?」
と額を触るケルシーだ。
「呪いには何段階かありましてね。緑はいちばん軽いのです。だからよかったのですよ」
「んんんんんんんん?」
「それはもう心から反省すればどうにかなります。そのためには原因を知ることが大切ですわ。心当たりがありますか?」
「んんん!」
胸を張るケルシーだ。
どうやら心当たりはないらしい。
その姿にため息をつくクロリンダだ。
「そんなこと言ってると、呪いの色が進むかもしれませんわよ! あ、ほら青色に……」
クロリンダの言葉に顔色を変えて、姿見を確認するケルシーだ。
だが、呪いの色は緑のままだった。
「んんんっんんんんんんんん!」
その焦りように笑い声をあげるクロリンダだ。
玩具にしているようである。
「昨日、御子様との約束をお破りになったでしょう? きっとそれが原因ですわよ」
「んん!」
実際に身に覚えのあることなのだ。
驚きつつも肩をがっくりと落とすケルシーであった。
「もうそのことはいいので、着替えてくださいな。朝食の時間に遅れてしまいますわよ」
「んんんんん!」
すっかり忘れていたのだろう。
ケルシーは慌てて着替えるのであった。
「ケルシー、その額の痣はどうしたのです?」
食堂に顔を見せて挨拶をする。
それが終わるなり、おじさんに問われるケルシーだ。
「んんんんんんんんっん!」
聖樹の呪いなんだってと言うも、まったく伝わらない。
「聖樹の呪いですわ、御子様」
と、クロリンダがおじさんに説明する。
「なるほど……ケルシー……」
残念な子を見るような生暖かい目で見るおじさんだ。
「口が閉じてしまうようですけど食事はとれますの?」
ケルシーではなく、クロリンダに確認をとる。
エルフの侍女は首肯で応えた。
「んっん!」
席に座り、テーブルにならんだ朝食を見るケルシーだ。
既におじさんの両親はニヤニヤとしつつ、エルフの少女を見ていた。
「んんんんんーん!」
口にパンを運ぼうとするケルシーだ。
しかし、口は閉じたままであった。
唇にパンが押しつけられる。
どうやら口が開くようになるまで、少しラグがあるようだ。
「んんんっんんんんんん!」
短謀浅慮のケルシーが怒鳴る。
だが、それではいつまで経っても口が開かない。
ケルシーは腹ぺこなのだ。
ぎゅるぎゅると腹の虫が鳴く。
「お嬢様、少しの間しゃべらなければ大丈夫ですよ」
見かねたクロリンダがアドバイスをする。
が、それに対しても返事をしてしまうケルシーだ。
「ん……」
エルフの少女はしょんぼりしてしまう。
いつもなら妹が慰めてくれるだろう。
だが、朝食の席に弟妹たちはいないのだ。
少しの間、沈黙が続く。
そこでようやく口が開いた。
パンを一口。
もぐもぐと咀嚼するケルシーだ。
「んんんん!」
きっと、美味しいと言ったのだろう。
その瞬間に口が閉じる。
そして舌を盛大に噛んでしまった。
口を押さえ、のたうちまわる。
痛さで涙目になってしまうケルシーだ。
壁際に控えていた侍女は思った。
これはあの口の軽い少女にとって、相当な薬になるにちがいない、と。
ただ、同情はしない。
おじさんを怒らせたのだから。
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