第502話 おじさん不在のイトパルサで酔いどれる者たち


 イトパルサ郊外にある一軒家である。

 そろそろ陽も落ちようかという時刻だ。

 

 粗末な木製のテーブルの上に四つの杯がならぶ。

 一滴たりともムダにはしない、という意気ごみだろうか。

 手をプルプルと震わせたマアッシュが、小ぶりの酒樽から慎重に酒を移す。

 

 つん、と鼻をつく刺激臭。

 メントール系の臭いだ。

 飲む湿布というあだ名は伊達ではない。

 

 その臭いをかいでしまい、むせるマディであった。

 

「ちょ……本当にこれが幻のお酒なの?」


「ルビアの涙……正真正銘の本物でさぁ」


 平然としているガイーアたち。

 その表情を見てマディは違和感を覚えた。


 ちなみにルビアの涙の商品名はおじさんがつけた。

 正確にはつけさせられたのである。

 

 おじさんは商品名は適当につけてくれと言ったのだ。

 だが、イトパルサの商人たちはねばりにねばった。

 是非ともおじさんにつけてほしい、と。

 

 結果、おじさんは頭を悩ませてルビアの涙とした。

 ルートビア風のお酒ということで縮めただけである。

 

 ただルビアだけでは寂しいと侍女は思った。

 頭を捻った侍女の提案によって、ルビアの涙に決定したのだ。

 

「あんたたち、この臭いが気にならないの?」


 マディの言葉に顔を見合わせる暗黒三兄弟ジョガーの面々である。

 そして軽く笑った。


「臭い? そこまで気にするほどですかい?」


「えー! 気になるじゃない?」


 懐をガサゴソとするガイーアだ。

 煙草がないことに気づいて、小さく舌打ちをした。


「まぁあっしらぁはこの手の臭いには慣れてやすからね」


 気分を変えるように喋るガイーアだ。

 

「ほおん。まぁいただいてみましょうか」


 マディの言葉を合図に四人が杯を手にとった。

 

「姐御、音頭をおねげえします!」


「じゃあ! 今日も一日おつかれさまってことで! かんぱーい!」


「かんぱーい!」


 ぶほうっと吹きだしたのはマディだ。

 それ以外の三人は平然としている――どころか顔をとろけさせていた。

 

「うめえ! なんだこの酒!」


 ガイーアの言葉に三人が頷いている。

 早くも三人の杯は空だ。

 一気に飲み干したのだろう。

 

「けほっけほ……」


「どうやら姐御には合わないってことらしいんで、残りはあっしらでいただきやす!」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! さっきはビックリしただけなんだから!」


 と、マディは手に持った杯を見た。

 まだかなりの量が残っている。


 迷う。

 だって一口目で衝撃を受けたのだから。

 残りを飲み干せるだろうか。

 

 いや、そんなことを言っている場合じゃない。

 それなりにお高いのだ。

 いつものエールよりもさらに小型の樽である。

 

 こんなもの四人で飲めば一瞬でなくなるだろう。

 ならば一杯をムダにすることはできない。

 

 既に吹きだした分があるが、それは棚上げである。

 

 腹を括ったマディは鼻をつまんだ。

 そして、杯に口をつけて一気に飲み干す。

 

「ぷはぁ……ほらね……飲めるでしょ」


 若干だが鼻声になっている。

 そのことにおかしさを感じる暗黒三兄弟ジョガーたち。

 アルコールも手伝って、クスクスと笑いを漏らす。

 

「なに笑ってンのよ! ほら、私にももういっぱい!」


 杯を突きだすマディだ。

 それに苦笑しながらマアッシュが注いでやる。

 

「あれ? あれ?」


 二杯目を口にしたマディが途惑っている。

 一杯目よりも美味しく感じたからだ。

 

「なにこれ? 甘い? 意外と口当たりもいいし、飲みやすいわね!」


「だああ! 姐御、それはズルいですぜ!」

 

 三杯目に突入しようとしたマディをガイーアがとめた。

 

「なによ! けちくさいわね!」


「いや、けちくさいもなにも、その小型の一樽しかねえんですからね! ああ! もうほとんど残ってねえ!」


 ぷはぁとさらに杯を空けるマディだ。


「そうね、こうなったら残った分は争奪戦よ!」


「クジでも作るんですかい?」


 ガイーアがいかにも面倒だという表情になる。

 そんなガイーアに対して、マディがチッチッチと指を立てた。

 

「ここは商業組合伝統の決め方を提案するわ!」


 マディが説明をする。

 両の手の平を向かい合わせにして、親指以外を握りこむ。

 この状態でかけ声をかけて、一斉に親指を立てる。

 その本数を親が宣言して、当てるというものだ。

 

「ほう……ってことはあっしら三人だと、いちばん大きな数字は六になりやすね」


「そうそう。それで数が宣言したのと同じだったら片手を引くの。で、両手分あてた人が勝ちってわけ!」


「なるほど。こりゃちょっと面白そうですぜ!」


「商業組合の古い伝統だそうよ」


 なぜかマディが胸を張った。


「……姐御、ちょっといいですかい?」


「なに?」


 こそこそと耳打ちをするマアッシュ。

 それに後ろで控えているオールテガも頷いている。

 

「いやね、この二人が自分たちは参加できないって言ってやす」


「なんでよ!」


「……そりゃあ」


 ポリポリと頬をかくガイーアだ。

 後ろの二人はモジモジしている。

 

「声をだすのが恥ずかしいんですってよ!」


 笑った。

 マディは心の底から笑ったのだ。

 

「あんたたちねぇ……」


 目尻にうかぶ涙を拭きながら、マディは言う。

 

「仕方ないわね。じゃあここはクジでいくわよ!」


 仕方なくクジを用意するマディであった。

 

 幻の酒であるルビアの涙を堪能した四人。

 中途半端にできあがった状態では終われない。

 その夜は場末の飲み屋にくりだすのであった。

 

 マディのお財布で。

 

 翌朝のことである。

 昼まであと少しといった時間だ。

 

 マディはふらふらとしながらイトパルサの目抜き通りを歩いていた。

 

 完全に昨日の酒が残っている。

 二日酔いだ。

 

 それでも魔法薬師の組合に顔をだそうとしていた。

 昨日、思いついた金策を実現するために。


 魔法薬師の組合には顔が利くマディだ。

 受付で二言、三言話して担当者を紹介してもらう。

 

 マディよりも少し年上の女性だ。

 その女性はマディの状態を見て、顔をしかめた。

 

「で、なんの用かしら? 組合長さん」


 私、不快ですといった表情を隠さない担当者だ。

 

「はぁ……下級の魔法薬でいいから一括仕入れができないかと相談しにきたのよ」


 一方のマディも体調の悪さを隠せない。

 ズキズキと痛む頭を押さえながら話す。

 

「……一括で仕入れることで単価を下げようって話かしら?」


「そうしたら駆け出しの冒険者たちにも手がだしやすくなるでしょう?」


「……無理ね。そんなことをしたら他の小売店が困ってしまうじゃない?」


「まぁそれはそうなんだけど……」


 なんとか食い下がろうとするが、いい手が思い浮かばない。

 ズキンと痛む頭のせいだろうか。

 

「とりあえず出直してきないさな」


 担当者はマディの顔色を見て言う。

 

「……そうね、そうするわ」


 スゴスゴと引き下がるマディだ。


「あのね……」


 その姿を見て、担当者は小言を言いかける。

 だが、敢えて言わないことにした。

 マディについては各組合の上層部にはお達しがでているのだ。

 

 再起の機会があれば、くれてやってほしい、と。

 わざわざ商業組合の幹部がきて頭を下げたのである。

 

 そのことを告げようとして辞めたのだ。

 結局は自分で気づき、立ち直るしかないのだから。

 

 厳しいのかもしれない。

 だが組合には多くの人が参加している。

 その生活を背負うことになるのだ。

 

 だから甘やかすことはできない。

 

 そんな担当者の思いを知らず、マディは席を立ち、魔法薬師組合を出て行ったのであった。

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