第478話 おじさんピーピングトムになる
「ふぅ……」
陰鬼の特殊能力で作られた空間の中で男性講師は息を吐く。
真っ暗な空間の中だが、なぜか地面がある。
いや正確には地に足がつくとでも言えばいいだろうか。
ふわふわとしたものではなく、しっかりとした感触がある。
それをいつも不思議に思う男性講師だ。
この空間の中からも外の世界を見聞きすることができる。
今は噴水しか見えない。
「つくづく驚かされるなー。しっかしあの魔法はなんなんだー」
ぽつりと男性講師が漏らしたメーガンはこくりと頷いた。
『まぁ! そんなことを思っていましたの?』
「うわぁお!!」
いきなり背後から声をかけられたのだ。
驚かずにはいられない男性講師である。
と、同時にメーガンの方を見た。
メーガンも声を出しそうになったのだろう。
自分の手で口を塞いでいる。
そして見開かれた目の大きさは特大だった。
ちょっと涙目にもなっている。
『ダメよ、リーちゃん。もうちょっと泳がせた方が面白かったのに』
クスクスと笑う母親だ。
つられておじさんもクスクスと笑う。
「あーちょっといいかな?」
『なんですの?』
「どうやってこの空間に?」
勝手に入ってこられる空間ではないのだ。
というか、こんなことは初めてである。
陰鬼の特殊空間は原則として契約者のみが入れる。
加えて能力発動時に契約者が触れている第三者も、だ。
それ以外には入ることができない。
かなり使い勝手のいい能力だと言える。
ただし能力の発動中に契約者は声を出せなくなるのだ。
声を出した場合は、即座に能力が解除されてしまう。
『ん? 魔力を追っただけですわよ。ね、お母様』
『そうね。特に難しいことでもないわよね』
うんうんと頷きあう母と娘だ。
男性講師は今さらだが思った。
この母と娘の前では常識が通用しない、と。
『声が近づいてきましたわよ!』
おじさんの指摘に
そもそもこの空間にいれば、相手に知覚されることはない。
だから緊張する必要などないのに、である。
「ねぇ……本当にやるの?」
「やるしか……ないでしょう」
「もうここまできたんだから、今さらそういうこと言わないでよ」
女子生徒の声であった。
数は三つ。
噴水前に姿を見せたのは、三人の女子生徒だ。
「あれはー……確かー」
メーガンが男性講師に目をむけた。
口を開けないが、知っているのと問いかけているようだ。
「魔法戦術研究会所属の三人だー。
『ほう! あの三人がっ!』
おじさんの声に若干だが棘が混ざる。
ちょっと思いだしたのだ。
「ちょっと落ちついてー」
『おほほほ。いやですわ、バーマン先生。わたくし、とっても落ちついてましてよ』
「いや、なんかー口調が怖いんだけどー」
『ほおん。復讐の手伝いをしてもらうって話なのよね。ってことはウチにケンカを売りたいのかしら』
ビキビキっといった感じで額がピクピクする母親だ。
『おほほほ。お母様、ぶち転がしますか?』
『そうね、家ごといきましょう!』
おじさんと母親。
この二人がいれば、本当に邸宅をぶち転がせそうである。
リアルにイメージできた男性講師が身体を震わせた。
「ちょっと、待ったー! ぜんぜん落ちついてない!」
男性講師が慌てる。
メーガンは白目をむきそうな勢いだ。
「で、ここにきてどうするのよ?」
「さぁ? わかんないわよ」
「っていうか、ここであってるの?」
噴水の前で三人の女子生徒が喋っている。
どこかのんびりとした口調だ。
その様子から切羽詰まったものではなく、遊び半分なのかとも思う。
が、それどころではない男性講師であった。
「いや、待って。本当に待ってくださいー!」
隣でコクコクと頷くメーガンだ。
「そう! 泳がせた方が面白いって言ってましたよねー」
男性講師が思いついたとばかりに声をかける。
『……うふふ。確かにもう少し泳がせた方がいいかしら?』
底冷えするような凄惨な笑みを浮かべる母親である。
飛び抜けた美人の感情が抜け落ちた笑顔。
それはある意味でホラーよりもホラーだった。
「ねぇ……なんかちょっと風がぬるくない?」
「え? そう言われると……」
「あ! あれ!」
女子生徒が指をさす。
その方向は旧学舎の屋上であった。
屋上には人影が見える。
だが、月明かりを背負っているせいで正体はわからない。
『む。あれは……』
『んーちょっと風向きが変わってきたかしら?』
母親の言葉が終わらぬうちに、謎の人物が声をあげた。
「ふはははは! 心に闇を抱く迷い子の羊ちゃんたちよ!」
その声は成人男性のものである。
おじさんの印象としては若いと思った。
「ここは心の懊悩を解き放てる秘密の場所! さぁ羊ちゃんたちの悩みを聞かせてくれないか!」
随分と芝居がかった台詞に、三人の女子生徒は呆れ気味だ。
「ねぇ……帰った方がいいんじゃない?」
「そうね、私もそう思う」
「羊ちゃんたちって……気持ち悪いわね」
どうやらすこぶる不評だったようである。
三人は頷き合うと、何も言わずに噴水に背を向けた。
「ちょっと待ちたまえ、羊ちゃんたち! どこへ行こうというのだね!」
女子生徒の一人から声があがった。
「あの、すみません。もう帰ります!」
「ぬわぜだぁ!」
「間違ったみたいなんで……失礼します!」
小走りになって駆けていく三人の女子生徒だ。
「ま、待て! そんなに急ぐと危ないぞ!」
その一言にクスと笑ってしまうおじさんだ。
いい奴なのか、悪い奴なのかわからない。
「ちくしょう! 今回も失敗だ!」
嘆く不審者だ。
旧学舎の上で地団駄を踏んでいる。
『バーマン先生、どうしますの?』
「え? あ? うーん」
おじさんの問いにどうすべきかと考える男性講師だ。
『とりあえず捕縛しますか?』
「そうだな-。絶対に悪戯だと思ってたんが……」
『リーちゃん、面白そうだから行くわよ!』
どうやら母親はウズウズしているようだ。
今にも一人で行ってしまいそうである。
『承知しました。こっそり背後に回ってみましょう!』
もちろん、おじさんも乗り気になっていた。
『では、バーマン先生はこちらで待機ということで』
その言葉の数瞬後のことである。
「ぎゃあああああ! おばけええええ!」
不審者の声が旧学舎の夜空に響くのであった。
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