第473話 おじさんが作ったカレーは恐ろしいものなのか


 その異変に最初に気付いたのは聖女だった。

 ヒクヒクと聖女の鼻が動く。

 

 暴力的な香りに聖女の目がパチリと開いた。

 がばっと上半身を起こして、聖女が目をこする。

 さらにその小鼻が動く。

 

「か、かかか、カレー様の匂い!」


 思わず、聖女は叫んでしまっていた。

 ジャラナフラに取り憑かれた影響で疲労したのか。

 あれからずっと眠っていた聖女が目覚めたのだ。

 

 カレーの匂いで。

 

 なんとも言えない食欲を刺激する香り。

 その芳香は聖女以外にも影響を及ぼしていた。

 

 蛮族二号ことケルシーもまた鼻をヒクヒクさせる。

 

「はわわわわ! なにこの芳しい香りは!」


「御子様です! きっと御子様がまた天上の美味をお作りになっているのですわ!」


 クロリンダが拳を突き上げて叫んだ。

 

「そうね、そうにちがいないわ! 行くわよ、クロリンダ! いざ食堂へ!」


 おおうと鬨の声をあげて、ずんずんと進む二人であった。

 

 カレーの匂いが邸の中に広がる。

 その香りによって、そわそわとする者たちもいた。

 弟と妹である。

 

 今、二人は家庭教師によるお勉強の最中なのだ。

 でも、なんだか落ち着かない。

 そろそろお勉強の時間は終わる頃だ。

 

 だが、いつになくお腹が空くのである。

 ぎゅるると腹の虫が鳴く。

 

 腹の虫が鳴ったのは家庭教師の方だ。

 思わず、苦笑いをしてしまう。

 それに釣られて、弟妹たちもまた笑うのであった。

 

「この香りはスゴいですね。メルテジオ様、ソニア様、今日はもう終わりといたしましょう」


 こうして弟妹もまた食堂に向かうことになる。

 

 アミラは公爵家の庭でおじさんの精霊獣と遊んでいた。

 新しく作ったダンジョンの作業も一段落。

 今はスプリガンが運用できるかのお試し期間でもあった。

 

 なので緊急の事態以外は暇なのだ。

 

「む! この匂いはなんなのだ!」


 へそ天をしているクリソベリルである。

 ケット・シーという猫型の精霊獣。

 

「わおおおおん」


 オブシディアンが遠吠えをした。

 もちろん匂いに釣られたからである。

 こちらはクー・シーという犬型の精霊獣だ。

 

「これはきっと姉さまの仕業!」


 アミラもまた食堂へと駆けだして行くのであった。

 

「……ほわぁ」


 祖父があくびをする。

 それに反応したのか、父親もまた目を覚ました。

 

 ぬるめのお湯につかっているのが心地いい。

 ぼんやりとした意識。

 弛緩した身体。

 

 そこへふわりと漂う刺激的な香り。

 腹の虫が騒ぐ二人であった。

 

「スランよ……」


「ええ……きっとリーちゃんの仕業です」


 祖父の腹が大きな音を立てた。


「……行くか」


 まだ少し気だるい。

 その感情よりも身体を突き動かすのは食欲という名の本能であった。

 

 祖父と父親が連れ立って露天風呂を出ようとしたときである。

 祖母と母親の二人もまた目を覚ましていたようだ。

 

 お互いに言葉を交わすまでもなかった。

 ただ視線を合わせ、軽く頷く。

 

 四人の意思は統一されていたのである。

 

 厨房にいるおじさんは試行錯誤を続けていた。

 基本となる三種類の香辛料はある。

 が、それだけでは足りない。

 

 いや、足りないのではなく味気ないのだ。

 スパイスは調合すればするほどまろやかになる。

 逆に数が少なければ、素材が目立ってしまう。

 

 香味野菜を使ってルーの具材にはした。

 ほぼドロドロになっているタイプだ。

 とろみはあまりつけていない。

 

 口にルーを入れるとじゃりとした具材の食感が残る。

 ただ、今のままでは味が物足りない。

 もう少し重層的な味にしたいのだ。

 

 そこでピコンと閃くおじさんであった。

 この世界では食材として使われていなくても、薬草など別の用途で使われているものが多くあるのだ。

 

 その中にカレーにあうハーブやスパイスがあるかもしれない。

 

 宝珠次元庫から仕入れた物を取りだす。

 ひとつひとつを吟味していくおじさんだ。

 

 おじさんの予想はあたっていた。

 とにかく仕入れられる物を仕入れてきたのが功を奏したのである。

 

 いくつかのハーブを見つけて、さらにルーに改良を加えていくおじさんだ。

 そして納得のいくものに仕上げることができた。

 

 しっかりととったブイヨンがベースになっている。

 そこに織りなすハーブや香辛料。

 辛みと鮮烈な香りが厨房を満たしていく。

 

「うん。いいですわね」


 おじさんにしては珍しく時間をかけた料理だ。

 いつもなら錬成魔法で一発というところである。

 だが、今回ばかりはハーブの選定などに時間がかかってしまったのだから仕方ないだろう。

 

 カレーのルーができあがる前。

 厨房にいる料理人たちの手は完全にとまっていた。

 

 おじさんの作る料理は物珍しいものが多い。

 そうした料理の中でも、ここまで蠱惑的な香りを放つものは今までなかったのだ。

 

 強烈に食欲に訴えかけるような匂い。

 

「料理長! ご飯とカツの準備はできていますか?」


 おじさんが声をかけるも反応がない。

 ちらりと見ると、カレーのルーに目が釘付けである。

 

 それは料理長だけではない。

 他の料理人や見習いたち、果ては侍女まで。

 全員がおじさんの料理を見ていたのだ。

 

「料理長!」


 おじさんは少しだけ大きな声をだした。

 

「は、はい! お嬢様! 失礼いたしました!」


「カツとサフランライスの準備はできていますか?」


 おじさん、実はサフランに似た材料も見つけていたのだ。

 これは完全に薬草として用いられていたものである。

 きちんと事前にトリスメギストスに安全性も確認した上で、使っているのだから用意周到だ。

 

「はい。サフランライスは炊きあがっております。オーク肉を使ったカツもあとは揚げるだけです!」


「よろしい。では、揚げてくださいな!」


「はい!」


 厨房全体から声があがった。

 

「リーいいいいいいいいいい!」


 その瞬間である。

 聖女の声が厨房に響いた。

 

「もう待てない!」


 聖女が懇願するように訴える。


「エーリカ、身体に問題はありませんか?」


「大丈夫。だけど大丈夫じゃない! カレー様、カレー様が呼んでいるの! 早く食べろと叫んでいるの!」


 そんなわけはない。

 

「リーいいいいいいいいいい!」


 ケルシーである。

 奇しくも蛮族一号と二号が揃ったのだ。

 

「たーべーたい! たーべーたい!」


 肩を組んで合唱する一号と二号である。

 

「もう少しだけお待ちくださいな。今日はカツカレーですわ!」


「カツ!」


「カレー!」


 いえーいとハイタッチをする蛮族一号と二号だ。

 とはいえ、二号の方はよくわかっていなさそうである。

 

「大人しくしていないと食べさせませんわよ」


「はい! 食堂に戻ります!」


 二人は肩を組んだまま食堂へと引きあげて行く。

 

 二人の背中を見ながら、おじさんは思った。

 寸胴鍋ひとつで足りるだろうか、と。

 

 料理人たちの様子を見ていれば、使用人たちも同様だろう。

 ならば、この量では足りなさそうだ。

 

 そこで、おじさんは指示をだす。

 幸いにしてまだ材料はあるのだから。

 

 作るだけ作っておいてもいいだろう。

 残ったとしても翌日に食べれば、さらに味がなじむ。

 

「料理長! 追加でカレーを作りますわよ!」


 おじさんの指示の元、料理人たちが動いた。

 その動きは実に機敏である。

 

 これだけの匂いをさせておいて食べられないとなれば、十中八九問題が起こるだろうと踏んだからだ。

 

 大事な仕込みの部分を終わらせ、後は煮込むだけの作業にまでしてしまうおじさんである。

 

「では、後はお任せします。料理長は味を確認しておいてくださいな!」


 と、残しておじさんも食堂へ足を向けた。

 

「うーまーいーぞー!」


 料理長の声が邸の中に響く。

 

 おじさんが食堂のドアを開けると、飢えた獣のような目がいくつもあった。

 

「リーちゃん! もうできるのね!」


 母親に対して、ビッと親指を立てるおじさんだ。

 

「本日の昼食は会心のできですわよ!」


 おじさんの言葉に、ごくりと唾を飲む面々であった。


 ちなみにだ。

 この日もしっかりとおじさんはデザートを用意していた。

 シュリカンドだ。

 

 水切りしたヨーグルトに木の実や干した果実、砂糖などを混ぜ合わせたものである。

 大人組の物にはリキュールが香りづけに使われていた。

 

 水切りしたヨーグルトは濃厚な生クリームを思わせる。

 そこに食感の変化を生む木の実や干した果実が楽しい。

 彩りに添えられたハーブもまた香りがよかった。

 

 口の中がさっぱりするだけではなく、しっかりとした味わいも楽しめるのが特徴だろう。


 この日、公爵家から音が消えた。

 

 皆が話すこともなく、黙々と食べたからだ。

 そして動けなくなり、おじさん特製の胃薬を飲んでぐったりするところまでがセットである。

 

 おじさんのカレーは破壊力が強すぎたようだ。

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