第472話 おじさんカツカレーを作ることになる


 空が黒から群青色を経て、青色へと変わる。

 鮮やかなグラデーションのむこうから太陽が昇った。

 

 そんな景色を眺めつつ、おじさんたちは朝風呂へと洒落こんでいた。

 祖父母に両親、そしておじさんの面子である。


 今回も裏庭にある施設の露天風呂だ。

 

「はわぁああ。この時間にお風呂に入るのもいいわね。お空がとってもきれいだわぁ」


 母親の言葉に頷くおじさんであった。

 

 祖父と父親の二人は寝湯に直行している。

 石で作られた枕の上にタオルを敷き、目の上にもタオルをのせて思いきり寝る態勢だ。

 

 いわゆる半身浴のような形になっているし、枕になっている部分からは常時お湯が流れている。

 だから風邪を引くことはないだろう。

 

 既に二人は鼾をかいていた。

 

「まったくだらしないねぇ。この風情を楽しもうって気がないのかい」


 文句を言いながらも、祖母の口調は優しいものである。


「ふふ……楽しんでいただけたようでよかったですわ!」


 おじさんがポツリと漏らした。

 そう、おじさんにとっては前世からの夢だったのだ。

 仲の良い面子でTRPGをするのは。

 

 そうした夢想しながら、ルールブックを読みこんでいた。

 若かりし頃は、オリジナルのシナリオも手がけたものである。

 日の目を見ることはなかったが……。

 

 『魔窟のゴブリン王』と『商都を防衛せよ』の二つは、おじさんのオリジナルシナリオが下敷きだ。

 そうした意味でも、楽しんでもらえたことが心の底から嬉しいのである。

 

 とはいえ、だ。

 おじさんだって眠い。

 

 前世では二徹、三徹どんとこいだった。

 だが、こちらでは規則正しい生活を送っているのだ。

 その経験が裏目にでた。

 

 ちょいと無理をしただけで眠気がくる。

 しかも今はお風呂だ。

 どうしたって身も心も緩んでしまう。

 

 今、おじさんたちは壺湯に並んで入っている。

 左から祖母、母親、おじさんの順だ。

 

 文句をつけていた祖母だが、やはり眠気がきたのだろう。

 母親も同様である。

 

 おじさんもちょっとはしたない格好をした。

 壺の縁に膝をかけ、両肘もかける。

 そして首のところにタオルをかけて縁におく。

 

 そう。

 お腹がお湯につかるような体勢である。

 この体勢、なぜかリラックスできるのだ。

 

「ふわぁ……」


 半分とろけたような表情になるおじさんである。

 そんな表情でも超絶美少女なのが恐ろしい。

 

「お嬢様……今朝の朝食はなにか食べたいものがありますか?」


 まだそんな時間なのである。

 侍女の問いにおじさんは、とろりとした目をむけた。

 

「かぁつかれえが食べたいですわあ」


 緩んだ頭なので、つい本音が漏れてしまうおじさんだ。


「かぁつかれえですか? 聞いたことがないお料理なのですが……」

 

「うふふ……かぁつかれえはですねぇ……すぱいすとぉ……すぅ……」


 話ながら、うたた寝をしてしまう。

 そんなおじさんを見て、侍女もまたあくびをするのであった。


「はう! 寝ていましたか!」


 おじさんはものの三十分ほどで目を覚ました。

 そして、とてもはしたない格好をしていたことに気付く。

 が、隣を見ると祖母と母親も同じ体勢をとって寝ているではないか。

 

 なんだかおかしくなってしまう、おじさんであった。

 見れば、近くの四阿あずまやで侍女もコクリコクリと船を漕いでいる。

 

「……もう少しゆっくりしますか」


 だが短いながらも仮眠をとったおじさんの頭は冴えていた。

 しばらく目を閉じていれば眠気がくるかもしれない。

 

 が、音を立てないようにして壺湯からでる。

 

 どうにもお腹が空いたのだ。

 昨日の夜は夢中になっていて夜食も食べなかった。

 飲み物だけで一晩を過ごしたのである。

 

 それはお腹も減る。

 ただ、おじさんはカツカレーが食べたいと言ったことは覚えていない。

 

 今日はあっさりというよりもガツンと食べたい気分だ。

 そこでカツサンドを作ってもらおうと考えるおじさんである。

 

 ちちち、と小鳥が囀る。

 空を見ると、すっかり明るくなっていた。

 

 おじさんは浴場を後にして食堂へと足を向ける。


「もう少し寝かせておいてあげてくださいな」

 

 と、脱衣所に控えていた侍女に言付けておくのを忘れない。

 

「ねーさま!」


 食堂につくと、妹がひっついてきた。

 

「とーさまとかーさまは?」


「ちょっとまだお疲れのようですわね」


「あのね、ねーさま!」


 妹が上目遣いでおじさんを見た。

 

「きのうのごほん、とってもおもしろいの!」


 満面の笑みを見せる妹である。

 そんな妹の頭をなでながら、おじさんはいつもの席に座った。

 

 妹はおじさんの膝の上だ。

 今日も一切の手抜きがない朝食がならんでいる。

 

 アミラと弟はおじさんに挨拶をしたあとで、モリモリと食べていた。

 

「アミラ、この果物も食べなよ」


 グレープフルーツのような酸っぱい果実のことだ。

 公爵家ではサラダに入っていたりする。


「ん! それは要らない!」


 頑なに拒否するアミラだ。

 顔の前でバッテンまで作っている。

 

「あはははは」


 妹が笑い声をあげた。

 楽しいのだろう。

 

 おじさんは食堂に控えていた侍女を呼ぶ。

 

「料理長にカツサンドを作ってもらってくださいな」


 畏まりました、と侍女が食堂を去って行く。

 おじさんの目の前には淹れたての香茶が湯気を立てている。

 

 カップをもって軽く含むおじさんだ。

 

「ねーさま、そにあもたべる!」


「ええ、一緒に食べましょう」


「姉さま!」


 アミラと弟の声が揃った。

 

「では、お願いしますわね」


 別の侍女が追加を厨房に伝えに行く。

 暫くすると、料理長が自ら皿を運んできた。

 

 それを見て驚くおじさんだ。

 

「お嬢様! お待たせしました!」


「ありがとう。今日はこれが食べたかったのですわ。無理を言いましたか?」


「いいえ。それよりもお嬢様……」


 料理長がおじさんを見た。

 

「かぁつかれえとはどのような料理なのでしょう?」


 おじさんはすっかり忘れているが、侍女に言ってしまった。

 侍女は料理長ならわかるかと伝えていたのである。

 

「かぁつかれえ? ……ああ、カツカレーのことですか」


「カツカレー。できれば御教授いただきたいのですが!」


「そうですわね。今の時点でどこまでできるか……ちょっと挑戦してみましょうか。まずはこちらをいただいてから厨房に顔をだしますわね」


「お手数をおかけして申し訳ありません。よろしくお願いいたします」


 丁寧に頭を下げる料理長であった。

 

「ねーさま。たべよ!」


 こうしておじさんは弟妹たちと楽しい朝食をとる。

 食後はサロンにて、少しまったりしたおじさんだ。

 

 その後、厨房に足を運ぶ。

 

 カレー。

 それはスパイスが織りなす芸術品である。

 おじさんは前世にて、少しずつ香辛料を買い集めていた。

 

 男のやもめ暮らしは、往々にして趣味に走るものだ。

 おじさんは決して裕福であったわけではない。

 だから、できる範囲で料理に凝ろうとしていたのだ。

 

 自らスパイスを調合してカレーを作る。

 それはおじさんの夢のひとつでもあった。

 

「ふむ……」


 と、おじさんは手持ちの食材を頭にならべる。

 最低限必要なのは、クミンとコリアンダーとターメリック。


 クミンはカレーの香りに欠かせないものだ。

 コリアンダーはパクチーのことである。

 主にとろみをつけるのに使われるものだ。

 

 最後にターメリック。

 これはウコンのことで、カレーの色合いをつける。

 

 ここに辛みをつけたいのならカイエンを使うのが一般的だ。

 カイエンは赤唐辛子のことである。

 

 本当はガラムマサラがほしいのだが、あれはミックススパイスだ。

 複数のスパイスを調合している。

 いわゆる万能調味料なのだ。

 

 ベースになるスパイスと、香り付けのスパイスを調合する。

 さすがにこのガラムマサラは一朝一夕には再現できない。

 

 実はおじさん、似たような香辛料は既に仕入れていた。

 最低限、三つのスパイスがあればカレーぽいものはできる。

 

 あとは……。

 

 カレーの神髄とはスパイスである。

 スパイスと材料をどのように取り合わせるか。

 美食家にして芸術家の人も言っていた。


 だから、おじさんは厨房にむかいながら、ずっと考えていたのである。

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