第470話 おじさん聖女の異変をなんとかする
「ボハハハハハ! 自由だああああああ!」
拳を天にむかって突き上げる聖女だ。
それを静かに見つめるおじさんである。
『むぅ……主よ』
おじさんに召喚されたトリスメギストス。
総革張りの古ぼけた本だ。
表紙の宝石がペカペカと光っている。
「トリちゃん。エーリカが奇妙なのですわ」
『うむ。なんというか……無様であるな』
「無様? どういうことですの?」
『聖女にはきちんと教育がされていない? いや……それもあり得るのか。……主よ、あれは恐らく魔本の影響であろうな』
「魔本……聞いたことがありますわ。なんでも魔を封印した本があるとかないとか」
『その認識でいい。神殿では扱いきれぬ魔と対峙した場合、何らかの器物に封印することが間々あるのだ』
一度、区切ってからトリスメギストスが続ける。
『聖女とは神を降ろすための器でもある。そのため魔だとしても亜神程度になると、影響を受けてしまうのだ。その影響を受けないための方法も伝わっておるのだがな』
「ボハハハハハ! 我こそが王! 世界を統べる王! あまねく存在がひれ伏す王!」
ボハハハハハ! と高笑いをする聖女である。
「あれは魔の影響を受けている、と」
『で、あるな。影響を受けているというよりもその身に魔を降ろしてしまったのだろう』
「ケルシー! エーリカは打ち合わせのときに本をもってきていましたか?」
おじさんが確認をとる。
「もってた! なんかもってた! 黒いやつ!」
どうやらケルシーにも心当たりがあったらしい。
落ちつかせようと、その頭をなでるおじさんである。
『恐らくは神殿から持ち出したのであろうな。まったく神殿の管理はどうなっておるのだ』
「トリちゃん、どうすれば魔を祓えるのです?」
『うむ。方法はいくつかあるのだが最も一般的なのは、聖女の身体から魔を追い出すことだな』
「どうやりますの?」
『第一段階として魔の名を知ること。名が解れば縛ることができるのでな。第二段階として神殿にて清められた聖水を飲ませること。聖水によって浄化させ大概に追い出す』
「追い出した後はどうするのです?」
『封印するのが一般的なのだが魔本がない。となれば、滅するしかあるまいて』
「ならば、さっさとやってしまいますか」
やることが決まれば、即行動に移すおじさんである。
「魔を滅するって大丈夫なの?」
心配するケルシーだ。
「どうとでもなりますわ!」
ニコっと微笑むおじさんであった。
「エーリカにとりついている魔よ! あなたのお名前を教えてくださいな」
あまりにも真っ直ぐなおじさんの問いかけであった。
トリスメギストスはずっこけそうになる。
そもそも魔とは本名を名のらないものなのだ。
魔にしても本名を知られれば、縛られることがわかっているから。
だから、あの手この手を使って聞きだす必要がある。
おじさんの問いかけに聖女が身体ごと振り返った。
「朕こそが真なる祖! 悲しみを孕みし琥珀の王! ジャラナフラ大帝なるぞ! ひれ伏せえええい! ボハハハハハ!」
『……』
無言を貫くトリスメギストスだ。
色々と言いたいことはあろう。
だが、言わない。
「ジャナラフラらしいですわよ」
平常運転のおじさんであった。
「……確か聞き覚えがありますわね。ああ!」
パンと手を打つおじさんだ。
「リューベンエルラッハ・ツクマー先生が仰っていた無能な王五選の筆頭ですわ!」
『後期魔導帝国時代に最も短命で終わった王であったか。確かにその者の名がジャラナフラ』
「時の権力争いの中で、奇跡的にポコっと生まれたとツクマー先生が仰っていましたの。あれほどの無能が王に選ばれるなど奇跡だと仰っていましたわね」
随分と評価の低い王様のようである。
「死後、魔に堕ちていましたのね。いえ、死後とは限りませんか」
『う、うむ。主よ、対処するのに少し魔力を借りるぞ』
「ボハハハハハ! 娘! よく見れば、いや、よく見なくても美しいな! 朕の眼鏡にかなうとは、よろしい妾にしてやってもよいぞ! ボハハハハハ! 否! そなたなら余の正妻にしてやっても……」
その瞬間であった。
黄昏色の空がにわかにかき曇り、暗雲が立ちこめる。
神威の力が渦を巻き、一条の神雷を落とした。
どおおおおん、と腹の底を震わせる音が響く。
「アっぎゃああああああああ!」
『……バカめ。主上の怒りに触れたな』
ケルシーは耳を塞いで、しゃがみこんでいる。
雷が苦手なのかもしれない。
「あ、トリちゃん。エーリカの身体からなにかでてきましたわ」
おじさんが指摘する。
確かに聖女の頭の辺りから、黒いモヤが上がっていた。
『主よ、あれこそが魔の本体だ』
「ほおん」
と、おじさんは魔の本体をじっくりと観察する。
一分ほど経っただろうか。
糸を切ったかのように、聖女の身体が膝から崩れ落ちた。
聖女の身体から抜けた黒いモヤ。
それが人のような形を取り始めたときである。
再度、神雷が落ちた。
ひぃぃいいとケルシーが悲鳴をあげる。
『ああばばばっばばばば! 余こそが真祖! ジャラナフラた……』
モヤが霧散していく。
最後にボハハハハハ! と高笑いを残しながら。
「トリちゃん。出番がありませんでしたわ」
『うむ。あれはあの魔が悪い。主を妾などと抜かしおって、まったく身の程知らずの増上慢であるよ』
立ちこめていた暗雲が晴れていく。
神威の力もまた消えていった。
「これで大丈夫ですわね?」
『うむ。恐らくは魔を封じていた本も灰になっているはずだ』
「承知しました。誰かコントレラス侯爵家に報せておいてくださいな。今夜はエーリカをお預かりします、と」
おじさんの言葉に従僕のひとりが動いた。
「トリちゃん。あとで構いませんから、聖女の魔に対する方法をまとめておいてくださいな」
『承知した。主よ、我からも報告がある』
「なんでしょう?」
『以前から執筆していたアレだがな。ついに脱稿したのだ』
アレとはTRPGのための本である。
嬉しい知らせにおじさんも思わず笑顔になった。
「ついにできましたか。ということは、あの魔道具もお披露目できますわね!」
『うむ。ちょうどいい。一度試してみてはもらえんだろうか』
「そうですわね。いい機会かもしれません」
「リーや、なにやら面白そうな話が聞こえてきたんだけど」
祖母である。
「ええ。きっと楽しくなると思いますわ。夕食のあとにでもお付き合いいただけますか?」
「もちろん」
と祖母と母親が声をあわせた。
「では、エーリカを運んでくれますか?」
おじさんが言うと、側付きの侍女が動く。
小柄な聖女をひょいと肩に担いでしまう。
「お嬢様、客間でよろしいでしょうか?」
「ええ。そちらにお願いします。おっと念のために治癒魔法をかけておきましょう」
パチンと指を弾いて魔法を発動させるおじさんであった。
「ね、ねぇ……」
ケルシーがおじさんに声をかける。
「エーリカは大丈夫なの?」
「もう心配はありませんわ」
「よかった……どうしようかと思ったから」
魔技戦での決着については思うところがないらしい。
丸く収まってホッとするおじさんだ。
「ああ! そう言えば、さっき言ってた本!」
「どうしたのです!」
「ワタシ、もってきてる!」
「え? そうなのですか?」
おじさんもビックリだ。
怪しそうな本なのにもって帰ってくるとは。
蛮勇ここに極まれり、である。
「クロリンダ! ワタシの鞄もってきてる?」
「ええ。ここに」
クロリンダから鞄をうけとるケルシー。
その中から本を取りだそうとして叫んでしまう。
「ぎゃああ! なによこれ!」
先ほど、トリスメギストスは灰になると言っていた。
鞄の中が灰まみれになっているのかな、と当たりをつけるおじさんである。
ケルシーが鞄の中から手をだす。
青緑色をした粘性の高い液体がべっちょり付着していた。
興味本位からか。
それとも蛮族としての本能だろうか。
ケルシーは手についた液体を鼻に近づける。
「っくっさあいいいいいいいいいいいいいい!」
夏場に一週間ほど生ゴミを放置したような悪臭。
その臭いを思いきり嗅いだケルシーは、白目をむいて気絶するのであった。
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