第357話 おじさん会頭たちの心を鷲掴みにして放さない
腹も満たされて、美味い酒も飲めた。
ただ、これ以上は交渉に障ると自重する二人の商人である。
ふ、とおじさんを見れば、母親と談笑していた。
あの様子では既に契約書には目を通してもらえたのだろう。
そう判断して、二人はおじさんの前に戻った。
「大変、美味な料理。それに試飲までさせていただき光栄の極みにございます」
ありがとうございました、と二人が揃っておじさんに告げる。
「満足していただけたようでけっこうですわ。新しいお酒はどうでしたか?」
ニコニコとしたおじさんが問う。
「はい。いずれも商品になりますな。調味料も含めて扱わせていただきたいのですが……」
恐る恐るといった感じで切りだす、モッリーノ会頭である。
「そうですわねぇ。こちらは先ほども言いましたとおり試作品ですの。ですので実際に売りにだすとなると、量産体制を確保してからになりますわね。その辺りはお父様の裁量となりますわ」
話にでた父親は娘から渡された契約書を確認している最中だ。
ちなみに代官はコックリコックリと船を漕いでいる。
「我らに扱わせていただきたく。伏してお願いいたします! 任せていただければ、この地で流行させる自信があります!」
プエチ会頭がおじさんの目を真っ直ぐに見る。
そのアクアブルーの瞳の奥に吸いこまれそうな錯覚を覚えた。
心臓が激しく鼓動を刻む。
「どうですか? お父様、お母様」
「そこまで言うのならいいんじゃない?」
と、母親が父親を見る。
「娘が言ったとおり、量産体制が整わなければなんとも言えないかな。なにせ各地で需要はあるだろうからねぇ」
にやり、と悪い顔になる父親だ。
言外に“キミたちはどこまで本気なのだい”と聞かれている。
それを悟った二人の会頭は腹を括った。
「無論、閣下が望まれる以上の結果を!」
二人の答えが重なる。
それだけの意気込みがあるのだ。
「そうかい。じゃあ前向きに検討するよ」
なんとも言質をとらせない父親である。
そんな会話に割りこむおじさんだ。
「さて、契約書の件ですが、わたくしとしては問題ありませんわ。ただ、ひとつだけ追加して欲しい文言があるのです」
おじさんの言葉に一抹の不安がよぎる会頭たち。
なにを言われるのか。
そう酷いことにはならない、とは思うのだが……。
「なにか厄介なことが起きれば双方が誠意を持って交渉し解決する、と言うものですわ」
誠意条項である。
おじさんの前世では一般的だったものだ。
契約に付随する保険的な考えでもある。
欧米ではそうした厄介ごとについても、あらかじめ契約書に盛りこむのが一般的だ。
なので誠意条項というものが存在しない。
しかし、おじさんは思うのだ。
契約の段階では想定できなかった突発的なトラブルもある。
そうした場合にどう解決するのか。
具体的な例を出せない以上は、お互いが誠意をもって解決する必要がある。
その一言をおじさんはとても大事にしていた。
前世では、知らんがな、と一蹴されることも多かったが。
「それは……」
二人の会頭は絶句した後に、言葉をなくしてしまう。
なぜなら、その一言は立場の弱い商人こそ欲しいものだからだ。
おじさんのような貴族、それも公爵家という立場なら不要なのである。
だって、お前が損をかぶれと言えばすむ話だからだ。
商人にとって貴族との取引とは、常にそうしたリスクが伴うものである。
実際に組合側に不手際はなくても、泣かされてきた過去があるのだ。
理不尽な要求をされても、貴族に楯突くのは難しい。
それが身分制度のある社会だ。
しかし、おじさんの言った誠意条項。
これがあれば、一方的に損失をかぶるリスクを減らせる。
そもそもこの世界では、契約書とは契約神が後ろ盾につくものだ。
神殿にてそうした儀式をする。
だから契約書に書かれた文言を破るということは、そのまま神罰がくだることになるのだ。
そのため二人の会頭は、契約書の内容にかなり気をつかった。
お互いにとって有益になるように、だ。
「その……よろしいのでしょうか?」
先に口を開いたのはプエチ会頭であった。
額からでる汗をハンカチで拭いながら、おじさんを見る。
「構いませんわ。いつも驚かれるのですが、あなたたちだけが特別ではないのです。わたくしが契約を結ぶ商会には皆、同じようにしています」
ああ、と心の裡で嘆息する二人の会頭であった。
この御方を選んで正解だったと考えたからである。
自らが不利益を被る可能性がある条項を敢えて入れさせるのだ。
それもごく当たり前だという感じで。
これは凡百の人間にはできない。
「二人ともその文言を入れる意味、十分に理解しているだろうね?」
父親からの言葉が飛ぶ。
その言葉により平身低頭となる二人だ。
「もちろんでございます。我らの誠心誠意をもって対応させていただきます!」
プエチ会頭の言葉に深く頷くモッリーノ会頭であった。
「うん。うちの娘の期待を裏切らないようにね」
口調は軽い。
だが、その言葉の裏には底冷えするような冷たさがある。
もちろん二人の会頭は父親のその言葉の意味を理解していた。
なにかあれば潰す。
それはいともたやすく行われるだろう。
しかも徹底的に。
だが、それは当たり前のことだと二人は思う。
ここまでしてもらったのだから。
その恩義に応えなければ、と思えば心が沸き立つ。
「我らイトパルサの商業組合に代々伝わる教えがございます。曰く『利己を求むるは邪道なり、利他を求むるこそ正道なり。商いは天下の正道たるべし』というものです。お嬢様の御言葉に恥ずかしながら、初心を思いだしました。我らに御用がある際には何なりとお申し付けくださいませ」
モッリーノ会頭の言葉に大きく頷く父親であった。
二人の会頭はおじさんの前から下がる。
文言を付け足し、最終確認をとってから神殿へと行くためだ。
「ところでリーちゃん」
母親がおじさんに声をかける。
「今日は聖樹国に行くの?」
母親の問いに思わず、しまったと言う顔になるおじさんだ。
すっかり忘れていた。
お酒作りに、なんやかんやで。
「んーどうしましょう?」
「そうねぇ。あちらに行ってもすぐに解決するとは限らないし……」
母親はエルフの二人に目をむけた。
肝心の案内役が酔い潰れているのだ。
「明日でいいでしょう」
母親の言葉で今日の予定は決まった。
と言っても、まだ昼頃である。
なにをしようかと、おじさんが考えたときである。
侍女が恥ずかしそうに戻ってきた。
「お嬢様、失礼いたしました」
「もう大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません」
「まぁそういうこともありますわね」
ほほほ、とおじさんが軽やかに笑う。
「ああ、そうだ。ヴェロニカ、リーちゃん、予定が空いたのなら、これから大聖堂へ行かないかい?」
父親の誘い文句に対して、即決するおじさんであった。
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