第356話 おじさんのプレゼンは成功するのか?


 丁稚を先触れに走らせ、急いで代官邸へと行く準備をする二人である。

 連日の訪問となるが、そんなことは気にしない。

 

 程なくして丁稚が帰ってくる。

 既に準備は万端に整っていた。

 

 二人は商業組合を出て代官邸へ。

 プエチ商会とモッリーノ商会の会頭は、室内ではなく庭に通されたことに首を傾げる。

 だが、そう言われてしまえば従う他ない。

 

 それ以上に、自分たちが精力を傾けた契約書。

 気に入ってもらえるだろうかという不安が大きい。

 

 そんな二人の耳に鋭い声が届いた。

 

「ちょっと、クロリンダ! あんた、なにやってくれてんのよ!」


「うぃいっく。お、お嬢様、うるしゃあああああい!」


「ああ! もうこの酔っ払いめ!」


 二人の商人は揉めている顔見知りの二人を見る。

 なにをしているのだ、と。

 

 ただそちらに関わっている暇はない。

 おじさんたち一家と代官の前に進み、二人は膝をついた。

 

「本日もお時間をいただけましたこと、恐悦至極に存じます」


「あら、マディはいないのね」


 母親の言葉に二人は頭を下げたまま応える。

 

「組合長には此度の商談から外れていただきました」


 モッリーノ会頭が正直に答える。

 その方がいいと判断したからだ。

 

「ほおん。そう……きちんと躾けをしておきなさいな」


「承知いたしました。今後は我ら二人で対応させていただきます。引き続きよろしくお願いいたします」


 その答えに満足したのだろう。

 母親は鷹揚に頷いた。

 

「本日は昨日のお話に基づいた契約書を持参いたしました」


 と、従僕に対して契約書を渡すプエチ会頭。

 その契約書を受けとり、おじさんはニッコリと微笑んだ。

 

「仕事が早いですわね」


 おじさんの満足そうな表情に、ひとまずは安堵する二人であった。


「少し確認に時間がかかりそうですわね。ちょうどこちらのお酒の試飲会をしていましたの。お二人も参加なされませんか?」


 おじさんに言われて、二人は気づいた。

 そう言えば、あちこちからとても良い匂いが漂っているではないか。


 匂いを認識した瞬間、二人の腹の虫が鳴った。

 まだ暗い時間から頭を働かせっぱなしだったのだ。

 無理もないだろう。

 

「これは失礼いたしました。是非ともご相伴させていただきたく」


 モッリーノ会頭の言葉にプエチ会頭も隣で頷く。

 おじさんは会頭たちの意を受けて、従僕に目配せをした。

 それでスッと動くのだから、しっかり訓練されている。

 

「こちらはラガーと言います。エールとは発酵の方法が違いますわ。で、そちらのお酒は癖が強いので好みは分かれますが、試してみてくださいな。空きっ腹にお酒は危険ですから、お好きな食べ物と一緒にどうぞ」


 キンキンに冷えたラガーを片手に、おじさんお手製の醤油味の海鮮を味わう。

 イトパルサの住人にとっては珍しくない料理だ。

 

 しかし、調味料ひとつで大きく味が変わることに二人は驚いた。

 さらにラガーのスッキリとした苦みのある味わいが広がる。


 美味であった。

 存分に堪能し、ラガーを飲む。

 緊張がほぐれていくのと同時に、顔見知りのエルフのことが気になる二人だ。

 

「ちょっと! クロリンダってば!」


 ケルシーを後ろから抱きしめているクロリンダである。


「んんーお嬢様、なんでそんな面白い顔をしているのでしゅかあ? うふふ」


 クロリンダが見ているのは後頭部だ。

 これは泥酔していると言っても過言ではないだろう。


「目も鼻もありませんねぇ。うふふ」


 そんなことに気づいていないケルシーが叫んだ。


「誰が面白い顔よ!」


 ケルシーの言葉の直後に、不審な音が背後から聞こえる。


「うえぇっぷ」


「げぇ! それはダメ! 絶対にやめてよね!」


 慌てふためくケルシーであった。

 

「あちらの樽も新しいお酒だと仰っていましたな」


 モッリーノ会頭の言葉に、プエチ会頭が答える。

 

「ええ。あちらも試してみるとしましょう」


 二人が席を立ち、エルフたちの近くにある樽へとむかった。

 

「失礼しますぞ、ケルシー様」


 プエチ会頭が逃げようともがいているエルフの少女に声をかける。

 

「ちょっと助けて! このままじゃ危険なの!」


「そうは言われましても……」


 クロリンダが顔を青ざめさせているのが見えているのだ。

 それにがっちりとケルシーの腰を掴んでいる。

 

 触らぬ神に祟りなし。

 その辺の空気をしっかりと読むベテランたちだ。

 

「ほう。こちらの酒はまた独特ですな」


 プエチ会頭が杯に口をつけてから微笑む。

 その顔が歪んでいないことから、好ましく思っているのだろう。

 

「ああ。プエチ殿。私はダメだ」


「これは売れますな。好悪がハッキリする悪魔のような美酒です」


 暢気に品定めをしている二人だが、その近くではケルシーがもがいていた。

 

「クロリンダ、離れなさいって!」


「いいじゃないれすかぁ」


 後ろから腰の辺りを抱きしめているクロリンダだ。


「ちょっと、どこ触ってんのよ!」


背中・・れしゅよねえ?」

 

「やれやれ、ですね。なにをしているのですか、あなたたちは」


 ケルシーたちの前に立つのは侍女であった。

 復活してきたのである。

 

「た、助けて! このままじゃアレなことになっちゃう!」


 大きく息を吐いて、侍女は肩をすくめた。

 

「仕方ありません」


 侍女がスッと動いて、クロリンダの背後をとった。

 そのまま手刀を打ち付けて、泥酔するクロリンダを昏倒させる。

 

「これでいいでしょう」


「ありがとう。助かったわ!」


 ケルシーは逃げることに夢中だったのだ。

 だから、あの瓶の存在をすっかり忘れていた。


 妙に自分のスカートが冷たい。

 それに酸っぱい臭いがする。

 あの瓶が横倒しになっていたのが目に入ってしまう。

 

 その事実に気づいたとき、ケルシーは言った。

 

「どうだい、最低だろ?」

 

 ケルシーの表情が抜け落ちている。

 それが哀れで、清浄化の魔法を使ってやる侍女であった。

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