第352話 おじさん商会頭たちの心を盗んでしまう


「このバカ娘がっ!」


 激高したハルムァジンが拙女の頭に拳骨を落とす。


「やてええええ!」

 

 頭を押さえて、しゃがみこむケルシーであった。

 その様子を見て、ため息をつくクロリンダ。

 

 留学の話はありがたいが、本当に大丈夫だろうか。

 彼女は一抹ではなく、大いなる不安を抱えた。

 

 そんな一幕のしばらく後。

 おじさんたちは席を立つ。

 

「それでは本日はお暇させていただきますわ。皆さん、わたくし、とっても楽しかったです!」


 おじさんの挨拶にエルフの女性陣から声があがった。

 手を振る者もいる。

 小さく手を振り返して、おじさんは逆召喚でイトパルサへと転移するのであった。

 

 一瞬にして代官邸の庭に転移したおじさんたち。

 

「ふぅ……まったくどうなってるのかわからないわね!」


 なぜか胸を張って言うケルシーである。

 

「ケルシーたちはどうするのですか?」


「そうね……」


 と言いつつもノープランであるようだ。

 腕組みをしながら、ううん、と唸り声をあげるケルシーである。

 

「お嬢様、まだ時間がありますので船の確認をしないといけません」


 そこでクロリンダからの助け船がでた。


「そうだったわ! ってことだから! 言ってくるわ!」


 すぐに駆けだそうとしたケルシーの首根っこを掴むクロリンダである。

 ぐえ、とケルシーの口から絞められた鳥のような声がでた。


「お嬢様。きちんとお礼をなさってください」


「うっかりしてたわ! リー、ありがとう!」


 にぱっと笑顔を見せるケルシーだ。

 

「御子様、御母堂様。この度は助けていただき、ありがとうございます。うちの残念なお嬢様にも機会をくださったこと、心よりお礼を申しあげます」


 きれいに腰を折って礼をするクロリンダである。

 

「ちょっと! 残念なお嬢様ってどういうことよ!」


「そういうところです」


 噛みつくケルシーを一瞬で黙らせたクロリンダである。

 

「後ほど改めまして留学に関してのお話を伺ってもよろしいでしょうか?」


 その問いに対して母親が鷹揚に頷いた。


「では、私たちは失礼させていただきます」


“ほら、行きますよ”とケルシーの首根っこを掴むクロリンダである。

 

「なんか雑じゃない? ねぇ?」


 そんなケルシーの言葉は、クロリンダの耳には届かなかった。

 

「……まったく苦労するわね」


 母親が侍女の方を見る。

 

「……私から少し話をしておきましょうか?」


 侍女の言葉に母親はひとつ息を吐いてから答えた。


「そうね、お願いするわ」


 今日もいい天気である。

 少し肌寒くなってきたとは言え、日の当たる場所は暖かい。

 なので、おじさんと母親は庭にある四阿あずまやでのんびりとしていた。


 そこへ代官邸の従僕が小走りで近づいてくる。

 侍女が言葉を聞いて、おじさんたちに告げた。


「奥様、お嬢様。商業組合の者が間もなく到着するそうです」


 侍女の言葉を聞いて、おじさんと母親は場所を移すのであった。


 用意された部屋で挨拶を交わす。

 商業組合からきたのは以前と同じ三人であった。

 組合長のマディにプエチ商会とモッリーノ商会の会頭である。


「ほおん、早いわね。がんばったのかしら」


 母親がペラペラと資料を見ながら、三人に声をかけた。


「先日の非礼、誠に申し訳ありませんでした。そのお詫びと言うわけではありませんが……」


 組合長であるマディが母親に答える。

 ただ、その答えは母親にとって不満だったようだ。

 

 ほおん、と言いながらも資料をテーブルに置いた。

 それは“もうけっこう”という意思表示のようにも取れる。

 

 そんな母親の横でおじさんは紙をめくりながら、うんうんと頷いている。

 ざっと最後まで目を通すと、おじさんが口を開いた。

 

「大変よくできていますわね。ふふ……こちらが指示していない項目までありますわね」


 おじさんがニコニコとして感想を述べる。

 頭を低くして、“ありがとうございます”と返答する組合長だ。

 

「それにしてもよくこの値段を提示できましたわね? 卸値よりさらに割り引いてあるでしょう? そちらに利益はでますか?」


 おじさんの言葉に商業組合の三人が、びくりと身体を震わせた。

 まさにその言葉どおりだったからだ。

 

「お嬢様の慧眼に感服いたしました。もし、よろしければ根拠を聞かせていただけますかな?」


 組合長がよからぬことを口にする前に、プエチ商会の会頭がおじさんに尋ねた。

 その表情に悪意はなく、純粋な興味のようである。

 

「ん? 根拠もなにもわたくし、露店市場を見ていましたのよ。その市場価格から仕入れ値を予測するくらい……」


 そこで、おじさんは気がついた。

 なんだか部屋にいる全員がおじさんを見ていることに。

 

 そもそも貴族の御令嬢が物の値段を気にする方がおかしいのだ。

 特におじさんのような超がつく上級貴族であれば、なおさらである。

 だって、あれが欲しいと言えばそれですむからだ。

 

 しかし、そこはおじさんである。

 かつてブラックな商社に勤めていたのだ。

 市場価格からおよその卸値に当たりをつけるくらいはできる。

 

「わたくしの言っていること、おかしいですか?」


 こてん、と首を横に倒すおじさんである。

 その仕草に侍女は思わず、声をあげそうになった。

 なんてかわいい生き物なのだ、と。

 

「……これは参りました」


 プエチ商会の会頭は深く頭を下げた。

 汗がとまらない。

 すでに脇の下はびしょびしょだ。

 

 懐からハンカチを取りだして、顔の汗を拭う。

 そして、腹を決めた。

 

「我ら、お嬢様と末永くお付き合いをさせていただきたいと考えております」


 率直に言う。

 その辺りは経験だ。

 おじさんにはその方がいいと、直感的に判断したのだ。

 

「イトパルサから我が領までは距離がありますが、輸送手段は確立できているのですか?」


 おじさんの問いにモッリーノ商会の会頭が返事をした。


「その辺りは代官様と冒険者組合との協議が必要になりましょう」


「なるほど。では、輸送費用はどうするのです?」


 矢継ぎ早におじさんから質問がとんでくる。

 その問いに対して、打てば響くようにプエチ商会とモッリーノ商会の会頭が答えを返す。

 

 おじさんも久しくしていなかった商談が楽しい。

 なので、かなり突っこんだ話までしてしまった。


「……お母様はどう思いますか?」


 話の半ばで母親は興味をなくしていた。

 正確には話しについていけなくなったのだ。


 娘の商売に関する知識がおかしい。

 熟練の商人と丁々発止のやりとりができる令嬢がどこに居るという話だ。


「そ、そうね。リーちゃんに任せるわ。思うようになさい」


 母親の言葉におじさんはいい笑顔を見せた。

 

「では、プエチ会頭、モッリーノ会頭。本日の協議を後日書面にまとめてくださいな。お父様から許可がでれば、正式に我が家と契約を結びましょう」


 二人の商人も実に晴れやかな顔をしていた。

 

「ありがとうございます。此度は実りのある会談でした。お嬢様のような御方と取引をさせていただけること、心の底より感謝いたします」

 

 おじさんはすっかりイトパルサの重鎮たちの心を掴んでしまったようである。

 

 一方で口をほぼ挟むことができなかった組合長のマディ。

 その表情は暗くなかったものの、内心では恐怖を抱いていた。

 どうすればいいのか、自分でもわからないほどに。

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