第351話 おじさんの母親は聖樹国の先行きを語る


 ダルカインス氏族の青空食堂では、未だ宴が続いていた。

 正確には大きな四阿あずまやなので、青空とは言いがたいか。

 

 集落の人間が集まり、料理や甘味、酒に舌鼓を打つ。

 会話が咲き乱れ、あちこちらから笑い声が聞こえてくる。

 

 間違いようのない宴であった。

 

 空中にきれいな放物線を描いたケルシーは未だにダウンしている。

 そんな彼女の様子を見て、おじさんは母親に言った。

 

「お母様、本格的な調査は明日にいたしましょうか」


「そうねぇ……私たちの案内役があのザマじゃ仕方ないわね」


 苦笑しつつ、おじさんの言葉に返答する母親であった。

 そして、ちらりと侍女を見る。

 その視線の意味を察したのか、侍女がスッと席を立つ。

 

「拙女が申し訳ありません。案内には代わりの者をつけさせていただきます」


「そこまで気にしていませんわ。明日でも十分ですから」


 おじさんがハルムァジンに笑顔で返答する。

 それを受けて、エルフの氏族長はさらに恐縮するのであった。

 

 そこへ侍女が戻ってきて告げる。

 

「お嬢様、あちらのご婦人方がお話をしたいそうなのですが、よろしいですか?」


 侍女が顔を向けた方向で、エルフの美女たちが手を振っている。

 皆、ニコニコとしていて楽しそうだ。


「まぁ。ちょうどよかったですわ。わたくしも聞きたいことがあったのです」


 おじさんの返答に首肯しつつ、侍女が氏族長に確認をとる。


「ハルムァジン殿。申し訳ありませんが、お嬢様をお連れしても?」


「ああ。もちろん構いません。恐らくは甘味のことでしょう。付きあっていただければ幸いです」


 その言葉を受けて、おじさんと侍女が席を立つ。

 残された母親の意図する展開であった。


 エルフの女性たちの姦しい声があがる。

 そこで母親が氏族長に顔をむけた。

 

「さて、ハルムァジン殿」


 母親が優雅にグラスを傾けながら口を開く。


「いかがなさいましたか?」


「そちらのご息女をうちの国に留学させなさいな。その間の面倒は一切合切、うちでみるわ」


「は? 留学ですか? うちのケルシーを?」


 かなり面食らったような表情になるハルムァジンだ。

 

「そうね、ひとりだと不安でしょうからクロリンダも一緒でいいわよ」


 こともなげに言う母親である。

 だが、その意図をいまいち把握できないハルムァジンが眉をしかめた。


「その表情を見ると、ご理解なさっていないようね」


 母親がグラスが置く。

 身体ごと氏族長に向き直って続けた。


「正直なところ、そちらから言い出すかと思っていたのだけど。まぁそれはいいでしょう。私は過去の御子のことは知らないわ。何人いて、どんな功績があったのか。でもね、あの子の母親なのよ。私がお腹を痛めて産んだ子なの。だから知っているわ、あの子がどんな子か」


 母親は視線の先で楽しそうに話をしている娘を見る。

 

「あの子はね、とんでもないの。どんどん周りを巻きこんで、色んな物を動かしてしまう。それは変化よ、長らく停滞していたものを動かしてしまう力。あの子にはそれがあるの。あなたたちエルフがあの子を御子として扱うのはいいのよ。だけど、変わることへの覚悟はある?」


 直近で言えば、タルタラッカが該当するだろう。

 だが、それは自領での話だ。

 

 聖樹国では文化も常識も違う。

 だから母親は話しておくことにしたのだ。


「…………」


 母親の言葉に対して、声がでないハルムァジンであった。

 

「それをすぐに理解しろとは言わないわ。だけどね、後になってからそんなことは望んでいなかったと言われるのは困るのよ。ここはいい村ね。本当にそう思うわ。今の生活が安定しているのなら、変えたくないという気持ちがあって当然ね」


「……御母堂様はなぜそのような話を?」


「言ったでしょう。わからないままにうちの子と関わったことで起きる変化。その変化に対して文句を言われても困るのよ。言っておくけど、そんなことは許さない。私は娘を守るわよ」


 エルフは魔法に長けた種族である。

 そのエルフだろうと絶対に退かないと言う。

 母親の目がそれを告げていた。

 

 対するハルムァジンも理解できた。

 己と同等、或いは格上の実力を目の前の人物が持っていることを。

 それは彼に強い危機感を募らせることになった。

 

「ならば、最初から関わるな、と」


 そこで母親はひとつ息を吐く。


「そう言いたいところだけど、実質的には無理でしょう? だって、風の大精霊がわざわざお触れをだしたのだもの。あなたたちからすれば協力するという選択肢しかない。だから、先に忠告しておこうと思ったのよ」


「…………」


 確かに聖樹国としては断るという選択肢がほぼない。

 よほど無理なことでなければ受けいれるだろう。

 

 だが、変化とはなんだ。

 そこまで想像がつかない氏族長であった。


「ハルムァジン殿。気づいている? 今日この場で食べた甘味。あれはあなたたちにとっても驚きだったのではなくて? 知ってしまえば欲しくなるわ。それはエルフだって一緒でしょう? だけど、あなたたちに対価にできるものはある?」


「…………」


「自分たちに必要な物を必要な量だけ。それがこちらの生活の基本でしょう。それを責める気はないのよ。ある意味ではとても豊かな暮らしをしていると、本気で思うわ。だけど、それで満足できる? 今までは聖樹国で余った物を交換してきたわけよね? だけど、それだけでは不十分になったら? 村の皆が満足できるだけの量を用意できなかったら?」


「……それは」


 言葉に詰まってしまう。

 ハルムァジンの頭にはまったくなかった見方だ。


「そうね。これは私たちだからできる発想。だからって優れているとか劣っているとかの話ではないの。そういう仕組みを理解しているかって話なのよ。すぐにはすぐに問題が顕在化するわけではないでしょうね。だけど、この先もうちの子と関わっていくのならいずれはそうなるわよ」


「だから娘を差しだせ、と?」


 母親はゆっくりと首を横に振る。

 

「べつに人質にとったりするわけじゃないわ。エルフにも仕組みを理解している者が必要でしょう? その人材としてあなたの娘を留学させては? と提案しているのよ」


 話の流れとしてはおかしくない。

 いや、それどころか正論であると思う。

 だからと言って、すぐに決断できることでもない。


「しかし……」


「……相互不干渉。できる範囲での協力はするけれども、原則、お互いに干渉はしない。確か我が国と聖樹国との間で結ばれていたわね。まぁその辺もなんとかしてあげるわ、うちの夫が」


「うちの夫?」


 ハルムァジンの言葉に、母親は“ああ”と声をあげて納得した。


「スラン=ロック・カラセベド=クェワ。アメスベルタ王国の外務卿を務めているわ。まぁ色々と言ったけれど、すぐには飲みこめないでしょう。しばらく考えてみなさいな、村の人たちと一緒にね。夫には話をしておくから、腹が決まったら連絡をすればいいわよ」


 その言葉を受けて、ハルムァジンは沈思黙考する。

 確かにそうだ。

 この酒も、甘味も村にはないものだ。

 

 これを手に入れるには、村の在り方を変える必要がある。

 しかし、その変化を受けいれられる者と、そうでない者がでるだろう。

 

 それが風の大精霊の思し召しなのか。

 停滞に変化を与えることで、どうなるのか。

 正直なところ、ハルムァジンには想像もつかない。

 

 だが、ひとつ言えることがある。

 それは忠告をもらっていなければ、絶対に予測がつかなかったことだ。

 

 むぅと内心で唸る。

 だが、ハルムァジンとて氏族の、ひいては聖樹国の安寧と幸福を願う者だ。


「……賢者は見えざるを見る、か」


 ハルムァジンは独り言のように呟いた。

 大きく息を吐いて、母親に頭を下げる。

 だが、目には強い意志の光があった。

 

「御母堂様、佳言ありがたく。我らも変化のときがきたのかもしれません。ただ私の一存で氏族の、この国の行く末を決めることはできません。ですので、しばらくの時をいただきたく」


「問題ないわ。ゆっくり考えて、じっくりと話をなさい。そうすれば何が起こったとしても後悔することはないのだから」


 母親が再び寛ぐ姿勢をとった。

 グラスを傾け、酒を楽しんでいる。

 そこへ鋭い声が割って入った。


「話は聞かせてもらったわ! その話、のったー!」


 拙女ケルシー復活の一言である。

 同時にハルムァジンは頭を抱えるのであった。

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