第345話 おじさん聖樹国に足を踏み入れる


 エルフの少女は船が引き揚げられたのを見て走った。

 船へと駆け寄ったのである。


「だぁ、お嬢様! すみません。お礼は後ほど必ずいたしますので、ここは平にご寛恕いただければ幸いです!」


 クロリンダはおじさん、その後ろにいる侍女と母親にむかって頭を下げる。

 

「ちょ! 待てよ!」


 そして、既に小さくなったケルシーの背中を追いかけるクロリンダであった。

 

「まったく! あの主従には反省とかそういう言葉はないのでしょうか」


 侍女が大きな声で呟く。

 そこには若干の憤りと、呆れがにじんでいた。

 

「リーちゃん、今の。魔法を同時に発動していたわよね?」


 おじさんにむかって母親の鋭い声が飛ぶ。

 そうなのだ。

 実はおじさん、こっそり並行して魔法を発動していた。

 

「そうですわね。でも、同時に発動していたと言えるのでしょうか?」


 首を傾げるおじさんだ。


「どういうこと? 説明できる?」


「そうですわね。最初に水を操る魔法を使っていたのですが、途中からわたくしの制御を離れたような感覚がありましたの。誰かがわたくしの意を汲んで、魔法を操っているような。なので、錬成魔法を使ってみたのですが、思っていた以上に巧くいきましたわ」


「そうなの。制御を離れるねぇ……」


 母親も唇に指を当てて沈思する。


「奥様、お嬢様。先ほどエルフの侍女、クロリンダ殿が呟いていました。水の精霊が自ら協力している、と」


 侍女の言葉にポンと手を打つおじさんである。

 

「なるほど。精霊が……あんな感覚なのですか」


 おじさんは何かと水の精霊には縁が深い。

 最初に出会った水精霊アンダインしかり、水の大精霊であるミヅハもいる。


「精霊がねぇ……やっぱりエルフは精霊との相性がいいのかしら。リーちゃんと関係がある精霊は別として、私たちだと契約しなければ見ることもできないし」


 と、母親は思いつきで魔力視ができるサングラスをかけてみる。

 たしかに魔力としては小さな塊が見える。

 だが、それが精霊であるとは思えない。

 

「それよりもお母様! わたくし、とってもいいことを思いつきましたの!」


 おじさんが手を組んで、目をキラキラとさせている。

 あ、これマズいやつと侍女は思ったが、口にはださない。

 ただそっと目を伏せるだけである。

 

「ほおん、なにかしら?」

 

「空飛ぶお船を作りましょう! 名づけて飛空船ですわ!」


 おじさん、実は先ほどの光景を見て思いだしたのである。

 海を割ってでてくる船。

 それは感動的な音楽とともに、おじさんの記憶に色濃く残っていた。

 

「飛空船! とっても素敵ね!」


「でしょう!」


 頭のネジが外れた母と娘は、あれやこれやと話し始める。

 さすがお嬢様。

 その発想がもう既によくわからない、と侍女は思うのであった。

 

 そうこうしている間に、船からエルフの主従が戻ってきた。

 ケルシーが小箱のような物を胸に抱えている。

 

「ありがとう!」


 息を切らせながらも、エルフの少女はしっかりと頭を下げた。

 

「お陰で大事な物も戻ってきたわ! 絶対に無くしたくなかったの」


「それはよかったですわね!」


 おじさんも微笑んで見せる。

 今も小箱を胸に抱えたままのケルシーだ。

 その姿を見れば、よほど大事にしているのは想像に難くない。

 

「はぁはぁ。先ほどは失礼しました。はぁはぁ。無礼なことをしたのは、はぁはぁ。承知の上で、ご、ご寛恕、はぁはぁ」


 頭を下げながらも、肩で息をしているクロリンダだ。

 

「さて、お二人はどうなさいますか? このまま聖樹国へ一緒に行きますか?」


 深呼吸をして、少し落ちついてきたのだろう。

 クロリンダが、おじさんに向き直る。


「私どもとしては、連れて行っていただけると助かります。船に関しては後日引き取りに参りますので」


「ってゆうか! でき……」


 クロリンダが少女の口を押さえる。

 モガモガと何をか言うケルシーであったが、おじさんの行動を見て黙った。

 

 おじさんはできる使い魔を喚んだのである。

 喚ばれてでてきたのは狩衣姿の偉丈夫、バベルだ。

 

『なるほど。承知した』


 おじさんの言葉に姿を消そうとするバベルである。

 しかし、おじさんは待ったをかけた。

 

「ケルシー。あなたの住む場所は聖樹国のどの辺りにありますの?」


 おじさん、さすがに聖樹国にはあまり詳しくない。

 

「ちょ、誰? 誰なの?」


『麻呂は主殿の使い魔でおじゃる。名をバベルと言う』


 実に野性的な魅力にあふれる笑顔で言う。

 

「つ、使い魔って! 嘘でしょ!」


『嘘などついておらぬよ』


 それでも疑いの眼差しをむけるケルシーである。

 おじさんは埒が明かないと判断した。

 なので、ターゲットをクロリンダへと変える。


「クロリンダ殿、そちらの住んでいる場所を教えてくださいな」


 呆気にとられていたクロリンダが、おじさんの言葉で我に返る。


「あ、はい。私たちが住んでいるのは港町から一日ほど森の中を北へ進んだ場所です」


「なにか目印になるものはありますか?」


「ええと……そうですわね。村の入口付近に小川が流れていますね。あと、村の中心には大きな木があります。ただ、木については他の村でも同じですが」


「木……わかりました。バベル! お願いしますわ」


『承知。ではな、エルフの小娘』


「小娘って言うな! ケルシーよ!」


 エルフの少女が叫んだときには、既にバベルの姿が消えていた。


「まったくもう!」


 などと、ケルシーが言っている間に、バベルからの通信がおじさんに入る。

 そのことに頷き、おじさんは告げた。

 

「では、わたくしの周りに集まってくださいまし!」


 次の瞬間には聖樹国へとむかって逆召喚での転移をしていたのであった。


 そこは森の中である。

 木々にあふれ、陽の光が差しこんでくる美しい場所だ。

 

「え? 嘘でしょう」


 一瞬にして景色が変わったことに、驚きの声をあげたのはケルシーである。

 

「バベル、ご苦労さまでした。周辺の偵察をしてくれますか?」


 労いつつも、次の指示をだすおじさんだ。

 しかし、バベルは嬉しそうに笑みをこぼしこそすれ、嫌な表情を見せない。


『承知。特に気にしておくことはあるかな?』


「そうですわね」


 と、思案しておじさんはバベルに何事かを告げるのであった。

 

「ケルシー。あちらに見えるのがあなたの村でよろしいのかしら?」


 だいたい距離としては百メートルほどだろうか。

 

「う、うん。そうだけど、これってどういうことよ?」


「詳しくは秘密ですわ。あまり詮索すると、精霊に舌を引っこ抜かれますわよ」


 おじさんの言葉に、慌てて口を自分の手で押さえるケルシーであった。

 

 精霊に舌を引っこ抜かれる。

 エルフに伝わる言い回しのひとつだ。

 悪いことをすると、バチがあたる的な意味合いである。

 

 おじさんの数少ないエルフに関する知識であった。

 

「さて、クロリンダ殿。先触れをお願いしてもよろしい?」


 半分くらいは混乱しているクロリンダだが、おじさんの言葉の意味はわかった。

 なので、大きく首肯して村へと走る。


 その後を追うようにゆっくりと進むおじさん一行。

 村のすぐ近くに小川には小さな橋が渡してある。

 その手前で、おじさんたちは足をとめた。

 

 小川の向こうには、高さが五メートルほどの木製防壁がある。

 さらに櫓が組まれていて、監視の兵もいた。

 その兵にむかってケルシーが大きく手を振っている。

 

 ほどなくしてクロリンダを先頭にして、背の高いエルフが姿を見せた。

 その後ろにもエルフたちが続いている。

 全員が防壁の外にでて、おじさんを見た。

 

「お父様あああ!」


 ケルシーが走って橋を渡る。

 だが、クロリンダを初めとしたエルフが一斉に片膝をついた。

 

「え? なに? なに?」


 面食らうケルシーはそのままに、背の高いエルフが口を開いた。

 

「ヴァーユ様から伺っております。ようこそ、我が村へおいでくださいました御子様」


 全員が頭を下げる。

 

「なんだってー!」


 大声をあげるケルシーであった。

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